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北海道親娘ツーリング

 タイトルの通りである。

 知らなというのは良くも悪くもいい事かも知れない。年末に免許を取得し、年明けに公道デビューを果たした娘が
「北海道に行きたい。」
と言い出した。21歳大学3年生、末っ子という事もあり随分甘やかして育てた子である。やりたい事と出来る事の判別がまだ曖昧なある意味いい時期なのだろう、免許を取ればオートバイに乗れる、オートバイに乗ればどこまでも好きなところに行ける。ならば最北端の地に自分の足で行ってみたいという事である。
 今までの流れと同様、いきなり北海道は無理だよ、お兄ちゃんだってソロで行くようになったのはだいぶ慣れてからだったんだから、という僕に対して
「いいじゃない!おとーさんと行って来なよ。」
と半ば無責任な事を言うカミさん。結婚前に僕と北海道ツーリングの経験があるカミさんは「若い時に行っとけ。」とここでも協力を惜しまない。
 という事でこの年の夏、僕たちは親娘ふたりで北海道ツーリングに行く事になった。娘にとっては学生生活最後の夏になる。それまでに就職が決まっていると良いのだが…。
 とは言っても娘とのツーリングが楽しくない筈が無く、僕は嬉々として準備に勤しんだ。娘用のツーリングバッグ、レインウェア、荷物満載になるであろう僕のスポスタにはキャリア装着等々。当時はコロナ禍という事もあり、本来なら激戦になるはずであるお盆のフェリーのチケットも本当にあっさりと取る事が出来たのだった。

1日目
 まずは新潟港目指して走るのだが、いきなり450kmはキツイだろうと初日は塩尻にある健康ランドを目指す。なぜかカミさんも車でついて来た。夕方チェックインし、温泉に浸かり3人で乾杯をした。

2日目
 カミさんに見送られ午前3時に出発。残りの270kmを走り、何とか12時出港のフェリーに乗船した。乗船後はレストランで僕はサッポロクラシック、娘はレモンサワーでふたり祝杯をあげた。

3日目
 午前4時半、予定通り小樽港に降り立った僕たちは一路最北の地を目指して走り出した。岩見沢、滝川と北上し留萌からは海沿いの道を走る。羽幌町で娘の好物である甘エビの丼を堪能し、オロロンラインをひたすら北上した。オトンルイ風力発電所を過ぎてからはサロベツ原野を真っ直ぐに貫くルートだ。どんよりとした空もあいまって最果て感が半端なく、この先に本当に街があるのか不安になるくらい。
 この日は宗谷ふれあい公園のキャンプ場でテント泊とした。モンベルのソロ用テント、ムーンライトの1型をふたつ並べて設営した。コールマンのツーバーナーで簡単な料理を作り、タープの下で娘と二人缶ビールと缶チューハイのささやかな晩餐である。

4日目
 天気は快晴。稚内市内を観光してから向かったのは、この度のメインとも言える宗谷岬だ。北海道はツーリング以外にも旅行を含めて過去三度訪れているが宗谷岬は今回が初めてである。ライダー憧れの地、しかも娘とのふたり旅。感慨もひとしおである。
 この日は宗谷丘陵、エサヌカ線の直線道路と走り繋ぎ美深町の森林公園びふかアイランドキャンプ場でのテント泊となった。今思えばこの時点で娘の疲労はピークに達していたようだった。

ふて寝をする娘

5日目
 この日は剣淵町でパッチワークの丘を眺め、旭川ラーメン村で昼食、富良野でジェットコースターの路を走って星に手の届く丘キャンプ場までというルートである。僕にとっては軽いコースだったのだが、すでに疲労が溜まっている娘にはどんな景色や美味しいラーメンも何も響かず、インカムの僕の声掛けにも返事をするのがやっとという状態だった。
 夕食は自炊せず、牧場のテラス席でのジンギスカンにした。スタッフによる写真撮影の時は笑顔を作ってくれた娘だが、食後サイトに戻るとそのままテントに入り眠ってしまったようだった。
 このキャンプ場には直火のできる炉が各サイトにある。満天の星空の下、僕はウイスキーをちびちび飲りながらこの旅最初で最後の焚き火をひとり楽しんだ。

6日目
 北海道最終日。
 昨夜キャンプ場でシャワーが使えなかった為、まずは富良野のフラヌイ温泉で朝風呂につかった。昭和を感じるシブい施設の温泉なのだが娘はたいそう気に入っていた。その後江別の回転寿司トリトンで昼食を取り、13時過ぎには小樽に着いた。バイクを停め、新婚旅行でカミさんと泊まったホテルを横に見ながら小樽の街を娘と散策する。
「ジェラート食べる?」
「うん」
特に会話が弾むわけでは無いのだけれど、この旅が始まってからというもの常に娘がそばに居る状況に今更ながらじんわりと幸せを感じるのだった。

 息子がバイクに乗り始めた時から、北海道に行きたい行きたいと言いつつ中々踏ん切りが付かなかった僕。娘のひと言から動き出した今回のツーリングは40年近くに及ぶ僕のオートバイライフの中でも大切なひとコマとなった。言い出しっぺの娘、それから送り出してくれた家族、もっと言えば思春期の娘が父親の存在を蔑ろにしないよう躾けてくれたカミさん。
 快晴の日本海を走るフェリーのデッキに佇み、船が残す白い航跡を見ながらそんな色々な事に深く感謝する僕だった。


 ちなみにこの旅で僕は動画を撮影していました。僕たちの記録の為にと編集を始めたのですが、せっかくだから公開してみようと思い、YouTubeにアップしてあります。ここにリンクを貼るほどではないのですが、興味を持って下さったら「茶袋バイク旅」で検索してみて下さい。


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