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オートバイのある風景 24 息子の883R

 このシリーズの21に登場した息子のSRV250は元々希少車(不人気?)のおかげか、我が家オリジナルの「Dorton」のエンブレムをはじめとするカスタムのせいなのか、車種不明で割と目立つバイクに仕上がっていったが、何しろ走りが元気で(雑ともいうが)度々の転倒に見舞われた。それは峠道だったり、街中の交差点だったり昼夜ところ構わずといった具合だった。時には親指を骨折したり、派手な裂傷で救急車を呼ばれた事もあった。しかし幸いどれも怪我は大した事はなく命に別状は無かったものの、さすがにうちのカミさんも呆れ果て、とうとう廃車となったSRVを前に
「限定解除するまで新しいバイクは駄目です。」
と、息子に大型自動二輪免許取得を命じた。つまり、もう一度教習所に通って来いという事である。

 これには息子も従わざるを得ず、教習所に通うことになった。社会人1年目、23歳の春の事である。
 仕事をしながらという事もあり、教習は夏過ぎまでボチボチと進み、その間僕達は次のバイク選びに余念が無かった。お仕置きのつもりで教習所に行かせたのに、父親と一緒に次はゼファー750だ、いやW650も良いぞと楽しそうに夜な夜なネットを検索してはバイク探しのドライブに出掛ける僕らを見てカミさんは悔しかったに違いない。

 候補はいくつかあった。ゼファー750等の4気筒にも興味があるようだ。僕としては一度乗りたかったW650にしてくれれば時々取っ替えっこして乗れるなぁなどと目論んでいたのだが、結局息子が選んだのは僕と同じスポーツスターの883Rであった。とは言え僕のはローダウンしてちょっとお洒落にしていたのに対し息子はワークスカラーの883Rで、後々バックステップにハイグリップタイヤと走り志向にイジって行ったのでつるんで走っても同じ車種には見えない2台になっていたかも知れない。

 この2台でも僕らはあちこちツーリングに出掛けた。
学生時代と違い、息子も社会人として何かと忙しく、ちょっとした夜走りやカフェまでひとっ走りといった乗り方は減り、休みが取れた時に北関東から会津や、高ボッチから陣馬形山などキャンプツーリングがメインの走り方に変化していた。

 ところで限定解除から次のバイク選びをする中で、初めて買ったバイクを事故で潰してしまい、それなりの怪我もする中で息子がそれでもバイクは降りないよ、という意味で言った
「バイクって道具じゃなくて生き方だよね。」
という言葉にハッとしたのを今も覚えている。この時点で30年以上もバイクに乗って来ておいてどうかとは思うが、自分にとってオートバイが何なのかしっかりと向き合った事があっただろうか。
 そうか、オートバイは僕にとって最初はカッコいい男になる為の変身ツールだったかも知れない。走り方を覚えて来てそれはスポーツの道具になったり、社会人になってからは余暇を楽しむホビーとして、または移動の手段、一時期は飯のタネにもなった。でもそれらはすべて本質とは言えなかった。
そして息子の言う
「バイクに乗るという生き方」
という言葉が僕の中ですんなりと腑に落ちたのだった。

メンバーはふたりだけLIFE!motorcycles


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