見出し画像

バイクショートショート ドートン/デイトナ

「お前、運転上手いな。」
ぶっきらぼうに男はそう言った。
 年の瀬の夜、イルミネーションに彩られた街で勇輝は白い手袋をはめ古いオープンカー走らせていた。助手席では男がアメリカンスピリットを燻らせている。
「車、何かやってんのか。」
「いえ、クルマは特に。バイクだけです。」
ふん、男はそう言ったきりまた黙り込んだ。

 野村勇輝は22歳の大学2年生。一浪して入った工業系の私立大学で建築を学んでいる。運転代行のアルバイトを始めたのは大学2年だった昨年の秋の頃からだ。建築専攻を選んだものの、果たして将来何が出来るのだろう、このままの進路で良いのだろうか。そんな迷いは留年の言い訳にもならないが結局春になっても進級は出来なかった。
 2回目の2年生で時間的に余裕のあった勇輝は随伴車の運転で稼いだバイト代で授業の合間をぬって教習所に通い、2種免許を取得した。将来職業運転手になりたいと思ったわけでは無く、客の車に乗ることが出来れば色々な車、高級車やスポーツカーに触れられるというそんな単純な理由からだった。

 案の定、客の車に乗るようになるとドイツ製の高級車やイタリア製の小型スポーツカーなどを運転する機会が度々訪れた。それはそれで確かに面白かったが、いわゆる話のネタにはなってもそれで何かが身につくと言う事もなく、それより会社の経営者やフリーランスで働く人達の武勇伝やうんちく、中間管理職の愚痴など、客から聞く話の方がよほどタメになるという事も分かった。
 そんなある日、ある客から勇輝に指名が入った。代行ドライバーの指名は珍しく、しかもその客の名前を聞いても勇輝には思い当たる節がなかった。
(誰が俺を指名したんだろう?)
 釈然としないまま現場に向かうとそこには優輝憧れの名車、ドートンのスパイダーが停まっていた。そして客の顔を見てやっとピンと来た。先週末に現行のドートンロードスターで代行運転をした客だった。今日はそのロードスターの元祖であるスパイダーでの代行依頼だった。冬の夜だと言うのにソフトトップの屋根は開け放たれている。
 無精髭にソフトカーリーというやや前時代的な風貌のその男は革のキーホルダーが付いたスパイダーのキーを無造作に勇輝に渡し
「運転、出来るか?」
と聞いた。
「大丈夫だと思います。」
勇輝はキーを受け取ると助手席のドアを開け男をエスコートし、それから手袋をはめて運転席に座った。実は勇輝がスパイダーに乗るのは初めてではない。葉山に住む伯父は子供がいなかったからか小さい頃から勇輝を可愛がり、自慢の車スパイダーに乗せてよくドライブに連れて行き、免許を取った後は度々運転させてくれた。勇輝がバイク車好きになったのは紛れもなくその伯父の影響だった。
 一切のパワーアシストのない操作系、軽量な車体にシンプルなOHC四気筒の1000ccエンジンを積んだそのスポーツカーを、勇輝は丁寧に走らせた。クラッチの繋ぎ方、シフトレバーの扱いも伯父譲りである。
 男は男で、先週ロードスターを走らせる勇輝の運転を見てこいつならスパイダーも上手に走らせるだろうと、愛車スパイダーで夜の街を流した後に行きつけのBARで遠慮なく飲んだ帰りだったのだ。

 次の週末も勇輝は指名を受けて海の見える小高い丘のホテルの駐車場に向かった。最上階のバーラウンジから降りてきた男は、遠回りだが海沿いの道を走るよう指示した。この日もやはり幌は開いたままだ。
 海沿いのバイパスから市街地に入りスピードが落ちたところで、しばらく黙っていた男がまたボソッと口を開いた。
「大学じゃ何やってんだ。」
「一応、建築を学んでます。」
「そうか…。」
そう言うと男はZIPPOでアメリカンスピリットに火を点け黙り込んだ。男は酒臭いのは勿論、実に胡散臭いのだが何故か不潔な感じはしなかった。寧ろ知的な印象すら勇輝は感じていた。

 その後も何度か勇輝を指名するものだから他のドライバー達は下品な揶揄い方をしたが、勇輝はお構いなしだった。何しろスパイダーを運転できる事が嬉しかったし、あの男が何者なのか興味すら湧いていたのだった。
 何回目かの依頼の時だった。
「俺の仕事、何だか分かるか?」
男が聞いた。
「えー?何だろう。金融とか不動産とかですか?」
「馬鹿野郎、俺の事反社か何かだと思ってんだろう。」
「いや、そう言う意味じゃ…。」
男は初めてニヤッと笑った。
「教員だよ、学校のセンセー、しかも私立の女子高だ。」
「えー!意外だなぁ。あ、すみません!」
「気にすんな、校内でも扱い難い不良教師だ。」
男はそう言ってまた笑った。それから自分の話をポツポツし始めた。両親も教員で厳しく育てられ、高校時代にバイクの免許を取りそびれた事、元々文学少年だったが親の要望で教職の道を選んだ事。そして建築を専攻している勇輝を羨ましいとも。
「お前、バイクに乗ってるって言ったよな。」
「はい。」
「何てバイクだ。」
「ドートンのデイトナです。」
勇輝が答えると
「どっちだ。」
と男は聞いた。
「は?」
「だから、スペシャルかチャレンジかだよ。」
「あ、チャレンジです。」

 ドートンが90年代初頭に出したデイトナチャレンジは当時のスーパーバイク選手権のホモロゲーションモデルで1000ccV型2気筒の強力なエンジンを積んだスポーツモデルだが
「ホモロゲーションモデルに豪華装備は要らん。」
というドートン社河内社長の鶴の一声で、市販モデルではレース仕様ではどうせ変更されてしまう多機能メーターやカーボンのサイレンサー、海外ブランドのサスペンションなどが省かれることになった。
 リミッター付きとは言え強烈なパワーを秘めたエンジン、高剛性フレームと真っ白なカウルに華奢な前後のバイアスタイヤという冗談のようなルックスで登場したチャレンジはやはり市場では受け入れられなかった。
 その後販売店からの苦情で急遽ラインナップに加わったのがエンジンパワーを抑え、豪華装備で乗りやすい車体設計に変更され後にドートンのベストセラーモデルとなる「デイトナスペシャル」だった。

「何か書いたらどうですか?」
「ん?」
「いや、上手く言えないすけど。」
男は街の灯りを見ながら、それ以上は何も言わなかった。

 それからぱったりその男からの依頼は無くなった。
何とか進級も決まり、専門課程の授業も本格的になる事からそろそろこのバイトも辞めようかと勇輝が考え始めていた2月のある晩、久しぶりに男から仕事の依頼が入った。場所は老舗のライダー用品店でしかもバイクで来いと言う。どうにもメチャクチャなオーダーだったが取り敢えず自分のバイクと随伴車の2台で指定場所に向かった。
 指定場所の用品店に着くと、すでに男は駐車場で待っていた。傍にはデイトナチャレンジが暖機運転をしているところだった。そして今下ろしたばかりであろう、このライダー用品店オリジナルの革のツーピースを着ていた。
「よお!」
男が嬉しそうに手を上げる。勇輝も自分のデイトナを隣に並べるとヘルメットを脱いだ。
「買ったんすか?」
「あぁ、やっと見つかった。チャレンジって探すと中々無いのな。」
「免許は?」
と聞く勇輝に男は
「今日交付されたばっかよ。」
と笑った。そして、遅れて到着した随伴車のドライバーに気がつくと
「何だ、車も来ちゃったのか。」
と言い、あっち行けと言うふうに手の甲を向けて振った。その悪戯っぽい笑顔に釣られ、勇輝も調子に乗って
「野村も今日で辞めますって、伝えといて下さい!」
と叫んだ。
 怪訝そうなドライバーが随伴車両で帰るのを見届けると男は言った。
「今から見つけに行っから、付き合えよ。」
「はい!」
すると店から用品店のオーナーである爺さんが出て来てその場に屈むと両手で地面を触り、その手で男のまっさらのレザースーツの肩をポンポンと叩いた。
「何すか?それ。」
と聞く勇輝に爺さんは
「転ばないまじないさ、昔から新品のツナギをおろす時はこうしてるのさ。」
と言った。そして2台の真っ白なデイトナチャレンジを見て
「いいバイクだ。」
と頷いた。


 2台のデイトナチャレンジは冬の夜の街に独特の低い排気音を響かせながら走り出した。
(見つけに行っから)
先行するチャレンジの頼りないテールランプと男のへっぴり腰を見ながら勇輝は先刻の男の言葉を反芻していた。
(何を見つけに行くんだろう)
何かが見つかるのと、何かを見つけるのとはきっと大きな違いがあるのだろう、勇輝の頭の中はこれから何かが始まるという期待でいっぱいだった。フルフェイスの隙間から入り込む冷気は頬が千切れるかと思うほど冷たかったが、今夜は朝が来るまで何処までも、何かを見つけるまでいつまでも走れそうな気がした。
行き先はふたりにも分からない。

 

いいなと思ったら応援しよう!