北へ 6 会いたかった人〜北海道ツーリング〜
上士幌航空公園で迎えた北海道4日目のこの日、僕はある人に会いに行く事にしていた。以前ツーリング雑誌で見かけて以来気になっていたお店のオーナーである。美味しいハンバーガーを提供すると評判のお店なのだが、目的はハンバーガーというよりお店のオーナー自身である。
どんより曇った空の下、今日も連泊するという福山のアフリカツイン乗りのキャンパーさんに昨夜のお礼を言い、キャンプ場を出発した。士幌町の道の駅でお土産を発送する間に洗濯を、と立ち寄ったコインランドリーでは軽キャンピングカーで旅をしている初老のキャンパーさんに声を掛けられた。愛知から来ているという事で旅の日程やルート、明日参加するらしいタウシュベツ川橋梁ツアーについての情報交換などしばらく話をしたのだが、実は若い頃からずっと浜松のバイク部品製造メーカーに勤めていたとの事で、僕のSR400を見て懐かしくて声を掛けたのだと言う。
「お仕事は忙しかったですか?」
と聞くと、彼は一瞬渋い顔で考えた後、
「忙しかったねぇ。」
と少し嬉しそうな顔でそう言った。
一旦その場を離れ、道の駅でお土産を発送した後に洗濯物を回収する為にコインランドリーに戻ると今度は地元の人に声を掛けられた。
「ここは何も無いでしょう?」
と言うので、僕は
「いやいや、本当に良いところで楽しませてもらってます。ありがとうございます。」
とお礼を言った。「何も無い」が有る、なんてありきたりの言い方はしたくは無い。道東を初めて走り、広大な農地とそこで働く人たちを見た時、ジャガイモなどの美味しい農産物や乳製品が安く手に入るのはこの人達のおかげなんだ、ただ成り行きでだだっ広いところで大量生産しているわけじゃ無いんだ、いい土地で一生懸命作ってるから美味しいんだ、そう思い走りながら自然と涙が出て来たことを思い出した。
足寄町にあるそのハンバーガーショップに着いたのはお昼少し前だった。平日という事もあり、すんなりとオーダーを通してもらう事が出来た。メニューを見ておすすめのバーガーの小さめを頼んだと思う。以前雑誌でお見かけしましたよ、と声を掛けていいものか迷っていたのだが、待っている間に店内を見回すと当時の雑誌がちゃんと置いてあったので商品を受け取る時にマスターに声を掛けてみた。
実は去年も近くを通っていたのだが、へそ曲がりな僕は雑誌に載った事もあり、評判も良いお店だからと敢えて素通りしていたのだった。でも今回こうして訪問して、マスターとすこしでも話が出来て本当に良かった。
近頃口コミとかでやれ店員の態度が、とかサービスが、とか愛想が云々とうるさい事を言う人も多い。そしてそれらをクリヤーしたお店の評価が高かったりするが、そのお店、そのスタッフはお客様を気持ち良くさせるのが目的なのか?本当にやりたい事はそれなのか?と穿った見方を僕はしてしまうのだ。
足寄のマスターは純粋に朴訥に自分の納得できるハンバーガーをこしらえているように思えた。サービスやビジネスなんかじゃ語れない、人の営みを感じる空間が僕に語りかけて来る。道東の丘陵地帯に広がる広大な農地とそれは何ら変わらないのだと。
テイクアウトして道の駅のベンチでハンバーガーを食べながら、僕はそんな事を思っていた。
この日僕はもう一人のマスターに会いに行った。
南富良野は幾寅駅の近くであまり目立たないカフェを営業している。初日にも訪問したトマムで紹介してもらい、去年もお邪魔しているカフェだ。
一年振り二度目の訪問の僕をマスターはすぐに思い出してくれた。今回のツーリングではトマムのご主人にはお酒を、そしてこのカフェのマスターにはあるものをお土産に持って来た。それは1990年代のガラケー、カシオのGzOneである。と言うのもこのカフェにはレトログッズを並べているショーケースがあり、古いカメラと並んでノキアの携帯が飾られているのを去年見て、僕の引き出しに眠っているGzOneを是非持って来ようと随分前から考えていたのだ。
普段、人とむやみに深く関わらないようにしている僕にしたらこれは珍しい事かも知れない。でも今回は引き出しの中の古い携帯を見た時にこのカフェのマスターを思い出し、北の大地に想いを馳せる事がなぜか素敵な事に思えたのだった。レトログッズに始まり共通の趣味であるバイクの事など話題は尽きなかったが、キャンプ場のチェクイン時刻があるからと16時頃お暇した。
すぐ近くにあるかなやま湖のキャンプ場を横目に見ながら僕が向かったのは日高沙流川オートキャンプ場である。3年前の息子との北海道ツーリング初日にバンガローを利用し、去年は去年で土砂降りの日勝峠を越えて這々の体で辿り着き、急遽バンガローを申し込んだところ偶然息子と利用したのと同じ棟だったという、僕にとっては思い出深いキャンプ場である。今日は初めてフリーサイトでテントが張れそうである。
普段からより遠く、知らない場所、知らない道を探して旅をしているつもりが、今日はお世話になった人、昔の記憶、思い出の場所を辿るような旅程になっている事が何となくおかしくも嬉しく感じながら走る夕刻の峠道だった。