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オートバイのある風景21 息子のSRV

 バイク便を廃業して再びサラリーマンに戻った僕は、しばらくの間バイクを持たない時間を過ごした。このエッセイのスタート時に「バイクを切らしたことはない」などと綴っているけれど、すみません暫く乗っていない時期がありました。言い訳ではないけれど、その間ずっとネットで次のバイクを物色していたし、自分がバイク乗りであるという自覚は持ち続けていた。問題はいつ乗るか、タイミングだけだった。ちょっと長い乗り換え期間と言っても良いかもしれない。

 そんな僕に転機が訪れたのはある年の冬、年が明けてしばらく経ったある日の事だった。この春大学3年になる息子がバイクの免許を取りたいと言うのだ。

         *        *

 少年野球のコーチでもあった僕の下で小学3年から中学まで野球漬けだった息子は高校受験の直前「高校で野球はやらない」と宣言した。てっきり僕を「高校球児の親」にしてくれると思い込んでいた父親としての夢はあっさり消えてしまい、しばらく僕たち親子の関係はカミさんや長女が呆れるほどにギクシャクしていた。
 それでもその年の秋には、自転車でツーリングに行きたいという息子に「年に一度父さんとキャンプツーリングに行く」という条件でサイクリング車を買い与え、夏の男旅を通して徐々に親子関係を修復して行くのだった。
 そのおかげかどうか、彼は大学生になると準硬式野球部に入部した。準硬式野球部は高校野球経験者が集まる部活だが、体験入部を終えた息子が自己紹介で「高校では野球をやっていませんでした」と言ったところ、高校でやってなくてあれだけ出来るのか、と皆が驚いたらしく
「父さんと基礎をやって来て良かった。」
と僕に言ってくれたのだった。
 中学の頃の用具はすでに使えないものも多く、早速僕たちは行きつけの野球用品店に行き練習着や硬式用のバット、練習球などを買い込んだ。5〜6万円は支払っただろうか、
「こんなに良いの?」
と聞く息子に僕は
「息子が野球やって喜ばない親はいないよ。」
と答えたのだった。
 何でこの言葉を強豪のクラブチームでもがく中学時代の息子に言ってやれなかったのだろう。後悔先に立たずとは言うけれど。
息子のおかげで僕もほんの少し成長出来たのかも知れない。

     *       *

 そんな息子がバイクに乗りたいと言い出した。
小さい頃には僕とタンデムツーリングもしているし、サイクリングで長旅の経験もある。友達とは「水曜どうでしょう」の影響でカブ旅も経験しているから、確かに素養はあった。
 でも僕は反対した。だって危ないから。しかしすぐにカミさんが割って入った。
「子供がやりたい事を親が止める権利はないよ。」
 彼女も元バイク乗りで、散々僕も迷惑をかけて来た。それでも息子の夢や可能性を邪魔しない、見届ける、という観点ではやはり母親というのは肝が据わっているのだろう。もとより僕も他人に対してはバイクは勧めない、止めない、というスタンスで今までやって来た。バイクは良いよ、と勧める事も無ければ、乗りたい奴がいれば出来る限りの支援をして来たつもりだ。
 そんなこんなで出た結論は
「なら父さんも乗る。しばらくは一緒に走る。」
であった。
 
 息子のバイクデビューは大学3年の春に決まった。春休みに免許を取り、貯金でバイクを買う、保険も21歳になれば安く入れる、という理由からだった。早速バイク選びが始まった。ネットオークションを見ながらあーでもないこーでもないと選んでいく中で予算、車格、本人のバイクに対するイメージなどからヤマハのSRV250に絞って探すことになった。
 市内から果ては県外の量販店まで、良さそうな物件があれば一緒に出掛けて行って現車を確認するというドライブを何度か経て、最終的に相模原の大型店で緑のSRVを買う事にした。当時の我が家の車はステップワゴン、自宅の物置からタイダウンやラダーレール、工具一式何でも出て来た事と遠方のお店でアフターサービスも不要という事で納車整備を省いてその分安くしてもらい、車で引き取りに行く事になった。

 そして並行して僕のバイク選びも始まっていた。
予算も乏しいし、息子のバイクも家でメンテナンスすると決めたので自分のバイクはネットオークションで買う事にした。予算内で色々物色してみたもの、もはや「息子と一緒に走れる」という喜びで胸がいっぱいのため、正直息子の納車に間に合えばなんでもいいやくらいの勢いではあった。

 バイク便をたたんでから約8年、僕のオートバイライフの第二章が始まった。


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