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オートバイのある風景11 北海道とみっちゃんのGPZ750


話は前後するが、僕が限定解除するきっかけのひとつになった先輩ライダーがもう1人いる。

CBX400Fの車検切れ最後の年、僕と彼女は2人で北海道ツーリングに出かけた。

実はこの年、僕は三鷹市深大寺の安アパートで彼女と一緒に暮らし始めていた。言うまでもなく、度重なる留年に痺れを切らした彼女が上京して僕の生活を立て直すという目的のためである。
そのために、あと2年地元の病院に勤めれば免除される奨学金の返済を、彼女は自費で前倒しして完済して来たのだった。こんな時、どこでも働ける看護師はいいなぁ、などと呑気な事は口が裂けてもいえない。
この件に関して僕はいまだに彼女に頭が上がらないのである、いや、本当に。

さて、そんな神田川のような世界の2人ではあったが、東京での二人暮らしの思い出のひとつに北海道に行きたいね、という事になったのだろう。僕はCBX、彼女はVF400から乗り換えたブルーメタリックのCBR250Fで一路北の大地を目指す事になった。
テント無し、シュラフだけ持参してライダーハウスを巡るツーリングである。

北海道上陸2日目、僕たちは屈斜路湖畔の和琴レストハウスのバンガローに宿泊した。
ここはレストハウスでジンギスカンを食べるとキャンプ場にあるバンガローを使う事ができると言う事で、旅人に人気のキャンプ場だった。夕方になるとキャンパー達が食堂に集合してジンギスカンを食べ、その後スタッフの兄貴を囲んで「とんぼ」を皆で大合唱するという、きわめて昭和チックなキャンプ場だった。

ここで同じくカップルのツーリングライダーと知り合った。
横浜から来たという、みっちゃんと彼女のHさんだ。
みっちゃんは黒いGPZ750、Hさんは初期型のSRX400に乗っていた。ふたりとも随分と旅慣れていて、アウトドア初心者だった僕らはこのキャンプ場のバンガローに連泊した2日間で色んな事を教わった。そして、東京に帰ったら一緒にキャンプツーリングに行こうと、お互いの連絡先を交換して別れたのであった。

東京に帰ってしばらくした11月初旬の連休、約束通り僕らは4人で西伊豆にキャンプツーリングに出掛けた。ちなみにこのツーリングのために初めて買ったテント、ダンロップのR403はいまだに現役である。 
さて、当時は今よりキャンプ場が少なく、またオフシーズンは閉まっているところがほとんどだった。この時も確か宇久須辺りだったと思うが、クローズしたキャンプ場がトイレだけは開放しているという事で利用させてもらう事にした。
色んな意味でおおらかな時代だったのだと思う。

それでもその夜、みっちゃんから教わったのは
「これからのアウトドアはヘビーデューティからローインパクトの時代なんだ。だから焚き火は基本的にやらない、洗剤も使っちゃダメなんだよ」
という内容だった。たしかアメリカのヒッピームーブメントとか、そんな事も含めた小難しい話しだったような気がするけれど、その辺はよく憶えていない。

海に面した無人のキャンプ場でガスランタンの灯りの下、「シュー」というガスカートリッジの音と波音を聞きながら、僕はぼんやりとそんなみっちゃんの話しを聞いていた。

この翌週にはベルリンの壁が崩壊し、日本ではバブル景気がピークに向かい始めた1989年の初冬、90年代のアウトドアブームが到来する直前の夜だった。

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