当たり前が増えてきた✴︎遊学日記week3@CDMX, México
水を飲む。浄水器の水が少なくなっていたら、いつも通り水を汲む。
洗濯をする。洗濯機が知らせてくれるタイマー通りに洗濯物を迎えにいくと、残り6分と表示されていて、またか、と思う。
お皿を戻す。迷うことなく正しい扉に手を伸ばしている。
当たり前にからだが動いてきた、家のなかだけ。
4/29 どこにいるのか忘れていた
部屋のドアを開けておくと来客がやってくる。わたしの方が新参者。
映画を見に行った。
Mi Amigo Robot (Robot Dreams)
セリフは一切なく、でてくる言葉は看板やテレビの文字だけ。
それだけなのに、登場動物(動物とロボットしか出てこないの)の気持ちに存分に浸れる。少し悲しいおわりだった。でも悲しいだけじゃなくて、犬さんとロボットの思いが重なっていた気がする。
映画が終わるまで、自分がメキシコにいるのを忘れていた。ホストブラザーと彼のパートナーと3人で見に行ったのだけれど、終わった後のわたしたちの表情が同じで、言葉以外のもので繋がった感覚になってすごく落ち着いた。
Cinetecca Nacionalというすごくいけてる映画館だった。1974年に開業して、2012年にリノベーションされたらしい。屋外上映用のスペースや、ただただ寝っ転がれる芝生など、のんびり過ごせる仕掛けがたくさんあって、そのわりに秩序があって落ち着いた雰囲気が保たれている。海外の映画や昔の映画、他の映画館では上映が終わった映画など、少しニッチなセレクションで、上映スケジュールを見るのも楽しかった。ちなみにメキシコの本編上映前の予告編は短い(多分)。
いつもご飯をごちそうになっているから上映後のアイスでお礼をした。マメイという初めましてのフルーツのアイス。生を食べたことないけど、アイスで大活躍するフルーツだと思った。色もかわいい。
4/30 異邦人
ホストファミリーにひっついて動くだけではなく、そろそろひとりだちしなければと思い、歩き回った。
Museo Casa Estudio Diego Rivera y Frida Kahlo
二つあるうちの一つは建て替え工事中で、もう一つは1階部分で撮影をしていていた。
本来の1/4しかみれてないではないか!!
2階から見下ろす形で1階が見れたし、メキシコの撮影現場を目の当たりにできたのも珍しい経験だったので満足。
事前知識を何もいれないまま足を運んだ。Diego RiveraもFrida Kahloが夫婦でアーティストだったということしか頭に入ってなかった。記事を読んで他の場所にも足を運びたくなった。
San Ángel→Coyoacan
たくさん歩いた。たくさん数字を集めた。
優しさに助けられる
ホストファミリー宅の近くはメトロバスやメトロ(交通系ICで乗れる公共交通機関)が走っておらず、どこか遠くに出かけるときには現金支払いのバスに乗る必要がある。これが本当に難しくて困る。
乗り方:
①走ってくるバスの窓にかけられた行き先が書かれた小さな紙と、Google Mapが示しているバスの行き先が同じか確認する。
(そもそもGoogle Mapに書かれた地名が多すぎて、どれが行き先として書かれるのかはわからない)
②わからなすぎてバスを何本か見逃す。
③らちが開かないことに気がつきとりあえず来るバスに乗り、運転手さんに行き先に行くか確認する。
④$8(¥80。安い)払う。コインだとよし。
降り方:
①停留所はない。
②好きな場所でストップボタンを押し、スピードを少し落としてくれるバスから飛び降りる。運転手さんに感謝は忘れずに。
事件発生。お金をおろしたてで大きなお札しか手元にない。しかも$50。
運転手さんが「それは無理。誰かに両替してもらい。」みたいな仕草を見せる。
よくわからなくてきょろきょろすると、前の方に座っているおばあちゃん二人が自分のお財布を確認してくれているけど、さすがに$50を両替はできなそうで首を振っている。
何が起こってるかまだ把握しきれていないわたし。
そのすぐあと、乗客の一人なんと$10をわたしに渡してくれた。
優しさに救われた。
こういうときに自分が明らかにその土地に訪れている人って、見た目でわかることが少しありがたいと思う。同時に、そういう理由でなく助けてくれる心を持っていた人だったら失礼だよなとはっとした。
5/1 QUESO
お昼をおばあちゃんの家で食べた。
教わった指遊び。
5/2 ここでも
5,6月にかけてメキシコシティの語学学校に1ターム通う。クラス分けのテストを受けに行った。
文法のテストは家でオンライン受験をし、学校に行ってスピーキングとライティングのテストを受ける。どうにかこうにかテストを乗り越え、ちょうど真ん中のクラスに割り振られた。
メキシコ自治大学UNAMの附属のCEPEという語学学校に通うので、手続きを終えた後に大学をうろうろした。
中央図書館に向かって歩いていると、広場に少し大きな集団がいて気になって近づいてみた。行われていたのは、パレスチナ自治区ガザ地区の住民を支持する抗議。
Biblioteca Central UNAMはメキシコシティの中で観光地の一つ。
過去にはTlatelolco Massacre(トラテロルコ事件)に対するストライキがUNAMで行われた。自治や抗議の歴史をもち、世間の政治的な感情を動かした過去がある。UNAMでの動きがきっかけとなり、周囲の行動を変えたいという思いがあるよう。
数日前に友人のストーリーをきっかけに、コロンビア大におけるデモ隊の野営キャンプにまつわる記事を読んでいた。国を超えて運動が広がっていることを実感した。知識が浅いわたしは、そこで自分なりに考えをめぐらすまでにいかなかった。
5/3 小豆を炊く
ホストファザーはグルメな人で、自分で料理を作るのも好き。家には世界のいろんな食材や調味料がある。
そんな彼と冷蔵庫に必ず入っているものについて話していた。そこで出てきたのがfrijores。豆を炊いて粗いペーストにしたもの。タコスの材料の一つになったり、パンにチーズとのっけて焼いたりする。唐辛子の辛みがきいたメキシコ料理をクリーミーにしてくれる優れもの。
frijores、最初から思っていたけど見た目がほぼあんこ。
ということで、あんこを炊いた。小豆はもちろん食材棚に入っていた。
メキシコには、お米と牛乳とシナモンを使ってつくるお菓子がある。
日本人が甘いお米の想像があまりつかないのと同様に、メキシコ人は甘いお豆の想像がつかない。
気になりすぎて時々鍋をのぞいて少しかき混ぜて去っていくホストファザーに、翌朝トーストを焼いてあんバタートーストを試してもらった。お気に召した模様。
5/4 虫をたくさんいただいた日
メキシコでは結構虫を食べる。ゲテモノ枠ではなく、おいしくいただく。
①Chapulines(バッタ)@オアハカ出身の人の屋台、家、ちょっといいレストラン
揚げたものがチリと混ぜられていることが多い。食感と辛味を楽しむ感じ。
お家にもある。ワカモレ(アボカドのペースト)と食べたり、タコスの上にトッピングとして乗せたり。他の虫たちに比べて希少価値が低く、結構手軽に手に入るらしい。
②Gusanos de maguay@ちょっといいレストラン
テキーラやメスカルといったメキシコで有名なお酒のもととなるアガベの葉や根に住んでいる幼虫。
外はカリカリ、中はクリーミーだった。
③Chicatanas(大きいアリ)@オアハカ出身の人の屋台
酸味があった。基本的に虫は味がしなくて、食感と揚げた香ばしさを楽しむものだと思っていたからびっくり。
④Cocoapache@オアハカ出身の人の屋台
ケサディーヤのトッピングとして食べた。パリパリ。味はチーズとサルサに負けてよくわからなかった。
虫平気な人はググって欲しい。もとの虫さんの見た目を見ると食べたくなくなる。
メキシコシティの南東にあるオアハカという地域がメキシコ国内でもいろんな虫を食べることで有名。メキシコシティでは少しいいレストランや品揃えが豊富なマーケットに行かないと出会えない。
日常的に食べられているわけではないし、値段も高いことが多いらしい。それにしても1日でここまでたくさん出会えることにびっくり。
屋台で虫と並ぶ形で日本でいう桜エビのような小さなエビを渡された。
5/5 mi casa
友人が紹介してくれたメキシコ人家族(息子2人とお母さん)と過ごした日。
Casa Pedregal(ペトレガル邸)
Luis Barragán/ルイス・ガラバンの作品。長らく人が住めないとされていたメキシコ南部の溶岩地帯に建てられたもの。そこから動かない、固い岩という自然とともに人がどう住うのか、自然と人工物、そして人の暮らしの重なりが見えたような気がした。
ブーゲンビリアのピンクや青い空、自然から抽出した色を反映させている。
そしてなによりも、「木々の緑よりも美しい緑は、この世に存在しない」という理由から緑を塗装に使わない彼の住宅のガーデンが本当に美しかった。
メキシコのアートコレクターであるCésar Cervantesが買い取り、元の持ち主が手加えた内装や庭を、Luis Barragánが求めていた状態に近づけようと研究を進め、今がある。残すのにかけられた時間も感じられることが、とてもおもしろい。
Museo Anahuacalli
メキシコの有名な壁画家であるDiego Riveraが生涯を通じて買い集めたコレクションが所蔵されている。
Riveraは1933年からこのミュージアムのコンセプトとデザインを考え始め、多くの時間を費やした。ミュージアムは1964年、彼の死後7年後にオープンした。
テオティワカンやテノチティトランの建造物を模して建てられたもの。20世紀前半のメキシコ革命後、メキシコという一つの国としてのアイデンティティを探るにあたって立ち戻ってトレンドとなっていた土着主義に基づいてる。
オルメカ、トルテカ、ナウア、サポテカ、テオティワカンなどの2000に及ぶコレクションが展示されている。これだけの数のものを一人がコレクションしていたことに驚く。
彼はAnahuacalliを芸術都市にしたいと考えていた。踊りや音楽、演劇などが芸術家や職人の作品と統合され、大衆演劇が時代を超えて賞賛されるような大きな広場を囲む、そんな建物と広場を組み合わせた都市。
そんな彼の願いは、Mauricio Rochaによる増改築のプロジェクトに繋がった。展示や図書スペースの拡張、ワークショップスペースの増設を実現したもので、わたしが訪れた時にも陶芸教室とダンスレッスンが行われていた。コンクリートと火山岩を組み合わせた基礎や壁面で、もとの自然のあいまを縫うようにしてアートの島が浮かんでいるような感覚だった。
一緒にお出かけをしたお母さんはメキシコシティで生まれ育った生粋のメキシコシティっ子。いろんな地を転々とするわたしの話を聞いて、彼女のあこがれの地はフランスだと教えてくれた。
そして「わたしにとっての帰りたい場所は家族がいる家であって、どこかの土地ではない。だから一つの場所にずっと住み続けることは素敵なことだと思う。」と伝えると、「わたしたちの場所があなたの帰る場所になるよ」と言ってくれた。
身体が少しずつメキシコに馴染んできた今週。
頭と口も追いついてきますように‼︎