よく考えれば体が悲鳴をあげていた✴︎遊学日記week25@Cusco&Puno, Perú & Copacabana&La paz, Bolivia
クスコーマチュピチュ間ローカルバスと徒歩の旅、ペルーボリビア陸路国境越え、地を辿って動き続けた日々。
9/29 聖なる谷
7時に家を出て、チンチェロまでの コレクティーボ/ミニバン乗合タクシー 乗り場に向かう。12人くらい乗っていた。
オリャンタイタンボ直通のコレクティーボもすぐ隣のバス停から出てるけど、チンチェロの日曜市に行きたいので寄り道。
📍チンチェロ、オリャンタイタンボ行きコレクティーボ乗り場(クスコ⇔チンチェロ:7ソル)
寝て、友人と電話をして、Googleマップを確認したらチンチェロに着いていて、急いで「降ります!!」と叫んで降ろしてもらった。終点はもう少し先で、降りたのはわたしだけ。
歩いて日曜市が開かれる場所に向かう。早すぎて、食材と軽食屋さんしかまだやっていない。端の方に座って日記を書きながら他のお店が増えていくのを待つ。
わざわざチンチェロに寄り道した目的、かわいい民芸品を買う、を無事達成した。帽子はお店のおばちゃんの手作りで、それぞれの推しポイントを教えてくれて、たくさん悩んだ末にここっぽいわけではないけど、気に入ったものを購入した。かばんは色の組み合わせが無限大でものすごく悩んだ。値段は少しごねると少しだけ安くしてくれる。ローカル感はあるけど、観光客がかなり来るのでおばあちゃんたちも商売上手だ。
最短日数、安く、楽しくマチュピチュに向かうために、寄り道ばかりしていると困るので、チンチェロは日曜市だけで早々に次のまちへ向かう。ゆったりしていてお散歩が楽しそうな街だった。
チンチェロからオリャンタイタンボまでの直通バスはないので、とりあえずウルバンバまでバスで向かう。ちょうどいいタイミングでバスが来た。Urubamba と書いてあるから一目でわかる。混んでたけど一番後ろの席に座れた。向かう道中の景色が気持ちいい。
📍ウルバンバ行きバス乗り場(チンチェロ⇔ウルバンバ:4ソル)
ウルバンバはオリャンタイタンボ同様、聖なる谷と呼ばれる地域に含まれているのできっとまちもきれいだと思う。先を急ぐためにバスの乗り換えしかしなかったけど。
📍オリャンタイタンボ行きコレクティーボ乗り場(チンチェローウルバンバのバスの終点でもある)(ウルバンバ⇔オリャンタイタンボ:3ソル)
オリャンタイタンボの中心で降りる。今日はここで一休み。宿を探して歩く。夜にオンラインで予定があったためできれば個室をとりたい。40ソルでかなりきれいな宿に出会えた。一つ聞いたドミは朝ごはん付きだけど50ソルした。
📍ホテル
市場に行きお昼を食べ、今後の食糧としてフルーツとパンを買った。日曜日で市場の食堂は2割しか空いてなくて、日本で唯一食べたことのあるペルー料理 ají de gallina / 鶏肉の黄色シチュー? を頼んだら美味しかったけど冷めていた。ちょっと残念。
まちをお散歩して無料の展望台に登る。遺跡には入らず、展望台から眺める。帰りに翌朝の Hidroeléctrica / 水力発電所 行きのバスを予約して帰宅。
📍展望台
📍水力発電所行きのバス予約店(オリャンタイタンボ⇔水力所:40ソル(他のところは60〜70ソルって言われた。リンクのレストランの隣の両替屋さん。))
オリャンタイタンボのまちは水の流れる音が聞こえてくる。石の水路を流れる水、住民はちょっとした洗い物に使っていた。それだけ澄んでいる。
9/30 Stand by Me
8:30にバスを予約したお店の前に行くと、オーナーの息子さんらしき人が歩いて10分ほどのバス乗り場に連れて行ってくれる。オリャンタイタンボのまちなかから市場の方面へ少しだけはずれたところ。そこからの乗客はわたしだけで、すでに乗っている人々を見るとみんな身軽だった。それもそのはず、私も実際持って行った荷物の半分しか使わなかったから。心配性なわたしは常に荷物が多い。
5時間弱ミニバンに乗っていた。上がって下がって、霧で周りがあまり見えなくなって、さらに進むと青空が広がって。
さて、到着。
食事処の前で降ろされる。
歩いてスタンドバイミーコースの入り口へ向かう。名前と国籍を記入して進む。
5分ほどすると線路沿いにずらーっと飲食店が並ぶ。サンドイッチやsopa y segundo / 定食を安く食べれる。なんとなくご飯が食べたくなったので、12ソル(480円)で鳥カツ定食を食べた。クスコの市場だと飲み物つきで7ソル(300円)なので、若干割高。先を急ぐなら軽食を持って行くか買うかして道中で食べるか、10km歩いたご褒美で早めの夜ご飯にした方がよさそう。
一瞬線路を外れて、再度線路と合流した後はひたすら線路に沿って平坦な道を進んでいく。帰り道の人々とすれ違いざまに挨拶をする。一人で歩く私にとってはそれが元気の源。すれ違ったり追い抜いたり抜かされたりするたびに、自分のバックパックにどれだけ必要ないものが入っているか思い知らされ、肩が痛くなってくる。途中、青色のペルーレール、黒色のインカレールに線路を譲りながら、止まることなくひたすら歩き続けた。
最後は線路から外れて、2km弱村に向かって歩く。日本の温泉街にそっくりな風景が姿を現す。
10kmを3時間半くらいで歩き切った。
村に到着してから同様に翌日分のチケットを求めるクロアチア人兄妹と一緒に、そのままの足でチケット販売の整理券をもらいに行く。
📍マチュピチュ翌日分チケット売り場
16:00に着いて、17:00に戻ってくる整理券をゲット。まだどのチケットも余っていたけど、さすが一番人気のルート3の2つは半分弱が売れていた。余りが何時かはわからないので、以下の3つのスケジュールを考えてとりあえず宿探しへ向かう。
50ソルの個室を発見。7階かつ予備の部屋だと言われる。部屋を見せて欲しいと頼むがちょっと綺麗にするから待ってと言われ、荷物だけ預けて、チケット売り場に戻る。
📍宿
番号順に整列させられ、建物内に入り、チケットを買う。一番人気、ルート3Aが記憶の限り6:00が2枚、7:00が1枚余ってた。ラッキーと思い7:00を購入。ちなみに日本の学生証も使えて半額の77ソル(約3100円)。
正直スケジュール①を諦めていて、②か③どっちがいいかなぁなんて考えてた。事前にチケット売り場の近くにいたガイドさんに朝と夕方どっちがおすすめかと聞いたらどっちもいいよ〜と言っていた。朝は霧がかかりやすいけど、ほとんどの遺跡が空いている。夕方は閉まっている遺跡もあるけど、夕日との相性が良くて15時ごろなら人も少なくなってきていていい、とのことだった。
数日後にボリビアのサンタクルスで外せない用事があり、確実にその日にサンタクルスに到着できるように最短スケジュールを選んだ。
クロアチア兄妹が夜ご飯を食べようと誘ってくれて3人で夕飯。お兄ちゃんがしばらく南米旅をしていて、妹が1週間合流してペルーを観光しているらしい。「寂しくて顔を見に会いに来た」という彼女のストレートな言葉に心がじんわりする。会えなくて寂しいのはお互い様だよね。
東欧出身の人と今までの旅の中で出会ったことがない。そう伝えると、彼も会ったことがないとのこと。経済的な理由が大きいみたい。兄妹は田舎に住んでいるのもあって、南米に長期間旅に出ると言ったら周りに変なやつだと思われたらしい。
わたしも日本じゃきっと変なやつだと思う。友人らは気軽に他国へ飛ぶ人が多いし、SNSのおすすめには世界一周をしている日本人のアカウントがよく出てくる。ただ実際は、日本のパスポート保持率は2023年時点で17%、ビザなしでいける国の数は世界一なのにも関わらず。
みんな海外に行くべきだ!日本だけしか知らないなんてもったいないなんてことは思ってないけど、行ってみたい国、見たい景色、食べたいご飯が日本の外にあるなら、心配は少し横に置いておいて、思い切りで足を伸ばす人が増えたらいいなと思う。わたしはそのおかげで日本のこと、地球のこと、周りの人のこと、をもっと好きになって、大事にしたくなった。
クスコにいる間にやりたかったこと、「クスコでクスケーニャ(ペルーのビール)を飲む」。おつまみには良く見かけるポテチを買った。マキにおすすめされた黒ビールを選んだら甘くてびっくりした。苦いビールの方が好き。
10/1 マチュピチュビデオ中継
5時におはよう。
5時半にホテルのダイニングスペースで一人朝ごはん。パン、スクランブルエッグ、フルーツジュースを用意してくださった。
急いで食べて6時前にホテルを出発。
マチュピチュ村/アグアスカリエンテスからマチュピチュ遺跡までの行き方は2通り。
意外と昨晩疲れを感じていなかったのでハイキングで行くことを決めた。節約、節約♪
7時入場チケットは7時半までに入り口に入ればいいらしい。悠長に歩いていると入れなくなる可能性もあるなと思って、かなり頑張って登り続けた。余裕を持って歩きたかったけど、朝ごはんは5時半ってゴリ押しされたんだもん。登り切ったときの気温は15度くらいだったけど、タンクトップでもなお汗だく。
大きめの荷物は入り口前で預けさせられるらしい。バックパックとともに、階段を1時間上り続けるのは無理だと思って宿に置いてきた。その分帰りはまた村まで戻って荷物をもらって、スタンドバイミーコースを戻るので、1時間のロス。荷物大きいししょうがない。
あのよく見る遺跡のところで祖父母、母姉に電話した。マチュピチュビデオ中継。みんな喜んでくれた。
ChatGPTに解説をお願いして遺跡を回ったが、ガイドさんつければよかったなと後悔。入り口前で集団ガイドに誘われたけど断ってしまった。30ドル弱だったからお願いすればよかった。プロの知識はやっぱり違う。2時間弱ぐるりと回って出口へ。
遺跡の外でまーったりして、ハイキングコースを下る。帰りのクスコ行きのバスを逃すのが怖くて、めちゃめちゃ早歩きをしていた。そしたら高さの高い最後の1段でうまく着地できず、足を思い切り挫いた。結構な衝撃だったけど、下り切るしかないので、アドレナリンで鈍った痛みに感謝しながら少しだけスピードを落として進む。
宿でバックパックを回収して休む暇なくスタンドバイミーコースへ。足のことを忘れてずんずん進む。第二の災難で、雨が降ってくる。とりあえず進み続けるも、止む気配がないどころか雨足は強くなるばかり。バックパックのレインカバーも流石に耐えきれ無さそうで、被れるようなカッパも大きなビニール袋も持っていないので、大きい木の影で一旦休む。30分ほど足止めされて、少し雨が落ち着いたので歩き始める。さすがにぴったり止むまでは待ってられないから。時間との戦いでとりあえず進んでいるといつの間にか雨も止んで日差しで少しずつ濡れた服も乾いていく。にしてもバス停に到着しない。
ようやくバス停に到着した。バスは来たけどわたしの名前が呼ばれない。行きと同じバス会社にWhatsApp経由で予約をお願いしたはずなのに。呼ばれない、置いてかれる、もしかして帰れない、とあわあわしていたら、食事処の方々にとりあえずバスに乗ってと促され、何が起こるのかと思ったら別の食事処に連れて行かれた。帰りはもう一つの食事処発だったらしい。
いろんなところから予約が入っていて、管理する側も絶対に混乱していて、わたしを含めて遅れて到着した数人が発車時刻から1時間ほど待たされて、予定よりかなり小さいバンに詰め込まれた。置いてかれず帰れるだけありがたい。
クスコまでトイレ休憩もなくぶっ通しで5時間ドライブ。中心から少し離れたところで降ろされ、歩いて帰ろうとするも、足の痛みに耐えられずマキ宅までタクる。だいぶ腫れていたので多分捻挫。
ゆで卵だけ作って食べて、そそくさと就寝。
10/2 アカチャンの真相
気持ち悪さと、足の痛さで起きた。
お日様の下でクスコで出会った本を読み終えて、夜行バスのチケットを買いに出かける。歩いているうちに足の痛みに慣れてくる。
ペルー大手のバス会社、Cruz del Sur の学割チケットを買おうと思っていたらペルー人学生のみが対象だと言われ、別のバス会社のチケットを探す。
破格の20ソル(800円)。ちなみにクスコとプーノは340kmくらい離れている。念の為バス会社のレビューを調べるが、そんなに悪くないので買ってみた。
ペルー最後の食事、最後はガツんと食べたいと思い、マキにたくさんお世話になったお礼もかねて、pollo a la brasa / 丸焼きチキン を一緒に食べに行く。久々に pollo a la brasa を食べると喜んでくれた。どんどん値上がって、気軽に食べれなくなったらしい。
マキは幼くして田舎の親元を離れてクスコ市内にやってきた。ずっと道で過ごしてきたと彼は言う。
道で同年代の子ども、そして何かを与えてくれる大人と出会ったと言う。
ケンタッキーを仲間分おごってくれた中国人。初めて食べたファストフード、フライドポテトが全然味がしなくてびっくりしたって。村で食べるじゃがいもとはわけが違う。
「好きな靴を選んで」と仲間みんな分靴を買ってくれた大人。
一人一人の人生物語を聞いて、ラップをつくってくれたラッパー。
最初に働いたのは12歳のとき、ピザ屋さんの食器洗い。一日4時間働いて、月に250ソル。そこで1年くらい働いた後、新たに面倒見のいい雇い主に出会い、学校に通わせてもらいながら家の小さな部屋に住みながら家事をやっていた。月800ソル。成人してから、炭鉱で朝5時から夜の7時まで働いて月3500ソル。これが一番稼げたけど一番つまらなかったって。そこからは村に戻ったり、自分でつくったアートをクスコ市内で売ったり。
余裕のある生活ではないけど、でも彼の人生はとても豊かなのだ。
20歳前半でボリビア、チリ、アルゼンチン、ブラジルと旅をしたという。貯めたお金と、現地で自分のアートを売りながら。
海外に出てから、ペルーをもっと知りたいと思って今度はペルー国内を周った。
そして今はワーカウェイでいろんな人を彼の村に受け入れている。
もうしばらくしたらまた海外に行きたいって。行けたらもちろん日本にもって。
話があちこち飛んだ。
おもしろい人と出会った。次来る時はサーモンのお寿司を奢ることを約束した。
お別れ。家の出口で最後に「アカチャン」の説明を受けた。
「小さいお尻の穴」って意味らしい。頑なに隠されていたのが不思議なくらいくだらなくって、びっくりだ。
夜行バスに乗ってすぐ、嫌な予感がした。
朝の気持ち悪さが昼のおいしいけどがっつりの鶏肉でぶり返したのだ。
しばらくして下痢と嘔吐が始まった。バスのトイレにこもっても迷惑だと思って、出たところの階段に水とトイレットペッパーと一緒に座り込んで、いつでも駆け込めるようにスタンバイしてた。
トイレを行く人に迷惑がられたり、気持ち悪そうにしているのに気がついてレモンキャンディーをもらったりしながら、4時間くらい。
ようやく全ての波を乗り越えて席に戻って就寝。
原因が何かわからないけど、考えられるのは昨晩のゆで卵。しっかり茹でたけど、かなり低価格のあんまり質の良くない卵だからね〜ってマキが言ってた。卵、気をつけよう。
階段で座り込んでる時、インドの寝台列車でしんどそうにしていた友人を思い出した。絶対インドの寝台列車の方が環境悪いんだろうな、よく頑張ったなみんな、と思った。
10/3 ペルー側のチチカカ湖
4:30に着いた。
宿はいくつか巡って安いところを探そうと思っていたので、さすがにこの時間に動き出してもどうしようもない。6時過ぎまで寝たりぼーっとしたり。
朝早くから空いてるホテルを巡り始めて20ソル(800円)で個室+きれいな宿と出会い、シャワーを浴びて、洗濯物をさせてもらって、お散歩。島巡るツアー参加しようか迷ったけど、身体が休憩したがっている気がしてやめた。
完全復活っていうわけでもないので、市場でフルーツジュースとパウンドケーキを食べて、ゆったりまちをふらふらする。入れてもらいたいフルーツを言って、砂糖の有無やミルクの有無まで注文できる。半分くらい飲むと、追加でコップに入れてくれる。
市場の食堂もそうだけど、いろいろ融通がきくのだ。
「付け合わせはお米じゃなくてじゃがいもがいい」
「お米少なめでその分豆多めで」
「鶏肉は骨なしの部位」
「スープなくなったから追加して」
気が利く、ってわけではなく、頼んだら結構なんでもできる、といった感じ。
そういえばプーノに入ってからボリビア名物の軽食、salteña / サルテーニャ のワゴンを見かけるようになった。
湖の近くで魚が取れるから ceviche / セビーチェ 屋さんも多い。
10/4 ボリビア側のチチカカ湖
陸路で国境越え。コレクティーボに乗るためにボリビアーノが必要なのでとりあえず持っているペルーソルを全部ボリビアーノにしたい。ボリビア側の両替よりペルー側の両替の方がちょっとだけレートがよかったので、戻る。そこらへんの管理はゆるいので全然戻れる。
Copacabana に到着。歩き回って30ボリ(450円)で宿を見つけた。個室、そしてベッドは3つ。
📍宿
14時ごろ、お腹が空いてまちを歩いてみるが市場はすっかり店じまいの様子で、市場付近の食堂も品薄。どうしても trucha / マス のフライが食べたくて、食堂を聞き回って、trucha のフライを出しているお店を発見して入る。
パスタスープ、フランスパン、サラダ+米+trucha のフライ、デザート。全部合わせて12ボリ(180円)。
値段を気にしないのならこのお店に行きたかった。ボリビア入国一食目はローカルなお店がよくてやめておいた。物価がものすごくボリビアにしては高いけど、すごくおいしそうだった。
📍おいしそうなレストラン
展望台に登った。病み上がりにはかなりきつい登りだった。休みながらようやく登り切って、景色を眺めながらみかんを食べた。
チチカカ湖は本当に大きい。対岸は見えない。海みたい。港に船が並ぶ姿が、少し地中海沿いの街に似ている気がした。
宿のシャワーは電気で温まるタイプだった。蛇口を捻る時に少しビビってきた。危ない。そして熱いか冷たいかの二択しかなくて、信じられないくらい熱い。頭洗うどころではなく諦める。
最近見始めたワンピースを見て就寝。一緒に旅をしている感じがして、なんだか楽しいのだ。
10/5 長距離バス大事件
10時ごろ、広場から頻繁に出ているバスに乗ってラパスに向かう。20ボリ。
バスごと船に乗って湖を渡る。本当は人間は降りて別の船に乗り換えるんだけど、乗客のうち1割くらいの人しか降りなかったので、その他大勢とともにバスに乗ったまま船で湖を渡る。転倒の危険もあるから本当は降りた方がいいらしい。
昼過ぎにラパスに着いて、18:00発のサンタクルス行きの夜行バスチケットを95ボリ(1425円)で買って、荷物を預けてラパス市内に繰り出す。
Netflixのストリートフードに出ていた Doña Emi の papa rellena / コロッケ 屋さんに立ち寄った。papa rellena は売り切れていて、arroz relleno / ごはんコロッケ, plátano relleno / バナナコロッケ の二択。ごはんコロッケをいただいた。
ペルーの picarones / ピカローネス と同様、引き続き期待は超えてこない。ネットフリックスのあの番組に出ているご飯屋さんは、店主の人生ストーリーが食べ物そのものの味に深みを出していることを実感する。
Doña Emi に関してすごいのは、徒歩5分以内に2スタンド構えているのだ。2店舗目を出しちゃうくらい反響がすごかったんだろうし、その反響にのって、店舗増やしちゃうなんて、Emi さんやり手だなと思った。
地元民にもしっかり人気で、スーツ姿のサラリーマンやリュックを背負った学生がたちよって、スタンドに並ぶソースやいろんな種類のピクルスを試しながら頬張ってさっさとその場を離れていく。いろいろトッピングできるこのシステムがとっても楽しい。いろいろ試しているうちに周りの客は2回転くらいしていた。
📍Doña Emi
https://maps.app.goo.gl/AoJc34MgTP99EGpY7?g_st=com.google.maps.preview.copy
ボリビアは通過が安定してなくて闇レートが存在する。政府がドルを占領していて、国全体でドル不足なので、ドルからボリビアーノに両替するとものすごくレートがいい。ということでペルーでこつこつと現金を下ろして、両替しておいたドルを闇レートでボリビアーノにする。1ドル=10.4ボリ。公式レートは1ドル=6.8ボリ。
まちを歩き回って、早めにバスターミナルに着いて夜行バスの到着を待つ。
17:30に来てねと言われて、17:00にはバス会社の受付近くのベンチに座っていた。17:30になって受付のお姉さんにバスが来たかきくとまだと言われて待つ。17:45、もう一度聞くもまだ。来たら声かけてくださいと伝え座って待つ。
18:15、近くにいた違う受付の人にまだ来ていないのか聞いてみる。
事件発生「もう出発したよ」
「え。17:00からずっとここで待ってたんですけど、どうすればいいですか。明日までにサンタクルスにつかなきゃ行けないんです。」
このバス以降にラパスーサンタクルス間のバスはない。受付の人たちは少し呆れつつ、一緒に解決策を考えてくれる。
とりあえずターミナルから出るバスに乗って、次のターミナルまで連れて行ってもらって、出てしまったバスに追いつく作戦が始まった。
ちょうどバスたちが発車してしまって、本当にどうしようもないかもと思った時に、ターミナルを出発するバスが現れて、走って、とりあえずそれに乗らされる。どうなるのかいまいちよくわからないままそわそわ座る。ちなみに全然違うバス会社のバス。
次のターミナルに着いて、乗っていたバスを降りる。乗るはずだったバスのバス会社の人が現れる。と同時に、乗っていたバスの人がお金は、と聞いてくる。わたしはバス会社の人が払うのかと思っていたら、「払って」と言われる。え、「乗れなかったのわたしのせいじゃない。17時から目の前で待っていて、受付の人に何回か聞いたのに来てないと言われた。払うのはあなたたちでしょ。」と怒り気味で拒む。「たったの5ボリだよ」と相手も引き下がらない。乗せてくれたバス会社の人も困っていたので、とりあえず払う。たったの5ボリ、確かにそうだけど、責任が自分にあるって言ってるみたいで、絶対それは違うと思って、「信じられない」と嫌みたらしく相手に聞こえるように言った。
乗るはずだったバスに乗れて、でもバス会社の女の人は他の乗客に「このchinita (直訳は中国人の女の子という意味。アジア人の女性はよくこう呼ばれる)がね、ほんとに。」って漏らしてて、全部聞こえてるし理解できるし、と思って、でも反論しても仕方ないしと思い、むーっとしながら座席に座って、バスは出発した。
少し落ち着いてみて。
乗れてよかった。進むバスを走って止めてくれた受付の人、会社違うのに載せてくれたバスの人、待っててくれたバスの人々、ありがとうございます。
少々バトル姿勢になったのは正しかったはず。スペイン語で戦おうとした自分を褒めよう。だいぶ成長している証拠。
それではおやすみなさい。
10/6 車窓越しに熱を感じる
起きると平坦な土地が続いていた。
がらっと土地が変わるので来週に続く。
黄色い電球と白い電球が混ざり照らされる小道を進み、クスコを出るバス停へと向かう。
出会った本の中のクスコとわたしが見たクスコは少し違っていて、そしてまたいつか戻ってくる時に見えるクスコも少し違っているんだろう。
時間が経って振り返ると、捻挫して、下痢と嘔吐。
体が危険信号をだしていたのかも。