'ちょうどいい年'から1年が経つ
ちょうどいい年といわれた21歳。
「かく」という目標を掲げた。
翌日、後輩から角ハイボールのポスターの写真が送られてきた。
苦手なりに書いたと思う。
頭が痛くなるくらい考えて紡ぎ出した文章たちは、口に出して愛おしくなるもの。少し背伸びをしていて、大人っぽいの。
その場で咄嗟に繋げていった文章たちは、あとから読むとむずむずする。でも荒々しさ、初々しさは、そのときのわたしそのもの。
あんまり描いてない。
必要に駆られて、頭を整理するために描いた。
わたしの気持ちを乗せて誰かにと届けるために描いた。
足りてない。こつこつ積み上げていかないと。
踠いていた。というより、馳けていた、といいたい。
踠く、は事態をなんとかしようとあせり、苛立つこと。
踠いていたときも確かにあったけど、苛立ちよりも楽しみがいつでも勝っていた。
いつもおいしいご飯と一緒だったから、苦しみはぽいっとどこかにやることができていた。
21歳前半、あっちこっちと誰かと駆け回っていた。
21歳後半、自分一人で初めこそおぼつかない足で駆けていた。
なにかががらっと変わるわけではないし、変わっちゃいけない気がする。
振り返って、いらないものは手放し、足りないものは付け足す。
駆けまわるなかで取ってきたり、もらったり、付いてきたりしたあらゆるものを、自分の栄養にして、向き合う。いい場所に、いい形で、いい色に、美しく咲かせたい。「いい」の判断を研ぎ澄ませて、焦ることなく、でも確実に。