アンデスの暮らし✴︎遊学日記week24@Pataqueña, Cusco, Perú
聞こえるのは自分の呼吸と植物が風に揺れる音、ときどき動物たちが鳴く声。
ここを離れる日をカウントダウンをするわたしは、まちの生活を欲していた。
9/23 目を覚まして見えた世界
6:30ごろ起床。1日が始まる。家の小さな窓から見える空と山が、壁にかけられた絵のようで、まだ自分がここにいることが信じられない。
とりあえず勝手がわからないのでマキ(Workawayのホスト、30歳冗談好き男)に着いていく。いとこ(お母さんと同じくらいの年代だからお母さんと呼ぶ)のお家に行き、朝ごはん。パンとマテをいただく。
そのあと、リャマの皮剥ぎ。
まだ幼い、真っ黒な毛が美しいリャマが亡くなっていたらしい。赤ちゃんリャマは基本的には放っておくらしいが、きれいな黒色だからと、手足、お腹、と皮を剥いでいく。まだ血と肉が赤い。
慣れた人は赤ちゃんリャマなんかは15分もしないうちに皮を剥いでしまうらしいが、マキはまだまだ練習が足りないらしく、30分ちょっと一緒に格闘した。
きれいに皮がとれたら、内臓を取り出して、干す。お肉はわんこたちの餌になるらしい。ここでは何がどこから来ているのかが見える。「いただきます」の向かう先がある。
作業を終え、追加の朝ごはんでパスタスープをいただいた。パスタはクスコでマキがまとめ買いして持ってきたもの。
そのあとは羊たちを上へ上へと移動させる。小屋から鳴きながらでてきた羊たちを、シーッシーッと言いながら移動させていく。降って登って、意外と重労働。息が上がるわたしと違い、お母さんは荷物を背負いながらなんなく登っていく。アンデスのお母さんたちは働き者で、足の筋肉も立派。ここでは女性が生活を回している、とマキが言う。かっこいい。
マキの家へ戻り、今日の作業が始まる。新しく台所ようの建物を建てる予定らしく、基礎づくりのための石除去と土集め。マキはひたすら土地を掘って土をかき出し、私は転がっている石と掘り出して出てきた石たちを一箇所にまとめる。
お昼は茹でたじゃがいも。唐辛子/aji とナッツと塩をつぶして混ぜたソースをつけていただく。これがおいしい。そしてじゃがいもの種類が豊富で、色々試したくて止まらない。
シャワーを浴びて洗濯物をしたいというわたしの要望を受け入れてくれ、14:30にお手伝いを終える。水シャワーには慣れたけど、今までにない冷たさ。わーわー言いながら気を紛らわせシャワーを終え、手洗いで洗濯物をする。幸い、外は乾燥していて日が照っている間は暖かいのでどうにか耐えた。ただ絶対に毎日は入らないと心に誓う。
おうちはインターネットが繋がらないので、犬避けの棒をお供に10分ほど山を登る。家族と友人に元気にしていると言う報告をし、夕日を眺め、帰宅。
夕食はマテとパン。その後にスープパスタとゆで卵をいただいた。ゆで卵、貴重なタンパク質。21:30ごろ就寝。
9/24 パスタは炒ってから茹でる
6:30ごろ起床。マキは朝から昨日の夜行方不明になった羊を探しに朝5時ぐらいにすでに家を出ていた。何をお手伝いできるかもわからないので、ネットを求めてお散歩。お家に戻り、朝ごはんにスープを食べて子羊の移動と牛への水やり。
お昼ごはんはとうもろこしを炒ったもの。そのあとはマキが掘り出した土を台車で運ぶお手伝い。
夜ごはんは、ツナと野菜のパスタ。パスタは質が悪いから炒ってから茹でて、風味を出す。知恵だな。20:30ごろ就寝。
9/25 緑茶デビュー
6時起床。やらなきゃいけないことがあって朝からネットを求めてお散歩。
帰宅後、緑茶を入れた。
昨日の夜ご飯を食べた後のおしゃべりで、日本食の話になった。寿司の具材について話していると、サーモンを食べたことがないとのこと。サーモンはお金持ちが食べるものだって。夕飯はツナ缶を使ったパスタだった。ツナは食べれてもサーモンは食べれないのかと驚く。サーモンの寿司や鮭おにぎりなど作りたいが、あいにく材料がない。
寒いのでお茶を淹れようとなって、日本でも食後に緑茶を飲んでいたと話すと、緑茶も高くてなかなか飲めないものだと言われた。緑茶は誰かと一緒に飲んだり、少し一人で寂しくなった時に飲んだりするために持ち運んでいた。
そんなわけで緑茶。昨晩だいぶ興奮気味に緑茶を飲んだことがないと言われた割には飲んだ後の反応は薄めで、大事に、というよりかは勢いよく飲んでいた。おいしいのであれば、まぁいいか。その隣でわたしはゆっくりと、日本の夕食後の緑茶タイムを思い出しながら飲んでいた。
今日はお仕事はお休みして、リラックスデー。といっても家に娯楽もないので、ハイキング。1時間ほど歩いて、どうやらインカの人々が切り出したらしい直方体の石の上で休憩し、頂上までゴツい石を登って、まったり。お昼は昨日と同じとうもろこしを炒ったものと、街中から運んできたナッツ。とうもろこしと若干の甘みを感じておいしいけど、やはりナッツは自然の油が感じられて口が潤うおいしさで別格。止まらなくなるので、早々にビニールの口を結ぶ。
山のてっぺんからの景色をしばらく堪能したあとは、貴重なネット通信の下でES提出と性格診断を済ませる。こんなところまで来て何をやっているんだか。
帰り道、石や草に阻まれながら、けもの道を辿り進んでいく。降りながら、周りに見える景色にいつまでも圧倒されていた。
きれいという言葉では足りない、写真では捉えきれない、わたししか見ていない景色に尊さを、そしてここに連れてきてくれたマキに感謝を、この標高でもハイキングを楽しめる体に喜びを感じた。
帰宅後、今日のメインイベント第二弾。和食作り。着いてからずっと、何が作れるか考えていた。来る前に考えて材料を買えばいいのだが、できればここで手に入る材料で試行錯誤したいと思い、行き当たりばったりになってしまった。やはり主役はじゃがいも、そうなったら肉じゃがだよなぁと思いつつ、肉はあるのか、和食の甘味のある味付けを好んでくれるのか、など悩んでいた。色々解決した。
盛り付けで見た目はカレーみたいだけど、匂いも味もお家のほっとする肉じゃが。
お米は質が悪いのか残念な味と食感だった。普段はスープをに入れて飲むから、やっぱりその土地の材料にあった調理法があるんだなと実感。
みんなおいしいと食べてくれた。ペルー定番料理ロモソルダード/lomo salteado に似てると言われた。確かに牛肉とじゃがいもとパプリカを醤油風味で炒めてるので、似てるかも。
少なくとも月に一度は街中にでて、ここでは手に入らない野菜や果物、パスタ、パンなどの材料の買い出しを行うのが当たり前になったこの頃。
マキは10歳まで、近くの街中に出たのは計5回だと言っていた。道路が整備される前は、長い道のりをひたすら歩いたり、馬を使ったり、時間がかかる特別な行為だったらしい。
食事のレパートリーが増え、複数の食材から栄養素が取れるようになり、嬉しいこと。でも、昔の生活をマキは少し懐かしむ。
20時ごろ就寝。
9/26 アンデスの保存食moraya
6:30起床。スープパスタから始まる朝。
暖かい食べ物も10分もすればふーふーなんか全く必要なくなる。若干温め直ししたくなるくらい。
それもそのはず標高4000mの沸点は88度。最初からあつあつではないのだ。いつもより少し早く食べ進めないとおいしさが損なわれてしまう。猫舌にはちょうどいいのかも。
今日も土を運んで行ったり来たりかと思ったら、家に文字を残して欲しいと。何か意味のある言葉をアーティスティックに書いてくれと。ざっくりしている割にハードルの高い課題だった。四字熟語、ことわざ、気の利いた一言、頭を巡らせるけど全然出てこない。日本語を全然知らないなと痛感する。
選んだ言葉は「静寂」。彼がケチュア語で一番好きな言葉、ch’in を日本語で書いてみた。
覚えたケチュア語は少ないし、なんでか「にゃ」が入っている単語ばっかり。もっともっと美しい言葉がたくさんあった。
ちなみにナオト・インティライミの名前はケチュア語。
インティは太陽、ライミは祭りという意味。実際に6月にペルーで行われる南米三代祭の一つ。
筆はないから代用品を探す。スポンジ、もしくは椅子マットの羊の毛を引っこ抜いて枝にくるくる巻きつける。ないものは作るしかない、知恵だなと思う。でも壁がざらざらで羊の毛は負けてしまって、うまく使えなかった。今度は筆を持っていこう。
お昼はとうもろこしとじゃがいも。
マキが作った moraya / モラヤ を集める作業を始める。
日本で自家製チューニョを作ってる人がいた。すごい。
というわけで、マキが自分で育てたジャガイモを加工し、乾き切ったものをわたしが回収して家に運ぶという作業。藁のような植物の上で干されており、できる限り取り除いてモラヤだけを運ぶ。徐々に作業スピードが上がり、雨が降り出す前になんとか終了。保存食に水分は大敵、大事な食糧を守るため。マキが苦労して育て、手を加えたモラヤは、気持ち的にもとっても重たいものだった。
実際にチューニョやモラヤは毎日食べていた貴重な食材。生のジャガイモとは味も食感も違う。少しもちもちしていて、酸味を感じる。なんだか癖になる味がするのだ。スープは生と加工済みのものを混ぜて作られることが多い。生のジャガイモの方が割合は少なく、慣れ親しんだほくほく食感に出会えると嬉しくなる。
9/27 ごちそうの鳥、pisaq
6時起床。朝、おじいちゃんおばあちゃんに電話をしようと思ったのに、ネットが繋がらないので断念。この美しい景色を見せたかったのにな。
諦めて朝ごはんを食べに向かう。パスタ、の後にスペシャルメインディッシュ。pisaq と呼ばれる鳥だ。
実は昨日の夜、甥っ子が狩ったものを2羽持ってきてくれていた。ニワトリより一回り小さな鳥で、この肉がマキの一番の大好物らしい。
夜のうちに羽を剥いで、内蔵を取り出しておいた。朝になって、pisaq を茹でている間に、唐辛子、クミン、にんにく、塩を砕いて混ぜてソースを作って、絡めて焼く。弾力があっておいしいお肉だった。パチンコで仕留めるらしく、初心者にはだいぶ難しいらしい。狩りを生業としている甥っ子にとってはお手のもの。特別な食べ物をいただいた。
羊と牛のお世話をして、それぞれ洗濯物をする。旅に出てから手洗いが当たり前になった。
お昼はモラヤ。この間の ají & maní / 唐辛子とピーナッツ ペーストをまた作る。うまくいかず助けてもらった。
コツは乾燥唐辛子はさっと洗うだけで、水分をあまり含ませないこと。しなしなの方が潰れるのかなと思って水を足してたら全然ペーストにならなかった。濡らしてしまったものは引き返せないので、潰し方のコツも少しずつ掴んで、根気よく、続けて、お昼が完成。マキが塩を入れすぎてしょっぱくなった。
明日、またクスコ市内に戻ってしばらくお家を離れるので、手作りレンガのアドベを雨から守るために、草を刈って、アドベの上に被せ、さらにその上に途端をかぶせる。
食べるために、住むために、何かを買うのではなく、とってくる。自然からいただく、自分の身体をもってして、自然の助けを借りて、自分の身体をつくる。
クスコ市内に戻るとシャワーがないので、しかたなくここでキンキンの水シャワーを浴びる。3日半ぶりのシャワーは冷たさと気持ちよさが戦っていた。
夜ご飯は kaniwa / カニワ と呼ばれる穀物とオート麦を砕いたものをお水に溶かして砂糖を加えた、お茶というかスープというか。この kaniwa がきなこみたいでおいしいのだ。キヌアと成分がにているらしく、キヌア同様アンデスで昔から食べられてきたスーパーフード。
その後マキの親戚のお家にクスコ市内からのお土産でパスタなどを持っていきながらご挨拶。夜ご飯で卵焼き、acelga / フダンソウの炒め物、お米、じゃがいもをいただいた。一家のお家は基本的に役割ごとに建物自体が分かれている。このお家の台所兼ダイニングの建物は3畳ほどでとっても小さい。両親と1歳、9歳の子どもとわたしたち2人であわせて6人でぎゅーぎゅーに座ってご飯をいただいた。小さい分、台所の火で暖かさが建物全体に伝わる。
帰り道喧嘩をした。というか一方的に怒った。ずっともやもやしていたのが溢れ出てしまった。名付けて「赤ちゃん事件」。
日本語とケチュア語は発音が近いらしく、意味は全然違くてもそっくりな発音の単語がいくつもある。わたしのもやもやの発端は「赤ちゃん」という単語だった。マキは新しい言語を習得するのが好き、かつ幼い頃から道でなにかを売って暮らしているから言語習得のスピードが速い。ので、日本語とケチュア語でなんというのかよく話していた。そこで彼がはまったのは「赤ちゃん」、初めて言ったときに爆笑された。
いとこや甥っ子、親戚家族など新しい人に会うたびに、「赤ちゃんは日本語でなんというの」と話が振られ、みんなに大爆笑されていた。最初は楽しんでくれているのでなんとも思っていなかったのだが、ケチュア語でなんという意味かもわからないままただただ笑われているだけで、もやもやしていたのだ。意味を聞いてもマキはちょっと下品な単語なだけだよとはぐらかす。親戚家族の家からの帰り道にどんな意味かもう一度聞いてみるもはぐらかされる。「子どもも一緒になって笑っているくらいの下品さならなんの問題もないでしょ〜」とつつくが全然教えてくれないのだ。その段階でもやもやが苛立ちに変わった。いらっとして話したことでもやもやが言語化された。
「自分だけどんな意味かもわからずに周囲は笑っていて、赤ちゃんという単語自体ではなく、日本語やわたし自身もばかにされているようで不快だ。みんなは意味がわかるのにわたしだけ意味がわからないのはアンフェアだ。」
日常的なスペイン語が理解できるようになり、久しぶりに言葉が全く理解できない環境での孤独のようなものがたまってたんだなと実感した。これだけストレートに伝え、だいぶ腹立って口数少なくむすっとしていたのに、彼にわたしの思いは伝わらず、「明日教えるから」とはぐらかされた。は!!?
9/28 chicheriaで赤ちゃん事件
4時起床。昨日のうちに荷造りを9割終わらせていたので、最後に使っていたものを詰めて5時前に家を出発。だいぶ寂しかった。
朝焼けを見ていたら、2時間弱であっという間に中間地点の Combapata に到着した。怒りをひきづっていても仕方ないので普通に会話をしていたけど、全然不満は忘れてない。
朝ごはんを食べて、クスコ市内へ向かう。マキは将来は Combapata に住みたいという。兄弟の中で唯一 Pataqueña (1週間滞在させていただいた彼の故郷)に残り、生活している彼も生涯あそこに住むことは考えていないことに驚いたし、勝手に寂しい気持ちになった。
夕方、マキのおごりで chicha / チチャ を飲んだ。
わたしが2杯目、マキが3杯目に入ったところで、「赤ちゃん事件」を掘り返してみた。お酒の勢いで教えてくれるかなと思った。教えてくれなかった。「クスコを出発する前には伝えるよ」と言われた。いつ伝えられても同じだから早く知りたいし、そこまで溜められると相当変な意味なのかとか考えてしまうし、困った。が、どうにもならなそうなので、「不快だし失礼だ」ということをはっきり伝えた。その後マキはもう2杯飲んで気持ちよさそうに酔っ払っていた。こっちの気持ちも知らないでという怒りと、もはやどうでもいいかもという諦めが混ざった。
夜の屋台で何か食べてから、パソコンでやりたいことがあったので、お別れしてまちをぶらぶらして、いろいろ食べて、お馴染みのスタバに入ってパソコンと向き合った。
9/29 マチュピチュへ
7時起床。いざ、マチュピチュに向けての旅を始める。
マキのお家にいらない荷物を置いて、マチュピチュを目指す。1泊2日になるか、2泊3日になるかは、マチュピチュの現地販売チケットの時間次第。
まとまっていた方が誰かの役に立つかもしれないので、来週に続く。
Pataqueña に着いた日から数日間「あと○日でクスコに戻る」と心の中でカウントダウンをしていた。残りの時間を惜しむのではなくて、まちの生活を欲して。
でもいつからか、この地と自分が重なる時間の短さを惜しむようになっていた。
日本製の質のいいラジオと鮭フレークと一緒に戻ってくることを約束した。帰ってくる場所。
書きたくて考えたいことがまだまだあふれている。