顧問拒否の経緯と成果(群馬県・中学校教員)
私はずっと教員になることを志していましたが、学校の働き方、特に部活動に関しては疑念を抱いていました。その頃、部活動外部化の動きが見られるようになり、教員の働き方改革が叫ばれるようになりました。現場の意識も変化しているのだろうと期待をし、教員として働く決心がつきました。
しかし、いざ学校現場に入ってみると、部活動が教員の仕事から切り離される気配は全くなく、全員顧問をもつことが当たり前でした。1年目、2年目は未経験のスポーツの顧問を任され、土日は練習や大会で潰れ、平日は授業の準備をする時間も取れず、常に仕事に追われていました。また、専門的な知識がないことで生徒に十分な指導ができず、毎日苦しい思いをしました。怒りを覚えた出来事も数えきれない程ありました。初めての練習試合で突然「審判をしろ」と言われたこと、「夏までに全員が審判をできるようにしておくこと」と圧をかけられたこと、自分の学校の生徒の引率がなくても無賃で運営を手伝うよう強制されたこと、こちらの都合は関係なしに県大会の駐車場整備(ボランティア)を強いられたこと。部活のために都合よく振り回されるシステムに我慢できなくなり、精神的にも追い詰められていました。
この理不尽な状況から脱却しようと、3年目から動き出しました。年度末の調査では「部活動顧問には一切従事できません」と記入し、管理職にも伝えました。返ってきた答えは「先生だけ顧問一覧に名前を入れないわけにはいかない。」でした。その年は2つの運動部の副顧問になりましたが、負担が軽くなるどころか、大会引率は2倍に増え、主顧問の都合で予定のある休日に引率を任されたこともありました。2校目に赴任した際、運動部顧問は一切引き受けられないことを校長に伝えました。「勤務時間内の活動でよいから」と美術部の顧問を任されましたが、短時間の活動に生徒が納得するはずもなく、時間外労働などによる負担は変わりませんでした。今年度については、「定時になったら退勤していいから」と、美術部の副顧問をお願いされました。しかし、いざ蓋を開けてみると、2つの文化部の副顧問に名前が入っており、主顧問の先生からは時間外の指導や休日の引率を求められました。校長に掛け合っても「もう変えられないから」と聞き入れてもらえませんでした。「部活動」に従事する限り働き方は変えられない、完全拒否するしか方法はないのだと思い知らされました。
4月中旬頃、今からでも顧問から抜け出す方法はないかと思い、群馬のPEACH加盟団体に連絡をし、年度途中での顧問拒否を希望している旨を相談しました。その後PEACHの方が管理職と交渉をし、要求内容(顧問名簿から名前を外し、職員にもアナウンスすること)が通ったとの報告を受けました。当初面談では「顧問についてはやってもらうしか方法はない」の一点張りだった校長でしたが、交渉後はすぐに顧問の業務から外してもらうことができました。
顧問拒否成功後は、部活による数々のストレスから解放され、精神的にも時間的にもゆとりが生まれました。生徒と丁寧に向き合えるようになり、夏休みの三者面談は午前中から余裕をもってスケジュールが組めるようになり、授業準備にも専念することができました。2学期はほとんど定時で退勤できています。勇気を出して顧問拒否をして本当によかったと感じています。労働環境の改善のためには、個人で動くのではなく、組合に入り管理職と対等な立場で交渉することが重要であると実感しました。
顧問拒否に関するご相談はPEACHまで▼
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