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離婚から1年。私が離婚から学んだ5つのこと。

先日たまたまTVをつけたら、ドラマ「#リコカツ」の第5話をやっていた。

「家庭を大事にしてほしい」と主張する紘一さん「仕事応援してほしい」と主張する咲さんの大喧嘩シーンを見て、「いや、まじ夫婦ってムズくね?」と苦笑しながら思わず見入ってしまった。

最後、2人が離婚届を書き、印鑑押すシーンで終わったのでここからどうなるんだろうと見物だけれど(明日第6話ですね!)、自分もそういえば離婚して1年が経ったことを思い出した。

私の結婚と離婚と仕事選びの葛藤記事はこちら

私はドラマのような彼らと違って交際ゼロ日婚をしたわけでもなく、むしろ出会った頃はハードな職場環境で部署も一緒でほぼ毎日一緒だったから、しっかりお互いのことを知った上で結婚を決めたはずだった。

しかも箱入り家庭で育った私は、それはそれは結婚相手の制約も厳しかったのだが、そんな両親の意見も無視して自ら3度振られても告白し、そしてほぼ自ら逆プロポーズを行い、結婚したほど相手にゾッコン(古い?笑)だった。

永遠の愛を誓うだなんて大袈裟かもしれないけれど、それほど強い覚悟を持って私なりに人生を懸けて結婚を決めたのだ。

それでも人生というものは何が起こるのか分からないもので、去年のちょうど今頃離婚するに至った。「自分は絶対に離婚なんてする訳がない」と心底思ってたけど。

ただ、今振り返って思うことは人間的に「好き」であることと、結婚をして「人生を共にする」ということは全くの別物だということであり、

これまで散々「結婚と恋愛は違うから」と聞いてきたのだが、それでも私は本当の意味で理解していなかったのだと思う。

いまだに結局「結婚って何だ」「夫婦や家族ってなんぞや」みたいなことを自分の人生をかけて解明したいと思うくらい私の興味関心を引くテーマだ。

巷ではいかに素敵なパートナーを選び、いかに適齢期で結婚するかに必死になっている人たちはたくさんいるけれど

肝心の結婚した「後」どう夫婦関係を築いていけばいいのかは誰も教えてくれない。

だから、私はもっといろんなケースを知ってこれを解明したいと思うし、まず一つのロールとして、今自分の結婚生活を振り返り「こうしておけばよかった」と後悔している5つのことについて書きたいと思う。

①お互い「どう生きたいか」を話し合っておけばよかった

24歳の時に出会い3年経て結婚に至った。20代後半にさしかかり、仕事もそろそろ落ち着いてきて、本来はここで「家庭に軸足を」と思っていた矢先、相手が転職にすることになった。

それであれば、もう少し私もキャリアを磨くことに専念しようと、ベンチャーに転職→スタートアップ にジョインするに至った。

このタイミングで私自身が大きく自分の価値観が変化したのだけれど、あれだけ時を同じくして過ごした人だから「自分の考えてることなんて息を吸うように理解してくれているだろう」と高を括っていた。

もちろん「分かってくれるだろう」という甘い話はないわけで、ましてや人間の価値観なんて常に変化するものだから、定期的に日頃から意味のある対話もすべきだったと反省している。

こういった「お互いの未来の話、人生の方向性」みたいな話「忙しい」とか「今さら、気恥ずかしい」という理由で避けていたし、

無難に楽しい会話だけしていたのだが、気づけば「人間として好き」ではあるけど「人生は共にできない」というような埋まらない大きな溝になっていた。これは大きな落とし穴だった。

②なんだかんだ家庭<仕事を優先してしまった

「忙しい」とか「面倒くさい」という言葉は本当にマジックワードで全ての「やらなくてもいいけど本当に大事なこと」を「やらなくなる」最強の言い訳になる。

最初のうちは年に数回行っていた旅行もお互い職場が変わり、働き方が変われば「タイミングが合わない」とか「明日大事な仕事があるから」などが言い訳になり、いつのまにかそういったイベントもなくなっていった。

こういった小さなことの積み重ねが、「互いの本音を吐き出す」機会を極端に減らしてしまい、フラストレーションの塵積もとなる。

キャリアでも「4L理論」というのがあるように、人生は仕事だけじゃなく、「家庭」も「仕事」も両方大切にできるような思考の癖付けはとても重要なんだと身を持って痛感した。

③ちゃんと「節目」を祝えばよかった

日常に「節目」や「区切り」を作れず、夫婦でいることの意味や特別感がどんどんとなくなっていくということもあった。

元々「記念日」や「誕生日」にこだわる性格でもなかったので、「気づけば過ぎてた」みたいなこともあり、今ではとても反省をしている。

2人でいることが当たり前化しすぎてありがたいと思う気持ちも忘れてしまう。

これまでは「なんでいちいち結婚記念日なんか祝うんやろ」と不思議に思っていたのだが、今ならその意味もわかる。

ちゃんと2人でいるありがたみを感じられるように、定期的にやったほうがいいと声を大にして言いたい。

④家庭環境の違いと「家庭」への価値観の違いを理解しておけばよかった

「家庭」はその人の価値観を育む9割の要素を秘めている。昔読んだ心理学の本にそう書いてた。人は無意識のうちに自分が育った家庭の影響を受けて「自らの家庭」を作ろうとする(らしい)。

私は前述のとおり幼少期からかなり制約の多い箱入り家庭で育ってきており、一方で相手は家庭環境で非常に苦労した幼少期を過ごしている。

だから私は根底に「自由でありたい」という思いが強くて、「家庭」というのはそれぞれが自由に帰ってくる場所くらいに捉えていたのだけれど、相手にとっては「家庭を持つ」ということに期待も大きかったのだと思う。

このルーツの違いも思っていた以上に日常生活でギャップに感じることも多く、きちんと結婚前や共に生活をする前に理解しあえるまで話せたらよかったなと今になって思う。

⑤「知りすぎもよくない」 「正論が正しいわけじゃない」

同じ職場で同じ部署という状況だったからか、仕事もプライベートもオープンな状態であることが普通だった。

ただ、これも結構落とし穴で「知りすぎてしまう」と相手のことを思って「アドバイス」したくなったり、見なくていいこと、知らなくていいことも見えたり知ってしまったりする。

ある日突然母親に、「お互い全部知る必要なんかなくて、たまには知らんフリも大事やで。正論だけが正しいとは限らんし、家庭に余白や逃げ場がないと辛いやろ」と言われたことがある。

いまになってこの言葉がすごい刺さる。この絶妙な距離感や余白がとても大事なんだろうと思う。

「それぞれの価値観理解」 「どう生きたいかを対話」 「常に見直し」 「結局は他人」

結局夫婦関係もキャリア形成と一緒で、それぞれがどういう「価値観」を持ち、「どう生きたい」か、そして日々の対話をどうにか工夫して行い、定期的に見直すことが大事なのだろうと思う。

そしてあくまでも「他人だ」ということを忘れず違いを受け入れ、程よい距離感も大事だと思った。

とはいっても、当事者どうしのコミュニケーションだけだと「気恥ずかしい」とか「言っても伝わらない」など悶々としたり、どちらかがとてつもなく不満を抱えているという夫婦もいるのだと思う。

キャリア支援をするなかで「家庭」の存在がその人の人生に大きく影響するということもわかっているからこそ、当事者では解決しきれないようなこともいつか自分がコミュニケーションのハブとなり、振り返って後悔せぬよう明るい夫婦、家庭を増やせるようになりたいと思う今日このごろ。

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