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2024/10/24(ここではないどこかへ/あれから…)

ふとんを頭からかぶってからだを丸めて
一日を過ごす

くるしい

つらい

この広い世界にひとりぼっち
そんな気分を抱えて


もし今そんな方がいらしたら、ちょっとこのブログ記事をを読んでみてくださいませ。


少しほっとして、
少し泣きそうになった。


そう、
私もそうなんです。



最近無性にこの曲が聴きたくなって、気がつくと脳内でTERUさんが熱唱していたりする。

ここではない、どこかへ。

多分、ここにいるのがしんどいのだと思う。
ちょっと今ここに集中できていない感じ。
常に頭を働かせて、無意識のうちに意識をここではないどこかへ飛ばしているような。
たとえば延々とゲームしてみたりだとか。
それが楽しいならどんどんやったらいいのだが、ふとした瞬間に気づくんだよね。
大して楽しんでいないことに。
(ちゃんと楽しい時もあります)

今ここから逃げたいのだな。


逃げた先に何があるのかな。


まあGLAYの曲はもっとなんていうか
どうせ流されるなら意志を持って流されようぜ的な、そんな彼らならではのポジティブさがあるけれどね。
逃避的な感じではない。

逃避的な『ここではない、どこかへ』はボードレールだよな。


そして私は逃避的なほうです(汗)


そういえば若い頃『放浪』『流浪の民』などの言葉に惹かれていたな。
エンヤの『エクサイル』という曲が好きで。
今でも好きでよく聴く。


私は本質的には定住をあまり望んでいないのかな。
だとしたら自身のライフスタイルを見直す必要があるよな。

今職場にたまらなく居心地の悪さを感じているけれど、今いる場所の雰囲気から逃げ出したいというより単に自分的に期限切れなのかもな。

…いや、雰囲気も無理だわ(あれ)


そう考えると、
どこへ行きたいのかを考えることにあまり意味はないな。
どこかへ行きたいんだよな。
そしてそこは別にゴールではないんだよな。
常に通過点。
そこにどのくらい滞在するかはその時どきだろうな。
短いから悪いわけではないし、長いから良いというものでもない。

一般ウケはしないだろうけれど、それが私の人生なのであれば、それに従うほうが自分は幸せでいられるよね。


もういいかげん、
自分をこれでもかこれでもかと満足させてやってもいいんだぜ…
誰かを満足させることばかり考えなくてもいいぜ。


名残惜しいので今日も貼っちゃう
11/21に撮影した金木犀



今日も世界は豊かで美しい。
あなたも私も佳く生きている。


昨年の今頃は、自分の心の中を言葉にできないくらい混乱していた。
それはそうだ。

自分に多大な影響を与えた存在の死。



彼のいない世界に今でも慣れたとは言いがたい。
でも慣れていくしかないんだよな。

BUCK-TICKは続いているので。

この後ニューシングルとニューアルバム、そして日本武道館でのライブが控えている。
もしかしたら音楽性は以前とは変わるのかもしれない。
あっちゃんがいたから表現できたものはあったはずだから、そしてそれはもう表現できないはずだから。
(それはそう)
でも今いる4人だからこそ表現できるものを観たい気持ちはある。
そしてそこにはいないけれどきっと、彼らが表現するものの中にあっちゃんの息吹は感じられるのではないかと思うのだ。

知らんけど(だいなし)



そして今日は新潟中越地震から20年だった。
この辺でも揺れたし(私は気づかなかったんだけど)、やはり震度7というのはショックが大きい。
テレビに映る山古志や川口のまちの惨状もショックだった。

そう簡単に忘れられるものではない。

そしてそこから立ち上がる人々の姿も主に報道を通してではあるが見てきた。

これからも見続けていく。



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