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舞台刀剣乱舞 悲伝 結いの目の不如帰 感想

舞台刀剣乱舞
悲伝 結いの目の不如帰
6月3日 17時30分 明治座特別公演

脚本・演出 末満健一

ネタバレを過分に含みます。
閲覧は自己責任でお願いします。

観てきました。
圧巻です。ほんとに素敵なシリーズに出会えました。ありがとう。
この感想は見た直後の勢いのまま書いています。きっとライビュ前に全シリーズを見返して改めて感想を書くと思います。

序、虚、怒、外、義、如、悲
それぞれのお話が今回の悲伝へつながりました。本当に集大成でした。
このシリーズを通して見られて本当に嬉しかったし、自分の初期刀がまんばちゃんであることがあまりにも嬉しいです。

そして、こんなにみてて辛いことある??ってくらい辛かった(褒めてます)
シリーズ集大成でいかにも三日月さん折れそうな感じはあったけど、あんな折れるより辛いとは思わなかった。

お話的には時空が円環になっていて、何度も何度も三日月さんだけが繰り返している記憶を持っていたんだと思います。繰り返し何度も時を過ごすことで、歴史に干渉など起きないのではないか、自分たちの、歴史遡行軍の存在とは無意味なものではないか?だからこそ、いつしか円環から抜け出すために時鳥の元へ行き、何度もまんばちゃんとああして刃を交えたんじゃないかなと、わたしは解釈しました。
繰り返しの歴史を山姥切国広が超えることができなければまた繰り返す。そうしたことを繰り返してたんじゃないかな。
割と一回で情報をさばけるくらいには情報量の多いものをさばくの得意なんですが、今回結構きつかったですね。ってくらい盛りだくさんでした。それぞれに見せ場がありすぎる。

悲伝の主軸は山姥切国広の円環(結いの目)そのものとなった三日月宗近と対峙する話ですが、副線の絡ませ方が見事でした。織田信長にとらわれ続けたへし切長谷部と不動行光、伊達政宗の刀である燭台切光忠と鶴丸国永、今回は義伝を経て伊達刀との縁が強くなった歌仙兼定、足利義輝の刀である骨喰藤四郎と大般若長光、そこに古き刀として在る鶯丸と大包平(大包平は天下五剣にとらわれてましたね)、そして小烏丸。

どの軸になっても主題が「己とは何か」という自己の存在理由を問うものになってました。

刀とはなにか、歴史とはなにか、心とはなにか、戦いとはなにか、全部を問いかけてお前は誰だと問いかけてくる。圧巻でした。

心に非らず「悲」とホトトギス(時鳥/不如帰)の言葉遊び、歴史の流れ。そして末満さんらしいただの大団円では終わらせない作り。
正直、三日月が消えるのは折れるより辛かったですよ!!辛いよあんなん!!って荒ぶってたんですが、これによって円環に大きな変化があったんだろうなと思います。

最初、激化する時間遡行軍との戦いがあって、いろんな時代に飛びながら「ぬえ」と呼ぶ刀の集まった念から生まれた刀剣男士のなりぞこないを追う。純粋に義輝さまを救いたいという想いからくる付喪神なのかと思うと彼も切ない存在ですね。
軍議では三日月が何も言わないことに疑念をもつ光忠をみんなが気にかけるっていうシーンの中に山姥切国広から何があったと問いかけがあることに、本当にシリーズを通して彼の成長を描いてきたなって感じを受けました。
今回、幕が上がってからの刀剣乱舞のいわゆるログインボイスは燭台切光忠なので??って思ってたんですが、めちゃくちゃ重要なポジションにいたんだね。歌仙とのやりとりが本当に好きです。彼が「刀だよ」という自己を肯定する度に強さを感じました。
黒甲冑の声、とみしょーさんですよね?その度に義伝を思い出しました。燭台切自身もただ一人で強くなったというのでなく、周りに本丸の仲間がいたからっていうのが歌仙や鶴丸とのやりとりで感じました。

三日月の裏切り…というか葛藤というか、予定調和というか…
初演から張りに張り続けた伏線の回収でしたね。そしてそれをちゃんとまんばちゃんが回収する。
ずっと、記憶がないながらも目をそらさず見続けた骨喰が三日月を「悲しい」と言った時、とっても辛かったです。鶴丸、小烏丸の話もとても重要な要素で、義伝で三日月に対し何か感づいて、三日月を驚かしたいと言った鶴丸から悲しい驚きですら受け止めるの発言、心に非ずと書いて悲しいという言葉遊びも、小烏丸同様長く生きてきた刀として、2人が少し離れて見守る感じがでていたのがすごいなって思いました。
三日月の物語を見ていないけれど受け入れる覚悟というか、ある意味の歴史に対しての諦めというか、本当に鶴丸・小烏丸からは見届けるという思いを強く感じました。

今回まさかの本丸襲撃。
これPixivでみたとか言ってる場合じゃない!!ってなりました。やばいやつでしたね。
自分のせいで本丸が危険にさらされるっていうのを三日月さんは何度となく経験したんでしょうね。経験したからこそ自分で自分の帰る場所(本丸)を捨ててしまった。そんな静かな覚悟を感じました。
わりとみんな脱ぐくらいなピンチだった中、修行から帰ってきたへし切長谷部と不動行光が頼もしくて、虚伝を経て(長谷部はジョ伝も)本当に自己とはなにかを見つめあって見つけてきた答えを胸に強くなったんだなって感じです。光る刀かっこいいね!
1幕の最後、山姥切国広の「三日月宗近ー!」という叫びで終わるんですが、それが本当に切なくて、信じたいけれど信じていいのかわからない。普段なんだかんだ三日月が助け舟をずっと山姥切国広にだしていたのを山姥切国広自体も気づいているからこそ、このシーンは辛いなって見ていました。

2幕になって、義輝の戦い。
ものすごい戦いの中で黒甲冑、鵺こと時鳥と対峙する。苦戦をしている中黒甲冑に「僕は刀だ」と宣言する燭台切光忠と、時鳥へこれはかつての俺たちだという不動行光がとてもよかったです。
苦しさも切なさも全部含めて自分だと肯定した感じ。だから彼らは強いんでしょうね。
それは他の刀も一緒で、だからこそ自分とはを肯定できなかった三日月宗近という存在がひどく儚くて切ないです。三日月を取り囲んで、三日月を破壊するために戦うみんなの中で、必死に止めようとする山姥切国広には、三日月の中に自分とはという迷いがあったのを気づいてたんじゃないかなと思います。それは記憶がないから自己を形容できない骨喰も同じかなと思います。山姥切国広は写しだから、骨喰藤四郎は記憶がないから自己を肯定できない。でも山姥切国広は、彼のセリフを借りていうならば「俺は、俺だ」と自己を肯定するんです。そのための序伝からの歩みです。どうして、三日月宗近と最期に対峙するのが縁の深い骨喰ではなく山姥切国広なのかはここが理由なのかなと思いました。
そして今回初めて、山姥切国広が脱ぎましたね。彼が脱ぐと顔が出るのでよっぽどのことなんだと思っています。そんな思いをしてでもなんとしてでも、三日月をなんとか救いたかったんだろうなっていうのを感じました。
本当にいい近侍になったね。

時空の歪みで山姥切国広が見た時代。
多分ですけど、ミュージカルでやった時代の話ですよね?わたしミュの方は天狼と結び音しかみてなくて間違ってるかもしれないんですけど、まず最初の義経公(阿津賀志山異聞)、家康公(三百年の子守唄)、、新撰組池田屋の変(幕末天狼傳)戊辰戦争(結びの響、始まりの音)が描かれていて、これに+αというかこの中で描かれている歴史を少し細かく見せたという感じかなと思いました。
この歴史の中に巻き込まれていくなか、干渉もできず、せず、ただただ見続けるということに刀ステの歴史の描き方を感じました。
積み上がった事実のみがある。それは受け入れるとか受け入れるのではなく、すでにそこに在るという前提なんでしょうね。だからこそ無力感がすごい。その無力感を三日月さんは感じすぎたんだなと思います。それはきっとこれから山姥切国広が感じていくであろう辛さであるんだろうなと思います。同時に三日月は、己が物語を得た山姥切国広ならば越えていけるとかけてるだと思います。かけというかもうこれは祈りに近いかもしれないですね。

そして驚きの白さの三日月さん。鶴丸もびっくりな白さ。きっと死装束なんでしょうね。
刀解が始まって人の身を保てなくなってきた中での真っ白な衣装。死装束というかより無垢なものに近づいたというか。そんな姿で山姥切国広と刃を交える姿は、一種の神々しさがありましたね。ものすごく儚くて切なくて美しい殺陣のシーンでした。
これ最後に山姥切国広が負けて、負けたところで三日月さんが刀解に応じるんですけれど、手合わせ楽しかったっていうんですよ。それに対する山姥切国広の答えが「次は絶対勝つからな。クソジジイ」なんです。
未来の約束ができた。これは三日月にとって、円環にとっての希望なんじゃないかと思います。いつかきっと山姥切国広が三日月宗近から一本とる時が来るんでしょう。それがきっと円環の終着点です。そんな希望を感じたから三日月さんは刀解に応じたし、山姥切国広は未来への約束をしたんだと思います。

きっと円環は抜けられていないような気がします。最後に三日月宗近の顕現がありED「勝ち鬨の歌(虚伝OP)」が流れます。
これはまた円環が始まるのかなと私は思っていますがどうでしょうね。たとえ円環がまた廻るとしても、円環の外へ歩みだしたとしても、今度はみんなで背負って欲しい。強くなろうとする物語を、三日月宗近自身の物語を紡いで欲しいと思いました。

ジョ伝のEDの歌詞に、

歩み貫けど 歴史はまた廻る 
息吹紡ぐように 描くとしよう
己の物語を

って歌詞があるんですが、今回は本当にこれを感じました。この歌詞で紡がれるEDのお話の主役が山姥切国広だったことに、なんか想いが溢れました。虚伝の時から三日月はずっと遠回しに「己の物語を紡げ」って言ってるんですよね。
それを、まんばちゃんが成し遂げて歩み続けるのが今回の悲伝だったと思います。

正直これで終わりとは思いたくないくらい衝撃は強いし悲しいけれど、三日月の「刀剣乱舞、はじめよう」から始まり、山姥切国広の「刀剣乱舞、またいつぞや始めよう」で終わる舞台刀剣乱舞シリーズは本当に綺麗にまとまったんじゃないかなと思います。

大筋としてシリーズとしてそれぞれの成長はもちろんのこと、三日月宗近への救いの話であったし(山姥切国広が救いの存在となった)、山姥切国広が写しだなんだを超えて己の物語を描く話でした。この2振りを主軸に本当に楽しめました。ありがとう。みんな誉です。

キャストさんのお話。お二人だけ、ちょこっと。
三日月宗近/鈴木拡樹さん
本当におつかれさまでしたとしか言えないです。今回に至るまで相当気を使って伏線を張っていてくださったんだなと思います。
ご本人がすごく、崇高な雰囲気を持っている方だと思うので、今回のこの落とし所は最初から在る程度予定していたものであっても、彼でなかれば生まれなかったのではないかと思います。ずっと髑髏城も含め驚かされっぱなしです。すてきな役者さんだー!!!

山姥切国広/荒牧慶彦さん
ずっとシリーズにいてくれるからこそ、みんなの帰る場所としての本丸が生まれたなって思います。本当にありがとうございます。
すごく等身大に悩み苦しみ葛藤し、成長していく山姥切国広を演じてくださいました。審神者と一緒にある存在として、すごく素敵な成長の描かれ方をしていただいたなと思います。剣舞に長けている方なのでよく刀をくるくるしてる印象ですがわたしはそれがとても好きです。
なんだかんだあらまっきーさんすごいです。ありがとうございます!

あとはなんとなく好きなシーンとかの話をします。

■茶請けのようかん
まんばちゃんの「いい羊羹がある。茶箪笥に」
三日月「あれなら俺が食ったぞ」
盛大に笑いました。すっごい勢いで三日月にまんばちゃんが詰め寄ってたし「あれには俺の名前が書いてあった!!」っていうの最高に可愛いです。みんな羊羹が好きなんだね。おいしいよね。

■光忠’sキッチン再び
今回の割烹着担当は歌仙でしたね。似合ってたよ。
というか、まぐろをさばく歌がすごかった。さすが歌が上手いだけあってほんとCD化して欲しいくらい笑
絶妙に歌仙の話を聞かないよね。
歌仙に関しては光忠も鶴丸も結構扱いがひどいなって思います笑 手合わせをどんどん3対1、4対1にしてくくだり楽しい。小夜の名前が出た時、とっさに小夜はこちら側だ!といった歌仙が義伝のころよりすごく本丸に馴染んでる感じがして、時の流れの魅せ方はこういうのも素敵だなと思いました。

■鶯丸と大包平
ほっと息がつけるコンビですね。私、前山さんが好きなんですけど、すっごく雰囲気あってますね。
そして注目の加藤将さん。よくうるさい乾っていわれてたくらいなので本当に声が大きい!!そして愚直なほどのまっすぐさがとても役に馴染んでました。だからこそこの二人のやりとりが面白い。鶯が話す度に笑いが起きるくらいに、この二人が重くて苦しい悲伝のほっと息がつけるポイントでした。「君はバカだな」「バカと言った方がバカだ」という小学生みたいなやりとり。楽しかったです。

■最後のEDとかBGM
勝ち鬨の歌…!ありがとう。ありがとうございます。
わたしは歌い出しの「日出ずる国に生まれし者よ」が大好きなので、この曲が流れて鳥肌が止まりませんでした。虚伝ではこの歌詞は三日月さんが歌っていたところを、悲伝は三日月以外の11振りが歌い出す。すごいなって思います。
OPも殺陣中のBGMになってたり。あれはプログレッシブ・ロックなのかな。わりとシンフォニックメタルというか結構物騒な曲調でしたね。
BGMはジョ伝とはまた違った、レクイエムというか賛美歌というイメージのものが流れてて末満さん作品のグランギニョルを感じるような儚くて苦しくて救いのない。けれど心震えるほどに美しいという演出に花を添えてました。好きです。

悲伝見る前にグッズ列で並んでる時に勢いでジョ伝のサントラをぽちったんですが、今とっても虚伝のサントラが欲しいです。

そして最後に、個人的に嬉しかったのは、刀剣乱舞という作品を歴史に関わるファンタジーではなく、SFとして描いてくれたことです。
これは本当に嬉しい。時空の流れ、それに干渉すること、時間軸、ほかの時間軸の本丸。歴史のファンタジーとしてではなくSFであるからこそ、一種のディズトピア的な、いわゆる言語系SFへ昇華したんじゃないかなって思います。この言語系SFっていうのはいわゆる伊藤計劃作品のような感じです。ニトロプラスが原作にいるんだもの、こういうとこに落とし込んで欲しいという個人的な願望にぴったりと沿ってくださいました。自分とは、刀とは色んなことを交えながら結いの目である三日月宗近の苦しみと、山姥切国広の葛藤を見せてもらいました。
自己の肯定というのは刀のみならず、人間はみんな考えることだと思うので、その言葉、その定義の仕方でそれが宗教だったり、祈りだったり。哲学だったりするんですが、シリーズを通して問いかけてくる末満さんの物語に、入り込ませてもらった分、自分の物語を追いかけたいなと刺激されるシリーズでした。

できるなら、記憶を消してまたみたいです。
ありがとうございました。

追記
最後の三日月と山姥切国広の殺陣のシーン、びっくりするくらい美しいんだけど、おぞましいですよね。綺麗すぎる。美しすぎるものって時に恐怖になり得るんだと思います。
刀ステ作中で綺麗と、美しいと自己ではなく他者から評されたのは三日月宗近と、山姥切国広なんですよね。三日月は言わずもがな。山姥切国広は外伝でめっちゃ綺麗綺麗言われてましたね。そんな二人な最後の手合わせ。
恐ろしいなと畏怖するくらい美しかったです。

追記その2
ずっと感想で今回で終わりって前提で話してますが、わたし個人は今回で終わりでもいいかなと思います。いや、まっきーのまんばちゃんもひぃ様の三日月もまだまだ観続けたいんですけどね。三日月の刀解からの顕現で円環をまた表現しているのなら円環から抜け出すと違う世界線に行くんじゃないかなって思うので、新キャストかなんかでまた、虚伝→義伝→ジョ伝→悲伝をやるんじゃないかなって思ってます。
そしたら悲伝の副題、不如帰でなく時鳥になりそう。

追記その3
殺陣のシーンとかで流れる義伝からの象徴的な民族調な曲。あれ円環ってタイトルなんですね。鳥肌立った…