『コシバタカシのコミュニティFM大図鑑』#101(2024.3.16)
FM HOT 839(神奈川県相模原市)の『コシバタカシのコミュニティFM大図鑑』です。3月になった割に、東京は雪も降るなどちょっと寒い日が続いていましたが、ここへ来てようやく暖かくなってきました。このまま春に突入して欲しいのですが、来週はまた寒くなるそうで…今年は焦らしますねw
放送日:2024年3月16日(土)22:00~22:30
パーソナリティー:コシバタカシ/ゲスト:トトロ大嶋。
(ヘッダー写真提供:トトロ大嶋。)
オープニング
今日は第101回。101と言えば『101匹わんちゃん』、『101回目のプロポーズ』、最近ではJO1を生んだオーディション番組『PRODUCE 101 JAPAN』を想像される方もいらっしゃるかもしれません。こうやって見ると、101もいろいろとありますね。そうそう、岸田文雄首相も日本の第101代内閣総理大臣です。
100回記念・コシバの知らないコミュニティFM史II(前半)
今回も前回に引き続き、コミュニティFMなど数多くのメディアに関わってきた放送作家のトトロ大嶋。さんをお招きして、「コシバの知らないコミュニティFM史」と題してお送りします。(前回の詳細は↓)
コシバ コミュニティFMが1992年に制度化されましたが、トトロさんが実際に携わったのはいつ頃からですか?
トトロ 先週もお話ししたように、放送作家の仕事に就きたいと思いつつ、ちゃんとした就職口があるわけではなかったので、大学に通いながら制作会社やラジオ局、レコード会社などでアルバイトをしていました。
東京周辺でもコミュニティFMが少しずつ開局しだして、最初に関わったのがかつしかFMや川崎のK-City(かわさきFM)でした。
そんな中で、1996年に転機がありました。当時、東京の二子玉川に「ナムコ・ワンダーエッグ」というテーマパークがあったのですがリニューアルすることになって、アルバイトでお世話になっていた広告代理店の社長さんから、リニューアル案の企画コンペがあるから企画書を書いてみないか? と書いてみたら、それが通ってしまったんですね。
コシバ それは凄いですね。通った内容とは何だったんですか?
トトロ 1990年代にFM東京(TOKYO FM)とJ-WAVEが、渋谷などの人通りの多い商業施設にサテライトスタジオを作りました。でも、各局がそれぞれ作っているので使う時間が限られていますし、お店の中とかにあるのでずっと見物できないんですよ。
でも、ナムコ・ワンダーエッグにはイベント広場もあるから、人がたまって見物もできて賑やかになるんじゃないかということで、広場の真ん中にサテライトスタジオを作って、利用したいラジオ局はAM、FM問わずオープンにして、合わせて当時はプリクラとかギャル系雑誌『Egg』とかが流行っていた時代だったので、あんな感じでタレントのオーディションが受けられて、実際にデビューできたら面白いかも!? という“愛とサクセスのメディアパーク”の企画を書いたら採用されました。
スタジオはワンダーエッグ2(注・リニューアルをして「2」とつけられた)を略して「WE2STATION」、オーディションは「スタアオーディション」というのを作って、スタアオーディションからは妻夫木聡さんを発掘しました。
そしたら大学生だったのに、企画者なんだから責任を取れと言われて、その代理店に入社してプロジェクトのリーダーになりました。
コシバ そのワンダーエッグで、コミュニティFMと組むことになるんですよね。
トトロ WE2STATIONができて2年くらい経った1998年の夏に、ワンダーエッグのある世田谷区にエフエム世田谷が開局することになりました。エフエム世田谷もまた様々な制作会社のスタッフに外注している会社でしたが、私たちは平日の夕方5時からの2時間枠の制作を担うことになりました。それで始めたのが『たまリバ!』という番組でした。
この頃になると(ラジオも)デジタルチューニングの時代になるので、わざわざ聴いてもらうためにくだらなくて面白いことをやる、そこで今で言う「バズる」ような企画を考えないといけない。
そこでやったのが「コロッケ道」でした。商店街を回るとどこにも必ずお肉屋さんがあって、そこで売っているコロッケなら安くて比較もできるので、一軒ずつコロッケを食べ歩いて、咀嚼音をずっと聴かせました。コロッケに着目したのがあまり他になかったみたいなので、当たりました。
それから次々やっていこうとなって、東急世田谷線の新型車両を盛り上げようと歌を作ったり、祖師ヶ谷大蔵にある円谷プロに頼んでウルトラマンに出てもらったりしました。
とにかくワンダーエッグからの公開生放送なので、ここに遊びに来てもらうことも大事で、当時中高生がよく遊びに来ていました。その中には今でも声をかけてくれる人もいて、本当にありがたいなと思いました。
コシバ 凄いお話が次々と出ましたね。もうテンション上がってます。
100回記念・コシバの知らないコミュニティFM史II(後半)
コシバ 『たまリバ!』の後は、コミュニティFMからちょっと離れるんですよね。
トトロ 2005年くらいに広告代理店を辞めて、そこからテレビの仕事が増えてきたのもあったのですが、コミュニティFMの労働環境が過酷だったのでちょっと〔続けていくのが)厳しいなと思いました。でも、2007年から1年間、FMたちかわの立ち上げをお手伝いしたりしていました。
再びラジオに関わるようになったのは、2011年の東日本大震災でたまたま宮城県女川町出身の知人がいて、その人が自分の故郷のためにラジオ局を作りたいというのでお手伝いすることになって、女川さいがいFMという臨時災害放送局を作りました。局長としてパーソナリティーは避難所にいた地元の人たちを集めて、一からラジオのイロハを教えました。
最初は2~3ヵ月手伝うつもりが気がついたら5年半くらいやって、その後も一般社団法人として現地で活動を続けているので、今でも(女川に)関わっています。熊本地震や北海道胆振東部地震の被災地で災害FMを作るという度に、出向いて立ち上げを手伝ったりしました。
コシバ 女川さいがいFMは多くのメディアで取り上げられたり、NHKでテレビドラマ『ラジオ』としても放送されました。
トトロ 震災という大変な状況が発生し、町のほとんどの人が家や家族や友人を亡くした町で、僕らは何ができるか? 被災地のことをテレビでわかっていたつもりでも、現地へ行ったら(その認識が)間違っていました。被災された人にどんな言葉をかけたら良いのかわからなかったんですけど、ラジオってちょうどよい距離感で人々をつなげることのできるメディアだということを改めて感じた日々でした。
SNSの時代になって、みんなが便利になったような気がしますが、一方で発言していなければいないのと同じ状態なのがSNSですし、高齢の人、障害や病気に苦しんでいる人、いろんな人がいます。そういう人に寄り添えるのがラジオだと思います。
女川の場合、津波から4年半は町の中がなにもなくなってしまって、人が集まれる場所もなかった。そんなときにラジオのスイッチを入れると、町のいろんな人の声がする、安心するとたくさんの人に言ってもらえました。
災害はいつ「自分事」になるかわからないので、僕もやれるときにやれる側に回って頑張っていこうと思います。
コシバ そして再びいま、コミュニティFMを応援したいと動かれていると聞きました。
トトロ 既存の民放局やコミュニティFMは経営が厳しく、存続をしていくのが大変だという話があります。でも、これを乗り越えた先にラジオの存在価値があると思うので、それを何とか世の中の人たちも知って欲しいし、続けていければいいなと思っています。
なので、まず改めてこういうラジオがあるんですよってことや、その魅力やおもしろさを伝えたいと考えて、2021年からNHKさんと組んで、コミュニティFMを紹介する特番を作って、コミュニティFMの普及や露出に努めています。
4月からNHKラジオ第1で始まる平日午後のワイド番組の中で、全国のコミュニティFMと日替わりでつなぐコーナーもスタートします。よかったら聞いてください。
コシバ 最後に、これからのコミュニティFMについてお伺いしたいのですが。
トトロ 放送局って番組を作って流せば終わりじゃないんです。その番組や、その放送を通じて、地域や世の中に、あるいは誰かたった一人の人でも役に立ってほしいと思ってもらえることが大事です。皆さんの町の放送局が、そういうミッションを果たせる存在であってほしいと思います。
そして聴いている皆さんも宣伝隊員になって、ぜひ周りの友達とかご家族にも(コミュニティFMを)勧めて下さい。
コシバ 今回は貴重なお話が伺えて良かったです。ありがとうございました。
エンディング
先週、今週と二週に渡って、トトロ大嶋。さんをお招きして、1970年代から現在にかけてのコミュニティFMを中心としたお話をいろいろと伺ってきました。本当に私が知らない話がいっぱいで、すごく勉強になりました。さまざまな試行錯誤を積み重ねて、今のコミュニティFMがあるんだなということを改めて感じました。
お知らせ
全国のコミュニティFM局関係者の皆さん、ぜひ『コシバタカシのコミュニティFM大図鑑』に参加してみませんか? ジングルと写真、3つのキーワードを頂ければ、番組の中でがっつり紹介させて頂きます。よろしくお願い致します。
配信やっています!
各種Podcastで『コミュニティFM大図鑑』を配信しています。新作は地上波オンエアの概ね3日後から配信します。お気に入り登録もぜひ!