
「家の中で過ごす」といっても実態はさまざまだから
自粛要請の流れから、家の中で過ごす時間が増えています。
自宅というものや、家の中ということが、人によって相当のバラつきがあることから、一律な自粛ムードが適切なのか疑問に感じるのです。
例えば、6畳が2部屋ある2DKのアパートの部屋を想定してみましょう。
そのアパートの部屋に、大人が2人で暮らしているのか?それとも、大人2人と小学生2人の4人が暮らしているのか?あるいは、独り身の男性が暮らしているのか?
部屋という条件を揃えて、状況を変えていくことを想像すると外出を自粛して「家の中で過ごす」という実態には、相当のバラつきがあるということをイメージしやすいと思います。
一律に「自宅で過ごして」と呼びかけるのは酷でしょう。
「家の中で過ごす」という実態にはバラつきがあることを想像できれば、「自粛ができないなんて」と誰かを責めることなどできません。
外で過ごしている人を見かけても、遠くから会釈をするだけにする。近よって声をかけることなく気づかないふりをする。お互いに目があったとしたら、遠くから手を振るというだけでも十分でしょう。
ソーシャルディスタンスとは、思いやりを示す距離。
三密を避けることは「周りの協力」なくしては成立しません。
人それぞれに状況は違う。「家の中で過ごす」の実態は、家族構成や自宅の広さ等、条件が変われば全く別のこと。
それぞれの状況に応じて、実現可能な「自粛のスタイル」を模索する流れが生まれたらと思います。