「人と会う」効能
実父が他界して多方面の対応に忙殺された日々。
三人きょうだいの真ん中っこで姉と弟がいる私の立場で、どうしてこんなに実家のことで時間を割かなければいけないのだろうという苛立ちがあった。
子どもの頃から、次女ということを理由に「おまえはいつかこの家を出ていく身」と繰り返しいわれていた。それなのに実家のことで時間と労力を費やしている私は一体どんな扱いなのかと、ここしばらくのストレスは膨れ上がる一方だった。
そのような心理状態のとき、スーパーの買い物中に友人とバッタリ出会う。
私の実父が他界したことを噂で知りつつも、メールなどで連絡をとるとかえって手を煩わせるだろうからと、気遣いつつ見守っていてくれたのだそうだ。
その友人と立ち話のまま、息せき切ったように実父の仕事の関係で事後対応に追われていたことを話すうち、ふと次のような言葉がスルっと口から滑り出た。
「私は独身が長かった分、母も使い勝手がいいようで、私を頼ってくるのよね。」
そんなことを思っていたことすら自分自身気づいていなかったため、おやっと不思議に思った。
なぜあの言葉が出てきたのか理由はわからない。
その友人も長く独身時代を過ごした末に結婚したという境遇が似ていたからかもしれないし、ただシンプルにその友人が聞き上手だったからだけかもしれない。
ただ一つ確かなことは、彼女と会ったという状況が、私の内面にあった「何か」を引き出してくれたのだということ。
夫の理解があったり、仕事の場所を選ばないフリーランスという状況であったり、現実的な問題が解決できていたから実家の母を手伝うという行動に移せたのだが、そのようなこととは別に、独身が長かった私と母の間に「気兼ねしない」関係が築かれているということが本質的に必要な十分条件であったのだろう。
人と会うことで自分の内面にある本質的なことに気づけることもある。
独身が長かったから母は私に気兼ねなく頼ってくるんだと言葉にできるようになってから、実家のもろもろの煩雑さに振り回されていても、それほどストレスを感じなくなった。むしろ、積極的にかかわろうとすることでストレスが減ったような気がする。
人と会うことで「本質的な理由」を思いがけず知ることができた。
気持ち新たに実家の母と関わっていけそうだ。