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高齢者の「運転免許返納」が当たり前になる社会に

今年に入ってから車を使わない生活をしている。

最初は、体によい生活をするとか、ガソリン代を節約するとか、地球環境にやさしい暮らし方を目指すとか、そのような動機で始めた。

だが、車を使わない生活を3日目ほどやってみて考えが変わった。まるで免許返納の予行演習みたいなものだなと思ったからだ。

そして、そのあたりから「車を使わないこと」への本気度がアップしてきている。

実感した「車を使わない生活」の不便

歩いて30分以上の距離だとか、お米のような重い物を買うだとか、そういうことがあると、車を使うことを必然のこととしている自分に気づく。

とっさに「今日こそ車を使うべきではないか?」と思ってしまうのだ。

「車を使えばよい」という発想を安易にする思考癖が抜けきれないうちは、大変不便な生活だと思った。

私は、本来、車の運転が苦にならず、どこまででも車で行くという性格である。

車が不要の都会ですらマイ・カーを所有していたし、車の免許をとって以来、「車ありき」で生活の時間配分を考える癖があった。

だから私は、高齢者の運転免許返納を非現実的なキャンペーンだと考え、「高齢者は車の運転免許返納をするべきだ!」という意見に対して懐疑的だったのだ。

田舎でも工夫しだいで実現「車を使わない生活」

ところが、自分ごととして免許返納を考え、実際に行動してみると意見が変わってきた。車を使わない生活でも、案外なんとかなるものだなと。

自宅の立地とか、生活環境とか、動きやすい気候であるかとか、個々人の置かれた条件にもよって「車を使わない生活」の快適度が変わることは重々承知している。

その上で「知恵と工夫で乗り切れる免許返納ライフ」というものは、実現しようとすればできるのではないかと思えたのだ。

「車がないと田舎では暮らせない」という固定観念があり、車を使わない生活なんて3日も続かないだろうと思っていた私でさえ、今のところ、10日間は続けられている。

自分で解決できないことにはサービスという仕組みを

昨日は夫が休みだったため、夫の車で大型家具を買いに行った。

有料での配達サービスを使うか、車の積み下ろしで夫の力を借りるか、その2択でしか運びきれなかった大型家具だ。

私の車には乗り切らなかったと思うので、いずれにせよ、私の車で行くことはない。だが、夫婦とも運転免許を返納したら、何かの工夫が必要だろう。

近くに家族がいる場合には助け合うことも1つの選択肢にはなるだろうか。それ以外なら、何かのサービスを使うことになる。

その際、「有料の配達サービスに関して、免許返納者は格安でOK」であるとか、そういう仕組みがあるとよいと思う。

これらの事業に補助金が交付されるような状況にしていけば、免許返納も現実味のある選択肢を選びやすくなるのではないだろうか。

「運転免許返納」を選びやすい社会に

「高齢者は免許を自主返納を!」という前に、「免許返納をしやすい状況」を生み出す社会の工夫もすべきだと思う。

2020年には、5G(ファイブ・ジー)回線の一般向けサービスが開始される。5Gの導入により、自動運転が現実味を帯びてきた。自動運転の技術により高齢者の足となることが期待されているが、その未来は、明日明後日に実現することではない。

自動運転が普及しするまでの間、何の工夫もせずに、ただ「自主返納を!」というだけでは、高齢者の「運転免許返納」を選択肢することは、少し乱暴なように思う。

「運転免許を返納をしても生活していける」と高齢者が思える社会とはどのようなものか?

その実現に必要なことは何か?

それらを「自分ごと」として真剣に考える姿勢を各自が持つこと。それができて初めて、「運転免許返納を社会の仕組み」として実現可能になる。

運転のスキルは、若いころでも個人差が大きい。だから、年齢的なもので自主返納を強制することは難しいだろう。

「運転免許を返納しても、それほど困らない」社会を、仕組み的、かつ、技術的にも整備。

その上で、高齢者に対して「もしよかったら返納してくださいね」と呼びかけられる世の中になることを期待している。