知らないことを「知る」機会は得難く
日常の中にも小さな気づきはある。
だが、「知らないことを知らない」ということに気づかず、「知らない」ということを知らないまま生きていることは案外あるものだ。
父の遺産分割協議が終盤を迎えている。
分割協議書と併せて、相続に関わる必要書類が送られてきて「印鑑」を押す場所の多さにハッとなった。実印を使ったことはある。けれども、こんなにバンバン押しまくるような状況は未経験だったので、一瞬、現実を疑ってしまったほど。
これらの数を間違いなくキチンと押せるだろうかと冷静に考えてみた。手持ちの朱肉、印鑑マットに代用していた旧マウスパッドなどで印鑑を押す練習をしてみたが、印影の鮮明確率は、なかなかあがらない。
そういえば、これまでの人生、実印を使うシーンでは、業者さんのお店での取引中という状況であった。業者さんが用意してくれた朱肉を使っていたのだ。
そこで、改めて朱肉というものを探してみた。速乾タイプの朱肉が求められる市場を初めて知った。
実際、契約ごとで印鑑を押すような状況が頻発するような業者にとっては常識ともいえることなのだろう。例えば、不動産業者、何かを登録するような士業の方、領収証を発行する経理の方など。
けれども私は知らなかった。
実印を求められる場面は人並みにあったはず。だが、業者さんから朱肉をお借りしていたため、速乾タイプの朱肉の存在に気づいてすらいなかったのだ。
記憶の中に、ぼんやりと「こちらの朱肉をぜひ使ってください!」と強くすすめられたことが浮かぶ。おそらく速乾タイプの朱肉をすすめてくださったのだろう。
知らないことは知らない。
知ろうとしなければ知らないまま。
社会との関わりがなければ、この「知らないことを知る機会を得ること」はなかっただろう。
法的な作業を専門家に任せたとはいえ、最終的には自分の責任として印を押す。あと少しの緊張感を持って取り組んでいこう。
知らないことを知った好機を人生の節目として。
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