贈られたものは「......」
夫が喪中欠礼ハガキを出したのは数日前のこと。
それを受けて、昨日、夫の親戚の方からお線香が送られてきた。弔意を表してくださったのだと思う。
実家の母に報告をすると、大変恐縮しており、かつ、このような対応をされたことに驚いていた。
喪中欠礼のハガキに対してお線香だけでも贈るというのは、自分もすることがある。だから、弔意を示してくださること自体は理解できるのだが、実際に受け取ってみると、それなりに手間が増えて大変だなとも思った。
その一方で、贈られたものはお線香ではなく、こうして実家の母とやり取りをしたり、今後の親戚づきあいのバランスを図ることを目的に義姉にお返しのことを相談したりといった「手間」によって絆を深めることでもあると感じた。
もともと、このような視点を持てる人間ではあったのだが、過去の私は、このようなことに気づいてもなお、贈り物を受け取ったり、お返しをしたりということを「時間の無駄」と感じる気持ちが強い性格だったのだ。
夫の親戚の方に対してお返しの段取りや、受け取ったお線香を実家へと送るといった「手間」が待ち受けている。
忙しい中では、そんな些細なことが面倒ではないと言えばウソになるが、それでもなお、お線香を送っていた気持ちを受け止め行動に移していこう。
贈られたものはお線香ではなく、実母と会話する口実や義姉と関わっていくきっかけ。
年を取るのも悪くはないな、こんな風になれるのなら。
そんなことを思いつつ、いただいたお線香に込められた「想い」を実母のもとへと届けたい。