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理想の夫婦像は「永遠の片思い」
夫婦円満という言葉から、どのようなことを想像するだろうか?
いつも仲良く、ニコニコと笑顔の絶えない家庭。お互いの欠点も認めつつ支えあっている夫婦。時には喧嘩をすることがあっても、大きな亀裂を生むほどではない。
おおよそ、このようなものではないだろうか?
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一方、夫婦の形の原型というものは、身近なお手本として「両親」の夫婦関係に影響を受けるとも聞く。
極端な例だと、自分の異性親と似ている人を選ぶということもあるそうだ。
似ている人を選ぶ人がどうかは別として、身近な存在である「親」を、何らかの基準とすることは大いにあり得るだろう。
実際、私は、父親に似ていない人を夫に選んだ。だが、どこか似ている部分もある。「情け深いが、情に流されることはない」というところが夫と父は似ているのだ。
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私の両親の関係をひと言でいうと「永遠の片思い」夫婦である。お互いがお互いに片思いし続けているような関係だった。
父は父で「自分はこれだけ思っているのになかなか思いが届かない」と思ってヤケになったり自暴自棄になったりする。
母は母で「自分はこれだけ自己犠牲を払って尽くしているのに」と思って自己評価を下げたり落ち込んだりする。
傍(はた)で見ていると、なんともモドカシイ気持ちになる夫婦関係だったのだ。
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相思相愛、夫唱婦随。この言葉に相応しい2人であるのに、お互い、「自分しか相手のことを思ってない」と残念な気持ちになっている。
それでも一緒に居続けたのは、それぞれが「たとえ片思いであってもこの相手と居たい」と思えたからだろう。
父は父で母のことが好きで大切に思っていたし、母は母で父のことが好きで大切に思っていたのだ。
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そういう夫婦が自分の理想の夫婦の原型になっているか?
正直そういうところは大きい。
自分のみならず、世の中全体に、もう少しこの感覚が広まってもよいのではないかと思うほどだ。
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愛されている、思われているといって「相手の好意」に胡坐をかくような関係は、一見落ち着いているように見えても、やはり、不具合があるだろう。
相手からの好意に乗じて、暴君のように振る舞うよりは、片思いくらいの感覚でいたほうが円満な関係を続けられると思うのだ。
別の見方をするなら、「片思い」に近い感情を抱けることこそが、本当にその人のことが好きで人生を分かち合うような関係でいたいという証拠なのかもしれない。
永遠の片思いであっても構わないから、一緒に居たいと願う。
そういう関係は、一見危ういように思えても、互いを気遣いあいながら長く続けて行けるのではないだろうか?