分岐点を生きる今
書きたいことがあっても、そのことを伝えるには何文字くらいの文章を書かないとうまく伝わらないだろうなとか。
そういうことを考えてしまうと書き始めることをためらってしまう。
それを繰り返すから、きっとnoteを継続することが難しくなっていくのだろうなと。
日々、時間との戦いである。
それは、忙しいという意味ではない。
時間、即ち、命は有限な資産であるということだ。
これくらいのことを書くなら何分かかるなということも、体が覚えている。
だから、noteの更新に何分使えるかを見積もったあたりで、内容に取り上げることができることも、おおよそ決まってしまう。
その葛藤が毎日だ。
書きたいことと、有限の時間の中で書けること。
その間で気持ちは揺れる。
生きるということに、その揺れ方はとても似ているように思う。
やりたいことと、有限の命の中でできること。
その間で気持ちは揺れる。
この気持の揺れ幅は、ある一定の年齢になったら、おさまるのかなと思っていた。
だが、やりたいこととできることの「見積り」がうまくなる分、思い切って行動に移せなくなってしまった。その結果、より一層、葛藤は激しくなったと感じる。
ここで「年齢」を理由に諦め上手になれたら、もっと楽になれるのだろうけれど。
私は、まだまだその諦めを上手くできそうにない。
諦め上手になるのか?それとも、チャレンジ上手になるのか?
見積もりが上手くなった分、堅実に見通しをたてた上でのチャレンジという選択肢も悪くない。
今は、ちょうどその分岐点を生きているように思う。
どちらに転んでも幸せになれる気がするから不思議だ。
諦めてもよし、諦めずに進めるもよし。
そんな日々を生きている。