チョコブラウニーの思い出
今から40年ほど昔。私が高校生だった頃。
当時は、バレンタインの日に、友愛の気持ちを込めて女性から女性へチョコを贈ることは、一般的ではなかった。
だから、とても記憶に残っているのだ……彼女のことが。
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高校3年生のバレンタインデー。
学年が2つ下の女子生徒から呼び出しがあり、恥ずかしそうにチョコを渡された。手作りのチョコブラウニーだった。
受け取るのならホワイトデーにお返しをしたいと思ったが、お返しをすることが「どういう意味」になるのかが気になった。
だから、素直に聞いてみたのだ。
「これって……? バレンタインのチョコの意味なの?」
いや、これほど率直には聞けなかった。だから私は、
「いつもチョコブラウニーを作っているの?」
「お菓子作りが趣味なの?」
といった切り口で、徐々に核心へと話を進めていった。
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お菓子作りは初心者であり、チョコブラウニーを作るのも今回が初めてだという。
その事実は、私の想像を超えた何かが目の前のチョコブラウニーに託されていると感じさせた。
ドキドキしながら会話を進めていくと、「憧れ的な存在であるから……」という言葉に続いて、彼女の本音のようなものが溢れ出した。
彼女は、女に生まれたら田舎で一生を終えるのが当たり前だと思って生きてきたのだという。そして、進学も就職もこの街を出ることなく生涯をこの地で生きるつもりだという。
けれども、私が選ぼうとした道は「彼女の道」とは違うと知って、憧れの気持ちを抱き、エールの気持ちでチョコを渡したくなったのだ……と。
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「東京に行くんですよね?」
「四年制大学に行くんですよね?」
「広い世界を見に行くんですよね?」
一旦話し始めると、彼女は饒舌だった。
「生まれ育った場所から飛び出して生きる。そういうことが女に生まれてもできるんだということを教えてくれた人だから、憧れています。先輩ならできると思います。その資質があると私にはわかる。だって私にはそれがないから。だから私にはわかるんです!」
生まれ育った場所で生きていくという彼女の意思に迷いはなく、スッキリとした表情はキラキラと輝き、眩しかった。
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私への憧れの気持ちや未来へのエールという形を取ってはいたが、チョコブラウニーには、生まれ育った街で生きていく彼女の覚悟のようなものが込められていたのだろう。
だが私は、チョコブラウニーを受け取る資格などないと思えて、贈り物の重さに胸が締めつけられた。
卒業間近の微妙な時期、家庭に問題があり、進路が思うようにならず、私は心身が不調だったからだ。
広い世界を見ることなど、私にとっても夢のまた夢。今の私には無理なんだよ……。
そんな弱音を隠すことが、精一杯の思いやりに思えたから。苦しい気持ちを内に秘め、私は、一先ずチョコブラウニーを受け取った。
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結婚して家庭に入ることで、女性は社会的な地位を得る。そういう社会の枠組みがあるなかで、結婚以外の生き方を模索することは決して容易ではなかった。
もちろん、広い世界を見たからといって、お金を稼いだからといって、社会的地位を得たからといって、そうではない人より偉いわけではない。
私には彼女との思い出が根底にあったから、理想論としてではなく「どんな生き方にも意味がある」と強く信じられた。信念をもって私はこの生き方を選び続けてきたのだ。
もしかしたら、田舎で燻るより都会で活躍する人生のほうが優れた人の生き方だと考えたほうが、楽に生きられたのかもしれない。
だが、私はそれをしなかった。「全ての人生は等価に意義のあること」であり、「人生に優劣はない」という価値感が心の拠り所だったからだ。
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手探りながら、私は自分の引き受けた「道」を切り拓いて来た。
都会で暮らし、広い世界を見て、多様な価値観にも触れた。道半ばではあるが、なんとか生きている。
多忙な日常のなか、ふと目に留まるチョコブラウニーから思い出すのは彼女のこと。
あのときのエールに相応しい自分になれただろうかと自問して、ほろ苦く甘いチョコブラウニーに勇気をもらって、前を向く。
一先ず受け取った彼女の気持ちを、一口ごとに噛み締めながら。