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段階的に上がらない難易度。人間関係を乗り切る策とは?
人間関係は、どうしてこんなにも難しいのだろう。
最近の私はそれなりに良好な関係を築けるようになったとは思う。だが、それでも難しいと感じる場面に遭遇する。その頻度も多い。
人間関係の難しさはどこから来るのだろうか?
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理由はいくつかあるだろう。明らかに邪(よこしま)な心で接してくる人もいる。みなが善意の人ばかりではない。そういうことも一つにはある。
そういった個別の人との関係そのものも難しいのだろうが、そもそも、「難易度が段階的に上がらないこと」が人間関係を余計に難しくさせているのだ。
何か新しいスキルを身につけようとするとき、簡単な事象で学び、そこから徐々に複雑な事象、難易度が高い事象へと取り組んでいく。
だが、実践社会で人間関係を学ぶとき、難易度を段階的に上げるということなど到底無理な相談なのだ。
突発的に問題がおき、有無を言わさず難しい事案に巻き込まれていく。
スキルの経験値が高かろうが低かろうが。心に余裕があろうがなかろうが。こちらの事情はお構いなしに難易度の高い人間関係へと巻き込まれていく。
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1対1の関係だったり、集合的だったりということはある程度、年齢でのコントロールをしているのかもしれない。小学校での集団生活の「集団」の規模を徐々に大きくしていくという教育的配慮はあるだろう。
しかしながら、ある一定のところから集団行動への学びは「個の尊重」というフェーズに変わっていく。
その時点で、集団という認識は全て学び終わったとさえ感じる人もいるだろう。だが、そこからは自学自習という個々の器によって好きに磨けばという裏メニューになっているようにさえ思う。
結局は自分で意識してスキルを上げていくしかないということなのだ。
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難易度が段階的に上がる側面とそうではない側面があるとはいえ、ほとんどの場合、難易度の上がり方は段階的とは言い難く、また、こちらの都合はお構いなしで難易度の上がり方をする。
どうしてこんな目に遭う。どうしてこんなトラブルに見舞われる。どうしてこんな人と一緒に過ごさなければならいのか。
人間関係の難易度が急激にあがったときは、ネガティブな自問が繰り返されること必至。
それでも、気持ちを切り替えて道を探していくしかない。
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気持ちを切り替えて取り組むべきは問題の難易度を判別することだ。
例えば、小学校に上がったばかりのときに、大学入試問題を解けといわれたらどうかと考えてみるのだ。その場合、人の力を借りて解くしかないと気づけるかどうかが、人生の大きな分かれ目になる。
持つべき視点は、自分の実力で解ける問題なのかどうかを見極めること。
自分で解けない問題だと判断したときに、「助けを借りる」という選択肢があること。
そして、助けを借りる策を思いついたこと自体を「よく気が付いた」と賞賛するような環境にあること。
フェアーに周りの力を借りることも含めてスキルとして認めていくこと。
助けを借りる策を否定し、助けを求めることを「ズル」と糾弾する声を戒める風潮があること。
これらが揃ってはじめて、人々の対人スキルは向上する。個々の人間関係を築く力が育っていくのだ。
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人間関係の難しさと、段階的に上がらない難易度。だからこそ人は人に助けを求めることを容認するべきである。
必要を見極めて周りに助けを求めること。
と同時に、助けを求められたときには、他者のために知恵を絞れる自分でありたい。