人は常に変化している
人は変わらない。
あの人は変わった。
「人が変わる」という状況に関して、変わるとか変わらないとか表現することをよく耳にする。
つまり、そのことを意味のあることだと思う人が多いのだろう。
「変化ゼロ」ではないことは間違いないだろう
食べ物の好みに関しても変化していく。
脂っこいものが好きだった若い頃と比べて、さっぱりとした和食が好きになってきたとか。そういう変化を聞いたことのある人は多いのではないだろうか。
だから、変化すること自体がゼロではないと思える。
一方で「人は変わらない」という意見も多数ある。
どういうタイミングでその言葉が聞かれるのかというと、浮気をする人はまた浮気をするとか、そういう文脈で見聞きする。人は変わらないという言葉の伝えたい意味もわからないわけではない。
変わる変わらないの真偽はともかく、人は常に変化していると考えてみてはどうかと思う。
切り取る瞬間のトリック
状況の例でいうなら、人は変わる。Aという状況からBという状況になったとする。その場合は、変わったと感じる。
あるいは、Aという状況からBという状況になったとする。その後にAという状況にとても近いA'(=エイダッシュ)という状況になる。すると、やはり人は変わらないなと感じるのだ。
つまり、若干の変化として映るのみ。AからA'に変化するまでの間の状態であるBを知らないのだから、ほぼ変わらないと判断してしまう。そのため人は変わらないという印象を持つことになる。
人生に躓いたときは意識を変える好機
切り取った瞬間で物事を判断していること自体には問題がないとしても、切り取っているという自覚がない人は、物事を理解する好機を逃しているように思う。
切り取った瞬間で物事を判断すると答えは一意的に決まる。「その瞬間の状態は〇〇でした」といった風に、とてもシンプルな答えになるのだ。
言い換えると紋切り型の理解力だともいえる。そういう風に、表面上をサラッと判った風になることは、とても気持ちのよいことかもしれない。「自分は賢いな」と思えたり、「自分は素晴らしい」と万能感を得たり、それはそれで気持ちのよいことなのだろう。
一時期、そのような理解を主流とした生き方をするのは止む追えない。だが、もし、上手くいかないことがあったなら、それ以外の方法を試してみてはどうだろうか。
人は常に変化しているという考え方は
人は常に変化している。
自分自身も変化しているし、理解の対象も変化している。
理解の方法も常に変化していってよい。
物事を理解するときに時間という要素を加味して、変化していく様子を想像し観察してみるのだ。
人生が上手くいかないときに、そういう発想の転換ができるかどうかがカギになる。
それは、自分自身の可能性さえ気づかせ、眠った力を発掘することに繋るかもしれないのだから。