暑い日には暑い日なりの
気温の上昇が体に堪えるようになった。
自分自身の老いもあるだろうが、おそらくはそれだけではない。ここ数日の気温の変化は、私以外の人にとっても体に堪えているだろう。
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「熱中症の対策を!」と呼びかけられている。
そういう呼びかけは、原則として、「暑さ対策をして夏を乗り切ろう」という方向で話が進む。暑さを軽減させる方法。暑さを回避する方法。等々。
実際、健康のことを考えたら、それがまず一番にくるのは分かる。
だが、ふと思うのだ。暑さを悪者にし過ぎではないかと。
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悪者にしているつもりはないのかもしれない。だがなんとなく腑に落ちないのだ。
夏に気温が上がらなければ、困る人もいるし、困ることもある。冷夏には作物の育成がうまくいかないといったことくらいすぐに浮かぶ。
暑さ対策を呼び掛けている人も、夏を否定しているわけではないのだろうが、夏の恵みについても伝えてほしいと思ってしまう。
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加えて「夏は夏らしく、ほどほど暑ければよい」という含みも解せない。
何事に対しても「こうあって欲しい」という気持ちは、誰でも抱くものだろう。
だが、暑さ寒さは自然の営み。自然の力は人間の力でどうこうできるものではない。
暑さ助長させる「人間の営み」に問題があるとも聞くが、季節に応じて気温が変化することは、やはり自然の営みなのだ。
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夏の暑い日に眺める海。沖から吹いてくる風は、熱いながらもひと時の清涼感を運んでくる。
太陽が沈む頃の打ち水。水しぶきが空気の感触を変えていく不思議。
夕立ちの匂いが誘う哀愁。幼い日の記憶が走馬灯のように浮かんでは消えていく。
暑い日には暑い日なりの「瞬間」がある。
そのことを忘れずに夏を過ごしていきたい。