「住まいを整える」ということ
占いはあまり信じない。
だが、同じような結果を繰り返し目にすると気になってしまう。
今年は家にまつわる「動き」がある星まわりなのだとか。その言葉を目にするたび、気になって仕方なかったのだ。
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私は、終の住処(すみか)として選んだ家に住んでいる。昨年の始めに手に入れたマイホームだ。
そのため、「家に関して」動きがあるという言葉を占いで目にしても、私には当てはまらないと思っていた。
だが、その割には目についてしまう。
「この家から引っ越すことなど考えられないのに……。」
たびたび目にしていくうちに、違和感のようなものを感じながらも、自分には関係ないと言い切る自信が持てなかったのだ。
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この家は終の住処として相応しいと思っている。
だが、生活に最適化された状態かというと、全くそうではない。整っていないのだ。
具体的には、引越し後に購入予定だったものを、ほとんど買えていない。
収納家具やダイニングテーブル、少し大きめのテレビとテレビ台。購入した収納におさめる予定のモノは段ボール箱に入ったままだ。
その他もろもろの事柄が、後回しの状況。
つまり、家はあるが「住まいとして整っていない」のだ。
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住まいが整うというのは、「家」と「そこに住まう人の暮らし」が感覚的に一体化することだと思う。
家を大きな樹木に喩えるなら、家に人が住むということは、樹木に憩いと安らぎを求めて野鳥が集うようなもの。
私としては、決して住まいを整えることを軽んじていたわけではない。
もともと暮らしを工夫したり家の中を整えたりすることを好む気質だった。けれども、それを許す状況ではなかったのだ。
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これほど課題が先送りにされてきたのには、明確な理由がある。
一番の理由は、実父の他界にまつわること。
昨年2月に引っ越しをしていたが、その直後、2月末から実家との往復が始まり、遺産分割協議書ができあがる今年の2月まで非日常が続いた。
また別の理由としては、昨年9月に台風の被害に遭ったこと。多方面ストレスを受けながらの生活を余儀なくされた。
そして、今年の春から続くコロナ禍の状況。物流の混乱。購入を決めた家具の入荷があまりにも先であったため、購入を保留し、結局気持ちが冷めたこともあった。
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これらの事情を考えると、住まいが整うはずがないのだ。内心そのことに気がついていたから、占いの言葉が目についてしまったのだろう。
去年引っ越ししたこの家は、必要最低限の暮らしはできている。だが、生活の場として整っているとはいえない。
今年の終わりを目処に住まいを整えていきたい。
快適な終の住処だと思えるように。
「あとひと踏ん張り」の心意気で。