後悔がないように生きる方法
頭の中に後悔という言葉が常駐していた時期があった。
私が30歳くらいの頃だっただろうか。
「やった後悔」と「やらなかった後悔」という友人の言葉がきっかけだったと思う。
言葉を発した当人によると、「やった後悔」と「やらなかった後悔」では、前者のほうがベターなのだという。だから何でも思い切って飛び込んでチャレンジするのがよいのだとか。
だが、友人の言葉に対して素直に頷けない自分がいた。
本当にそうだろうかと、疑問を感じずにいられなかったのだ。
「やった後悔」とは?
好きな人に告白するとか、そういう例で考えてみた。
その人がフリーで告白をしたら受け入れてくれるかもしれないし、お友だちからでもOKという感覚であれば、仮に失恋したとしても「やらないよりはやったほうがマシ」なのだろう。
その時は後悔したとしても、後々の人生では、失恋も青春の1ページと思える可能性が大だ。
しかしながら、このケースで告白する相手が親友の恋人であるとか、既婚者であるとか、そういう場合ならどうだろうか?
告白して気持ちスッキリで前に進むということもあり得るが、仮に人間関係ドロドロの方向に状況が進んでしまったとしたら。
そう考えると恐ろしい限りだ。
「やらなかった後悔」とは?
好きな人への告白の例でいうなら、数十年後の同窓会で、あの時好きだったんだよとサラッと告げてみたところ、実は当時は両想いであったという場合があるだろう。
告白したことで、当時、晴れて両想いになれて、人生が全く違うものになっていった可能性がある。
だが、しかし、その人生がばら色だったとは限らない。
やらなかった後悔を感じたからといって、行動に移さなかったことが「残念な結果」をもたらしていたとはいい切れないのだ。
「やった後悔」が「やらなかった後悔」よりベターという根拠はあるのか?
やった後悔のほうがいいのだという言葉は、チャレンジ精神を刺激してくれる。
ビビり気質だったり、やる気が起きないモードが長々と続くようなタイプだったら、この言葉に刺激を受け、重い腰を上げ、新しい世界を知るきっかけにできるかもしれない。
「やった後悔」が「やらなかった後悔」よりもベターだという言葉は、勇気を奮い立たせてくれる。だから、一定のありがたみはあるのだろう。
それはそれで理解はできるのだが......。
果たして、「やった後悔」は「やらなかった後悔」よりも、常にベターといえるのだろうか?
「やった後悔」への誘惑を断ち切る勇気
好きな人への告白の相手が親友の恋人であるケースなどのように、倫理的に行動を起こすことが望ましくない場合があり得る。
そのような場合には、「やった後悔」のほうが「やらなかった後悔」よりもベターだという固定観念に縛られてしまわないことを心がけるべきだろう。
法的な問題で行動を起こすことが望ましくない場合にも同じことがいえる。
違法行為への誘惑を「やった後悔」のほうが「やらなかった後悔」よりもベターなどとは絶対に受け止めてはいけないのだ。
そのような誘惑には「後悔」を肯定的に受け止める思考で対抗しよう。
むしろ、後悔は人生につきもの
人間が成長していけば、あの時、こうしておけばよかったということができてきて当然だ。
経験を重ね、視野が広がれば、後悔するのは当たり前のこと。「やった後悔」も「やらなかった後悔」も、等しく後悔でしかない。
何より、後悔のない人生など成長のない自分を確認しているようなものだ。
後悔がないように生きる方法は、行動に移すかどうかの判断基準に「後悔するかどうか」を採用しないこと。
それを心がければ、あらゆる結果を肯定的に受け止めやすくなるのではないだろうか?
眠れぬ夜に、そんなことを思ってみた。