「子鹿の愛」さよなら大学生(5)
「好きだよ」と言われて、「ありがとう」と言う人がいる。かつての私だ。
3年前、18時の御茶ノ水。神田川沿いに金色のイルミネーションが輝いて、美しさって、なんの救いにもならないと知った。別れ話に、声を殺して泣いていた。はじめての彼氏は、半年だった。
「だってきみ、おれにはなんにも与えてくれなかったじゃん」
「一方通行ってさー しんどいんだわ」
「わかる? わかんないかな」
つい先週にも、お花見の約束をして「よっしゃ~」なんて笑っていた声が。
いつもご機嫌で、歌うようにくだらない話ばかりして、ゲラゲラと笑っているところが、素敵だと思っていた。
それがいま、私を突き放すために、努めて淡々と話しているようだった。自分の全てが岩になって砕けしまったみたいに、悲しかった。
その人に出会うまで、愛されたこともなかったから、愛し方も知らなかった。通じ合うための、目線も、呼吸も、声色も、なにも知らなかった。
私は、なんというか、産まれたばかりの子鹿だった。今まで伝えられなかったことを、必死に振り絞っていたと思う。
「もっと前に言ってくれてたら、違ったのかもしれないね」
いまはもう子鹿じゃない。
最近になって、彼の気持ちもわかる。
大好きな子に好きと伝えて「ありがとう」と言われると、なんとなく、心に空洞ができたような気持ちになる。
交わし合いたいと願って晒したものが、そうはならないたびに、不時着して傷を負っている。繰り返すほどに脆くなって、穴になって、風が吹き込む。たしかに彼は、こういう寂しさに耐えられなかったんだと思う。
けど本当は、3年前のあの日々に、初めて桜の咲く街を探して教えたこと、初めて着ていく服に悩んだこと、初めて香水をつけたこと、その日は寒かったから、待ち合わせの前にカイロを買って、手渡したこと。そういうことを、わかってほしかったなと思う。
だから今日、すこしは寒くても、私は平気です。
言葉は誰にでもわかるもので、それはそれで尊い。けれど、たぶん、私にしか気付けないものも多くて、そういうものを、たくさん大事にしたいと思う。
アンミカは言った。白って200色あんねん。
いわんや。愛って、人の数だけあんねん。(370日)