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幕間 記事の微修正と執筆方針
手術日は二月十四日ではなく十五日だったらしい。ということで記事を二つ微修正しておいた。
二〇一九年の一月二十五日、つまり昨日、一冊のスケッチブックを発見した。そこにそう書かれていたのである。姉に確認をとると確かにその通りだった。手術のために家族のサインが必要だったそうで、十三日に事情を知った姉は十四日の夕方に見舞いに訪れ、手術自体は十五日に行われたという。
スケッチブックは二〇一七年の二月二十三日か二十四日に見舞いにきてくれた姉からもらったものである。このときすでに私は正気にかえっていた。
だが完全にというわけではない。あの狂気の記憶がすべて果たして単なる妄想だったのだろうか。私は「正気にかえった」と思い込んでいるだけで、本当は「すべてを無責任になげだして逃げてきた」だけなのではないか。そんな考えを捨てきれずにいたのだった。
スケッチブックに、私はこの異常な体験についてのメモをとっているが、しかしそれはひどく大雑把なものである。というのは、それらを詳しく思い返そうとしたら再び狂気に吞まれるのではないかという懸念があったし、また多くの記憶には生々しい感覚がともなっていたからだ。
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私がほとんど丸二年間のあいだ、この異常な体験について断片的にしか語れなかった理由も、この二点にある。再び狂気に吞まれることへの恐怖、そして異常で生々しい感覚を思い返すことへの不快感。
だが原因はもう一つあって、記憶をたどりつつたどたどしく出来事を言葉にしようとするとき、つねに途中で「いや、こんなものじゃなかった」と不満がわきおこるのである。
これは回想の内容の正確性の問題でもあるのだが、しかし本当の不満は正確なところを思いだそうとしてたどたどしくなってしまう私の語り方それ自体に対してのものだった。「あれはたしか」「おそらく」「もしかしたら」と記憶を掘り起こそうとしている私は、つい曖昧でたどたどしい語りをしてしまう。
だがたどたどしさでは私の体験は本質的に語ることができないのだ。
あれらの体験はそのような曖昧さを受け付けない。呼吸をするたびに痛い? そんなの気のせいでは? と私は考えてみるがしかしそんなことは何の足しにもならない。襲いかかってくる諸感覚の確実さに私は翻弄されるほかない。そして気がつけばまったく奇妙な世界に横たわっていて、何がどうなっているのかと考えてみることしかできないのである。
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私が本記録で再現しようとしているのは、このどうしようもない確実さである。「ただ寝ているだけなのにわけのわからない世界に運び込まれている」、その事態を描くことが本記録の執筆方針である。
それゆえ記憶の曖昧な箇所を推測で補っている場合があることを了承していただきたい。