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セテラともっとも縁の深い監督・・・それはアルノー・デプレシャンでした セテラ作品の思い出②『あの頃エッフェル塔の下で』(その2)

独立系配給会社は比較的作家性の強い監督の映画を配給することが多く、したがって同じ監督の映画をずっと紹介し続ける、という特色を持っている配給会社が多いと思います。
でもセテラは自社のラインナップを見ると、かなりたくさんの監督の作品を単発で配給して映画そのもの、テーマやストーリー主体で映画の買い付けを行っている配給会社だということがわかります。勿論一度配給した作品の監督には愛着も湧き、思い入れもありますから次回作は必ず気になりますし、できれば次の作品も配給できるのが理想だと思います。しかしながら、監督もクリエイターなので、なかなかセテラが次に配給したいと思うような作品を作らないこともあるわけです。そんなわけで、色々な監督の映画を配給して刺激的に緊張感を持ち、毎回新たな挑戦を楽しんでいる配給会社と言えるかもしれません。

そんな中で、3回来日してもらっている監督が唯一アルノー・デプレシャンです。最初が『そして僕は恋をする』の時、次が5年後の『エスター・カーン』そして15年後に『あの頃エッフェル塔の下で』が、3度目の来日でした。間が時々抜けていますが、20年来の付き合いと言えます。彼のエポックメイキング的な傑作『そして僕は恋をする』には本当に美形の若手俳優たちが出ていて、当時無名でしたが今ではビッグネームになった俳優たちがずらりと出ています。その筆頭が、マチュー・アマルリック、キアラ・マストロヤンニ、マリオン・コティアール、エマニュエル・デュボスらで、私たちはデプレシャン組から巣立った、と思っています。マチュー・アマルリックは、『そして僕は恋をする』の大阪ヨーロッパ映画祭の出品時に最初に来日してくれました。当時は全く無名の新人俳優だったので、大きな目をくりくりさせて、ネズミみたいで可愛い!と当時のスタッフたち、(当時のセテラは女性ばかりで、セテラガールズと呼ばれていた!)が、きゃあきゃあ騒いでいました。
(画像:来日時のマチュー・アマルリック)

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デプレシャンの配役のセンスは素晴らしく、『エスター・カーン』の時には、今でこそあのホアキン・フェニックスの妹ですが、公開当時は故リバー・フェニックスの妹として話題になったサマー・フェニックスという存在感のある無名だった女優を主役に抜擢しました。
(来日時のサマー・フェニックス、アルノー・デプレシャン)

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それは今回の『あの頃エッフェル塔の下で』でも言えることで、フレッシュで才能ある若手俳優を見つけるセンスには天才的なものがあると思います。若手俳優たちのみずみずしさと、渋さを増したマチュー・アマルリックの素晴らしい演技を堪能していただけると思います。この映画ではデプレシャンはセザール賞(フランスのアカデミー賞)で最優秀監督賞を受賞してその年に残る大切なフランス映画の1本になりました。この年、私が仕事をするフランスの映画会社の人たちは口々にこの映画は自分の今年のベストワン、と言っていた人が少なくとも10人はいました。デプレシャンは本当にフランス映画界の誇りなんだと思います。
(画像:『あの頃エッフェル塔の下で』PR来日時のデプレシャン)

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山中陽子

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