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【女性に優しいサロン】厳しいからこそ得られる知識と経験<前編>

月に一度、身近で働く女性にフォーカスし、
ざっくばらんにお話しを伺う連載
《女性に優しいサロン》

私の周りにはパワフルで
魅力的な女性がたくさんいます。
そんな彼女たちですが、
この数年を見ていると
「マインドや人生を変えた」
方々を多く見受けます。
自身もその内の一人。

リアルに体現しているからこそ、
彼女達も何故このタイミングなのか、年齢的なものか、
そしてどう変わっていったのかと
お聞きしたいと強く感じました。
仕事のことや身体のこと、
将来のことで
立ち止まって悩んでいる女性たちへ。
お話の中から
ちょっとしたヒントを頂き、
人生の一歩を踏み出しましょう。

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第七回目のゲストは、次回セパのPOP UP SHOPで新たにお披露目をする商品の縫製に悪戦苦闘中の小笠原さん。そして「ITOCI」の縫製も担っていただいています。そんな彼女は、元アパレル会社のチーフデザイナーで文化服装学院時代からの友人です。
若かりし頃のアパレル業界話しからぶっちゃけ話まで、彼女の軽快なトークで笑いの絶えないセッションでした。「おばさん達が若い頃の話しをしているよ。」と思う方も、「あった、あった。」と微笑ましく読んでいただける方も、業界の内情がわかるはず。
では早速始めましょう。

ー小笠原さんのことをお聞かせください。

◼︎小笠原さん(以下O)
専門学校卒業後、アパレル会社に勤務しました。その後数社転職し、24歳で前職の会社に入社、デザイナーとして25年間勤めました。入社当初から即戦力として働いていたんです。当時、先輩に厳しく指導されてたんです。「あんたなんかさぁ...。」みたいに言われたりね(笑。

◼︎サロンオーナーM
いたいた!怖いとうより、きつい先輩ね。ああはなりたくないと思っていたもの、私も。
何に対して怒られ(指導)されていたの?

◼︎O
デザインに対してというよりも、作業に対して。先回りして物事を考えなさい、という考えを徹底的に指導されたかな。あまりにも毎日怒られるから、毎晩怒られている夢を見ていたのよ。寝ている時も叱られ、出社しても叱られ。もう、ぐったり。

◼︎サロンオーナーM
笑笑

◼︎O
1ヶ月しないうちに「もう辞めます!」と言ったら、「責任感なさすぎ」って、また怒られて(笑。
結局辞めずに2、3年続けていたら、だいぶ仕事を覚えて。少しづつ距離が近づき、認めて貰えるようになり褒められるようになった。

◼︎サロンオーナーM
そういうもんだよね。怖い先輩こそ、仲良くなれたりして。
Oさんに仕事を依頼した時に、色々と気づきがあるところは、その怖い先輩のおかげかしらね。

◼︎O
その先輩が退社して、後に入ってきた人も怖い人で...。その人が原因で何人辞めたことか。

◼︎サロンオーナーM
笑笑

ー会社ではどういった仕事を任されていたのですか?

◼︎O
OEMのはしりだった会社なの。
元々は会社のオリジナルブランドをやっていたけれど、だんだんと売れ行きが薄くなり専門店さんのオリジナル商品を作り始め、OEMの割合が多くなったの。当時は他にOEMを請け負う会社が少なく、凄く売れたよ。セレクトショップのBのオリジナルもやっていたし。

OEMとは、ファッション・アパレル業界の企業・ブランドの自社ブランド製品の製造委託を担う業種です。自社工場を持たないブランドや企業などが商品企画までを行い、OEMは指定された素材やデザインで、依頼元の企業・ブランド名義の商品の生産を行います。

READY TO FASHION MAG参照

◼︎サロンオーナーM
20年前ぐらいから専門店が駅ビルに入りだして、Bもオリジナル商品に力を入れ始めた頃かな。一緒に稼げたでしょ?

◼︎O
実は、上司が利益よりも相手が喜ぶことを考える方で。作る枚数は多いけれど、利益が全然出なくて。パンツ1枚作ってタバコ1箱分くらいしか利益がなかった時もあったよ。もう送料出したら終わりじゃんって。トラブルもよくあったし。

その後、百貨店Bのオリジナルも作り出したかな。

◼︎サロンオーナーM
その頃は30歳あたり?もうチーフデザイナーとして?

◼︎O
その頃だね。チーフとしてデザインや生地に対しての知識など、周りから要求されることが多くなり、自分の実力が足りないと思うところも出てきたんだよね。管理職じゃないけど、下も育てなければいけないし。
40歳頃には、いかに取引先のオリジナルとして買ってもらい、先方の言う通りのものを作ることで必死だった。品質管理も厳しくなるし、求められるレベルがどんどん上がり、ついてゆけない。

◼︎サロンオーナーM
それは生地の品質に対してとか?

◼︎O
生地や縫製。そもそも生地は中国だから、品質は良くないんだけど。4級以上しか使えません、という大手企業が多くて。

◼︎サロンオーナーM
どういう生地でその等級を求められるの?

◼︎O
デニムや綿のコーデュロイとか。デニムの色落ちは当たり前でしょ。相手もデニムは無理だって分かっているけれど、「記録として取っておかないといけないんです。」と言ってくる。

◼︎サロンオーナーM
お役所か!

◼︎O
その度に生地試験をしなければいけない。しかも色ごとに...。1回の試験代が5、6千円掛かるのだけど、もちろんこっち持ち。だって、デニムだよ。通るわけないでしょ。本当に馬鹿らしくなってきちゃって。

百貨店Bも凄く厳しいの。
例えば、TR(ポリエステル/レーヨン)の起毛のストレッチの生地に対しても、4級以上じゃないと使えませんって。TRで4級以上の生地なんて無いのよ。すると、「製品後の後加工で何とかなりませんか?」と言ってきたから、何言ってるんだ、みたいな(笑笑。

◼︎サロンオーナーM
笑笑

◼︎O
そういった事を言ってくる人たちが、本当に多かったよ。他には、コーデュロイの濃色に色止めしてくれ、とか。しかも製品で。

◼︎サロンオーナーM
製品で?!どうやるの?

◼︎O
方法があるのよ。加工って凄いでしょ、何でも出来るの。でも、風合いが変わる。一緒に薄い色を生産している場合は、薄い色は等級が良いから加工しないでしょ。「濃色だけ風合いが変わります。」って進言すると、「それは困ります。」って。でも、インポートの仕入や社内で作るものは、そこまで厳しくないの。何故私達だけ?!凄い矛盾を感じるの。

◼︎サロンオーナーM
何故、外部だけ?!

◼︎O
百貨店BやセレクトショップUはさらに品質管理が厳しい。その上、利益は薄い(笑。前職の方針が、委託はやらず買取り商売にシフトしていったから、儲けは微々たるものよ。

◼︎サロンオーナーM
厳しいね。その厳しさが品質を保つことに繋がるのだろうけどね。

◼︎O
しかもね、先方が「生地の在庫は持っていてください。」と言うの。それって先に支払いが発生するでしょ。その上、「最悪、ごめんなさいするかもです。」とか言われるんだよ。

◼︎サロンオーナーM
キャーー。引き取らないという事?!

◼︎O
そう。担当者も言いたくは無いけど言わされているんだろうな、とは思うけど...。

◼︎サロンオーナーM
そういう話は聞いたことがある。なんでこんなに強気なのかな。
作る側も売り側も対等だと思うんだけどね。
でも話を聞いていると、Oさんの経験量はハンパないよね。全部知識になっている。私は好きなものしか作ってこなかったから、そこまで経験がないよ。だからOさんに対して絶対的な信頼感あるのよね。

◼︎O
仕事自体は、やりがいがあったよ。
そのうちに、ボトムス以外のデザインもやるようになったんだけど、結局人の手が足りないの。私自身を犠牲にするしか。後輩も育ててこなかったことは、会社に申し訳なかったと思っている。

◼︎サロンオーナーM
育てなかったというより、育たなかったんじゃないの?時間もないでしょ。以前、Oさんが厳しくされたように厳しくしなければいけなかったんじゃない?

◼︎O
いや、あれは無理、しかも今の時代(笑。

◼︎サロンオーナーM
業界自体が他業種より弱くなってきているから、良い子も入ってこないよね。

◼︎O
そうだね。夢の職業ではなくなっているよね。寂しいけれど。

◼︎サロンオーナーM
給料が安くてきついイメージだからね。

◼︎O
これからは大手のデザイナーさんじゃないと、良い子は入ってこないかもね。

◼︎サロンオーナーM
そもそもデザイナーがいらなくなるんじゃ無いの?!インフルエンサーでいいじゃない(笑。

この続きは後編へ
まだまだ、Oさんの苦難は続きます…。


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