あなたは本当に自分の意志で行動していますか?②~人は何故に人足り得るのか?
あなたは、知りたい事がある時、どうやって調べますか?
答えを知りたい、それは誰しもが思う事ですが、
その答えは果たして、誰のものでしょうか?
そして、あなたらしさとはいったい何でしょうか?
今回はそんなお話です。
◆情報が均一化されていく
インターネット黎明期は、「検索」はあくまでもサブ機能だったのが、
あれよあれよという間に様々な検索エンジンが登場し、
現在では「ググる」という言葉が生まれたように、
知らない事はネットで調べればいい、と言われるようにまでになりました。
急速なインターネットの普及によって人のそれぞれが持つ情報は共有されるようになりましたが、一方で情報を同期し、均一化させているようにも見えます。
(アニメの攻殻機動隊などでは“ 並列化”と言われていました)
しかしながら、ネット上にある情報の数は膨大なように見えて、実はそんなことはなく、検索結果の上位に表示されるものは、あくまでネット上に共有された情報の一部しかなく、それらが世界のすべてではありません。
さらに言えば、それらの情報が正しいという保証もありません。
◆そもそも、知らないことは検索できない
以前、Google検索広報担当のダニー・サリヴァン氏がTwitter上で、
「コンテンツの正確性をGoogleはどのように扱っているのか?」
という質問が来たのに対して次のように回答しています。
“ Machines can't tell the "accuracy" of content. Our systems rely instead on signals we find align with relevancy of topic and authority.”
訳:マシンはコンテンツの正確性を判断できません。その代わりに、トピックとの関連性と権威性にそったシグナルに依存しています。
また、ネットの情報は自ら能動的に探す必要があり、何かを知りたければ、自分で知りたい単語を検索エンジンに打ち込んで検索しなければ情報は入手できません。
その場合、「知らないことは検索できない」という制約に突き当たります。
確かにGoogleの検索アルゴリズムは優秀で、最近は何かを検索すると「あなたが探したい情報はこれではないですか?」という形で関連情報も予測して提供してくれます。
しかし、これではあくまで自分の興味の延長線上にあるものを提供してくれているにすぎず、知識を深めることには強い力を発揮するものの、思いもよらない知識を発見するのにはあまり向いてないように思えます。
もっと言えば、自分が見たいと思っているものしか見ることができない、とも言えます。
◆自分にとって都合の良い情報ばかりを無意識に集めてしまう
古代ローマ帝国の将軍・政治家であったユリウス・カエサルが、
libenter homines id quod volunt credunt
訳:人は見たいものしか見ない。
と語っているように、
人は、自分が正しいと思う事を肯定する情報ばかり集めてしまうものです。
これは『確証バイアス』と呼ばれるものです。
故に本来であれば、幅広い情報を集め、根拠やデータによる判断、他の見方・違う角度から考える事で正しいかどうかを判断するべきところで、さらにネットの検索アルゴリズムによって、自分に都合の良い情報が集まってしまう今の状態では、自ら意識して行わない限り、正しさを判断するのが難しくなってきているようにも感じます。
◆自分を肯定してくれる「オンラインサロン」
自分にとって有意義な情報を得る手段として最近注目されているのが、
オンラインサロンです。
これは一般に公開されているブログやSNSとは異なり、会費を払い、その特定のグループ内で情報を共有したり、主催者から情報を得るというものです。
主に作家、実業家、アスリート、ブロガー等、専門的な知識を持っていたり、ある分野で優れたスキルや経験を持つ個人、又は複数のメンバーが主宰者となり運営するものが多いです。
コ〇ナ禍において、人々がリアルの場で集まる機会が減る中、ネット上でのコミュニティーの場であるオンラインサロンに居場所を見つける人が増えているそうです。
◆同じような考え、同じような楽しみを持つ者が集まる
そういったサロンのルールでは、否定しないというのがあるそうです。
あくまで暗黙のルールということだそうですが、
「まずは相手の言うことを受け入れ、否定しない」
こういうルールを暗に示しているオンラインサロンは多いとのこと。
そういったルールの元、同じような考え、同じような楽しみを持つ者が集まる事により、自分が肯定されているという喜びを得ることができる反面、実は自分自身を本当に評価してもらった上で肯定されてるわけではなく、
特定のルールの中でのサロンという、閉じた世界の中での居心地の良さであり、それがそのまま現実の社会に戻ってきてうまくいくかどうかはわからないといった懸念はあると思います。
実際、そういったサロンのような閉じたコミュニティに依存するようなケース、その中だけで生活したいといった感覚が生まれる事もあるようです。
これはオンラインサロンが悪いもの、と言っているわけではありません。
ただ、サロンの中だけで幸福感を得ようとするのではなく、サロンをきっかけとして行動変容をして、実生活に生かせて、価値観が違う人にも自己主張できるようにならないといけないと思います。
◆そこに自分らしさはありますか?
将来的にはAIが友人や結婚相手をマッチングしてくれるような時代が来るかもしれません。
そしてそれらは似た者同士のコミュニティに振り分けられ、それこそ居心地の良い幸福感を得られるようになるかもしれません。
但し、その時にあなたの隣にいるのは、あなたのコピーのような存在かもしれません。
そうなった時に、果たしてあなたは自分らしさを持っていると言えるでしょうか?
僕は人が人足り得るのは、自らの頭で思考し、その意思で行動できるかどうかだと思っています。
自分が見たいものだけを与えられ、居心地の閉じた世界に依存している状態が、果たして人らしいと言えるのでしょうか?
この問いに正解はないかもしれませんが、
あなたはどう思いますか?