四大陸物語~西~
四大陸物語
『お茶会』
うららかな気候の中。ガラガラと音をたてて馬車は走っていた。
御者は危うげなく手綱を操り、馬を走らせる。
有能な御者が操る馬車の中には、修道服を着た女が一人、物憂げな表情で窓の外を見つめていた。
否、物憂げな表情は彼女のいつも通りの様子で、半分近く伏せられたまつげがその印象を強めている。
窓の外を流れる風景に目をやるともなしに眺めながら、修道服を着た女は小さくため息をついた。
馬車が向かうのは彼女の生家である、ズル家。
荘厳な雰囲気をかもしだす城は、一見してそうとは見えないほどに金子を使い、使いやすくかつ豪華なものに仕上げられている。
内装もしかり、である。
そんな豪華な城へと馬車は咎められることもなく進んでいく。当たり前だ。城は、彼女のものであり、皆が彼女の帰りを待っている。
ユミル=リンドラーク=ズル。ズル本家の当主であり司祭、神の愛娘ともてはやされる存在。その彼女を、城が拒むはずもない。
城門を抜け、馬車を降りた彼女を迎えたのは、一人の少女。
彼女の権力、彼女の地位を考えればその迎えの少なさは異様でさえあったが、ユミルにとってはありがたく、かつ少女の采配によるものだと一目でわかった。
おしのびで外にでていたという事実を、少女は隠さなければならなかったのだから。
「帰って来てしまったのね……」
めんどくさい、と心の底から彼女はつぶやいた。それを耳にした少女のまなじりがきりきりとつり上がった。
「何を言っているんですか、ユミル様!」
鋭く名を呼ばれ、ユミルは少女をかえりみる。
お仕着せのメイド服に身を包んだ少女が、憤慨して頬を紅潮させ、ユミルを睨んでいる。
その少女の顔を見て、ユミルは再度ため息をついた。
少女はそれに対してさらに表情を怒りに染める。蒸気でも吹きだしそうで、ほんの少し笑いがこみ上げたが、ぐっと押し黙る。
「人の顔を見てため息をつかないでください! 失礼じゃないですか!」
「だって、嫌だったんだもの」
帰るのが、とユミルは物憂げに見えるそのおもてをゆがめて、悲しそうに目を伏せた。
その瞳を縁取るまつげは、修道服のフードに隠された髪と同じ紫の混じる銀色をしている。
上下する優美な動きに見入ったように黙っていた少女は、ハッと我にかえった。
「そんな顔をしたってムダですよ!」
金切り声をあげるが、ユミルはどこふく風だ。
「どうしてそんなにいつも怒るの?」
「当たり前です!」
小首をかしげる主人に向かって、少女ははっきりと告げる。
「ズル家の当主である上、司祭様でもあるユミル様が、旅暮らしをしたくて城を抜け出すなんて、許されるはずないじゃありませんかっ!」
もう何度聞かされたかわからない小言の羅列に、ユミルは空を仰向いて、心の底からため息と共に言葉を漏らした。
青すぎるほどに澄んだ空は、まだ昼を少し過ぎたことを知らせる光を頂いている。雲はなく、過ごしやすい日だ。
「別に、辞めると言ってるわけではないのに」
ただ、自由に研究材料を集めに行ったり、旅をしたりしてみたいだけなのに。
――プライドが高く、威厳を保ちたいばかりのズル家は、ユミルの思惑など理解しようともしてくれない。
それがいやで、息抜きを求めて外に出ればユミル付きのメイド兼秘書もかねる少女をだまして外に出てきたというのに。
ばれるとすぐにお小言が始まる。
かろうじてズル家に報告しないだけのユミル自身に対する忠誠はあるようだが、ズル家に心酔してしまっている少女は、ユミルに課された業務ばかりに目を向けがちで、ユミルの心の安定には気を配り忘れることが多い。
お互いのためにそれはいけないと思って、ユミルはこうしてこっそり抜け出したりしていたりもするのだが……
「ねぇ、もう一回、出てきてもいい? 途中でみかけた雑貨屋に、ティアシュによく似合う髪飾りがあったの。それに、湯治もしたいし……」
「いけませんっ」
一言目にはこれだ。
最近はあきらめたように見せていたため、すんなりと抜け出せたが、次回はさらに手ごわくなるだろう。
さて、どうしたものか、とユミルは考える。
いかに、どうやって、どのようにしたら。
円満かつ気持ちよく仕事をサボれて楽しく時間を過ごすことができるか。
……いささか目的がずれているような気がしないではないが、ユミルはいつも同じようなことを考えている。
すなわち、「自分がしたいようにする」ために、仕事をサボり、どこかにいきたい、と。
しばらく黙って少女の言葉を聞き流していたユミルだったが、突如ぽん、と手を叩いた。
「だから、ユミル様は自覚が足りないといつも申し上げております通り……」
「そうだわ、ティアシュ! お茶会をしましょう!」
「自覚と威厳を持って、職務を全うし……って、は? お茶会?」
「そう、お茶会」
ユミルは手を合わせてにっこりと微笑んだ。
その笑みは聖母もかくや、というほどだったが、ティアシュと呼ばれたユミル付きの有能秘書兼メイドにとっては悪魔の笑みに思えたに違いない。
なにしろ、その瞬間に悟ったのだ。
『おとなしく城の中に戻る代わりに、仕事をやらずにお茶会させろ』
そう、無言で要求されたのだと。
* * *
「なるほど、それで私も呼ばれたわけね」
ティーカップを取り、優雅に口に運びながら長い髪を左耳の横で結った女性がユミルに向かって微笑んだ。
黄みの強い彼女の髪が頬の横で揺れているのをユミルは眺めつつ、にっこりと微笑み返す。
「ええ、ご協力感謝するわ」
ユミルも同じくティーカップに口をつけ、芳醇な香りを放つ茶の味を楽しんだ。用意された茶も、お茶請けのための甘いお菓子も、ティアシュによるものだ。
「まったく、ユミル様は……」
とブツブツ文句を言いながらも、主の言葉に従うのが結局のところ、彼女の心の平安と仕事の量が減る、という最短の道であるためティアシュはいつもおとなしくユミルのわがままに付き合う。
ユミルにとっては「ワガママ」ではなく、「正当な要求」であったりするのだが。今のところメイドにその思いが伝わったことはない。
空になったカップにユミルが茶を注いだ。当主がすべき行いではない、とティアシュをはじめとして嘆かれるところであるが、幸いにも場にはユミルと友人しかいない。
ユミルが、居ることを許さなかったのだ。
「ま、いいわよ。ちょうどこっちに戻ってきていたところだし。友人の顔を見られた上に美味しいお茶とお菓子を頂けるなんて、幸運だわ」
「カズーラ商会のおかげじゃない。いつも優先的に卸してくれるのは、シェカでしょう?」
「もちろんそうだけど、買ってくれる人がいてなんぼのもんだし。売り物に手を出すことは、商家としてのプライドが許さないもの」
だから、品質を調べるための味見をしても、実際には手をつけたことがないの。
シェカは、そう言って笑った。
長い髪が動作にあわせて揺れる。
「それに、こんなこともなければ国随一の宗教主事の家系であるズル家に堂々とお邪魔するなんて、中々できないし?」
にや、と笑うのは、秘密裏には何度もズル家に入り込んだことがあるという意味を含んで。
ユミルは無言でその笑みに応え、茶を口に運んだ。
花茶であるのか、口に含むと同時に濃い花の香りが鼻腔につきぬける。その香りが強く、芳醇であるのは、良質なものであるゆえ。
「それで、今回は何があったの?」
一段低い声音で、シェカが切り出した。先ほどののんびりとした表情とはうってかわって、きらめく瞳は商人のそれだ。
ユミルはこの友人の、金に関する鼻の良さと、公私の切り替えのはやさが気に入っていた。そうでなければ、ズル家の当主を務める自分と対等に渡り合えるわけもなく、今まで生き残ってくることもできなかっただろう。
このお茶会は、ただユミルの思いつきで行われるばかりではなく、秘密の会合の意味も含まれている。
ゆえに、人払いをして城の当主自ら茶をいれもてなしているのだ。
「ええ、また、調べておいてほしいの。この間から気になっていたのだけれど……」
「……わかったわ。また分かり次第連絡する。私じゃないかもしれないけど、いい?」
「あなたが送ってくれる人は、いつも親切で良い人たちばかりだから、全く心配していないわ。よろしく」
シェカはその言葉に、今まで連絡を頼んだ商会の仲間を思い出し、それ以上考えないようにした。
ユミルの感覚は、よくわからない。
そのとき、頭を抱えかけていたシェカの耳が新たな来訪者の声を聞き取った。
「おねえさま」
「あら、ユツキ」
ユミルも同時に顔を上げ、来訪者の名を呼び、場に招いた。
緊張をはらんでいた空気が一気にゆるむ。折よくティアシュが新しいポットを持って現れ、ユツキに気付いて新しい茶器を手早く用意する。
「お昼寝から起きたの?」
「はい。おきがえしていたら、おばあさまが『お散歩がてら、ユミルのお茶会に参加してきなさい』っておっしゃいました」
ユツキと呼ばれた少女がとてとてとテーブルに駆け寄り、助けようと大人たちが手を伸ばす間もなく椅子に納まりにっこりと微笑んで言った。
その笑みは、幼いながらもさすがズル家の者と思わせるだけの迫力を感じさせ、シェカは末恐ろしい娘だと改めて思う。
「ところで、シェカおねえさま」
母親から贈られたという、手に持っていたくまのぬいぐるみを器用に膝の上に固定させて、ユツキはシェカに顔を向けた。
「な、なに……? ユツキ」
「今日は、おかあさまとロカをどこにかくしたの?」
「え………?」
「ユツキ!」
目を見開くシェカと、あわてるユミル。
それを眺めてユツキは唇を尖らせる。
「だって、そうなのでしょう? シェカがおかあさまをかくして、ロカをつれてこない、ってユミルおねえさまは言っていたもの」
ユツキはすらすらと述べると、「はくじょうなさい」とシェカに詰め寄る。
「え、は? ユツキのお母様? ユスルギ様を、私が隠した?」
頷くユツキ。
わけのわからないシェカは、ただ首を傾げるのみだ。
ユツキ=ルシェータ=ズル。それはユツキの名であり、ズル家の直系を示すものである。
ユツキの母はユミルの姉、ユスルギ=ラウドール=ズル。
彼女の仕事が特殊なものであるため、現在ユツキは両親の手を離れて母の実家であるズル家によって養育されているのだ。
それが、「最も安全で効果的だから」でもあるが。
両親と離れて暮らすユツキは、驚くほどにわがままを言わない。だが、母がいつ帰ってくるのか、それが早いのか遅いのか、尋ねることはあるだろう。
シェカはしばらく首をかしげていたが、友人の不穏な動きを目にして察した。
「……ユミル?」
そろりとその場を離れようとしていたユミルに呼びかけると、びくんとその背が固まった。シェカはユツキににじり寄られながらも逃がすまいと袖を掴む。
「うふふ、ユツキ、シェカに遊んでもらって、良かったわねぇ。私は用事ができたから、少々席を外させて頂くわ。ごゆっくり、ね。二人とも」
「待ちなさい、ユミル」
「いいのよ、遠慮しないで」
冷や汗を流しながら後ずさるユミルにシェカはユツキを振り払い、
「ユミル、私を悪者にしたわね!?」
「だ、だって私、良い言い訳が見つからなくて……」
「どーゆーことか、よぉっく説明しなさいっ! どうして私がユスルギ様を隠して、部下のロカを連れてこなくてユツキに叱られるのか!」
言い訳するユミルを問答無用で椅子に座らせた。
「シェカおねえさま、どうしてユツキに意地悪するの? おかあさまとロカを連れてきて」
「いえ、あの、うふふ。深ぁいワケがあるのよ。わかってくれるでしょ?」
「ねぇ、シェカおねえさまぁ~」
「ユミルー!」
* * *
……優雅でのんびりとしたお茶会(秘密取引含む)は、こうして締めくくられるのであった。
ちなみに、ユミルの事情説明と謝罪、ユツキへの説明その他諸々が終わる頃には、夕刻の鐘が鳴ったという。