吾亦紅

 ”言葉を必要としない愛も、存在するの。”

 証拠とするかのように差し出されたのは、赤色の小さな果実をつけたような、花。
 その言葉の意味に、気づいて嬉しくなったのは当然。

 御伽話のようなことはあるのだと、ずっとずっと信じていた。
 それこそお姫様や不可思議な冒険譚。
 ずっとずっと、信じていた。

「まぁ! わたくし嬉しいわっ!」

 また、あなたに会えて。
 彼は、父の教え子の一人。文明開化のこの帝都で、異国の地から「日本」を学びに来ていた。
 数日前に出会って以来、ずっともう一度話してみたいと思っていた。
 率直な言葉に、目の前のお方は、空を映したような瞳を大きく見開いた。
 ついで頭をかき、面を伏せてしまう。
 もったいない、と心底感じた。
 伏せられてしまうと、彼の顔が、目が。
 見られなくなってしまうから。
 彼の目の色は、高く澄んだ空の深い青。
 その色が見たくて、そろそろと手を伸ばした。頬に触れたい。
 常なら絶対に思わないようなことを、実行に移してしまっていた。
「!?」
 彼ははじかれるように顔を上げて、私を見た。
 驚きと疑問とが入り混じる、晴れた夏の空の色に、私の姿が映りこんだ。
「ごめんなさい」
「!」
「え、なぁに?」
 彼は私の顔を見ると、バタバタと手を動かし、彼と私とを何度も指差す。
 顔? 顔の、どこ?
 順に触れていくと、一瞬で手を取られてしまった。
「!」
 自分のしたことを棚上げして、思わず手を引きそうになるが、彼は離してくれなかった。
 羞恥で頬が赤くなるのを感じながら彼を伺う。
「あの、離してくださいませんか?」
「~~。~~~!」
「なんでしょうか?」
 何か言葉が返された。
 けれどわからない。それは異国の言葉だった。
 何日もかけて船で海を渡ってしかたどり着けない、私のしらない場所の言葉。
 首をかしげていると、すいと手が持ち上げられて、湿った感触が手に落ちた。
「きゃ」
 そして彼は微笑み、手を離される。
 ほっとしたと同時に、ひどく哀しいような気もして、思わず彼が握っていた、己の手を胸元によせた。
 彼の唇が触れた手。燃えるような熱が、手から発せられているようだった。

 なんだろう。どうしよう。
 思い当たる気持ちは、一つしかない。
 彼を、好きになったのだと、わかった。

 次に出会ったとき、今度は私が顔を見られなかった。
 顔が見たい。あの空の瞳が見たい。
 けれど、相手に見られるのはなんとなく恥ずかしい。
「……? ~~?」
 彼の不思議な響きを感じさせる異国の言葉が、私に向かってかけられる。
 どうやら心配してくれているのだと、わかった。
 その優しさに、胸が締め付けられる。
 思わず言葉はぽろりと口をついて出た。
「わたくし、あなたが好きですわ」
「?」
「好きだと言っていますの。わかりません?」
 一世一代の、勇気を出していった言の葉。心臓が、痛い。息が苦しい。激しく打つ鼓動が聞こえてしまいそうなほど。
 そして、いっそ心臓など止まってしまえと思ってしまうほどの緊張のなか。
「?」
 首が傾げられた。まだまだこちらの言葉は勉強中なのだと、父から聞いていた。
 けれど、ごまかされたくない。ごまかして終えてしまいたくない。
 伝わらないもどかしさを、どうにかして伝えようとして、彼のふるさとである国の言葉を唇にのせようと、開く。
「だから、ええと。アイ、アイラバ」
 うろ覚えの言葉を何とかひねり出そうとするが、出てこない。
「………I love you?」
「そう、そんな言葉でしたわっ!」
 この間とはまるきり反対の状況で、私は顔を上げた。
 空色の瞳と、赤く染まった顔が目の前に飛び込んできた。
「え?」
 彼は何度か言いよどむように口を動かし、青い目を左右に動かした後、ボソリと言った。
「……Me too.」
 けれど、私にはわからなかった。ミートー? 父が言っていた「肉」の異国の言葉かしら。
 怪訝な顔をする私に、再度何度か口を開いたものの、結局諦めたのか、ずっと後ろに回していた手を突き出した。
「吾亦紅の、花?」
 小ぶりの果実が付いたような、花を一厘。
 ふと思いついたのは花言葉。
『思いやり』に『変化』に、『感謝』
 ここで、何の意味があるのだろう。
 もしかして、「ミートー」は「ありがとう」だったのだろうか。
 ………確か、違った気がしないでもない。
「ハナノ、ナマエ」
 彼がぽそりと、小さな小さな声でささやくように言った。
「われもこう?」
 瞬間、わかってしまった。
 世界中の皆に教えてあげたい。幸福とはこのことを言うのだわ、と。

 われもこう

 ”我も恋ふ”

 一所懸命にあてはまる言葉を、捜してくれたのだろう。
 まさかこんな風に、こんな形で。
 なんと素晴らしい、と伝える言葉はないのだろうか。
 それなら、彼に習えばいい。これから先にも、一緒に歩いていけるのだから。

 吾亦紅の花言葉は、もう一つある。
 それは、「愛慕」と言う。

 いつか、彼に、その意味をつたえたとき。
 どんな顔をするのだろうか。


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