文披31題:Day3 飛ぶ
風が吹いた。そよ風などではない。強く、激しく、速い、とっておきの風だ。
良い日よりだ、と額に手をかざして仰ぎ見れば、真っ青な空が視界いっぱいに広がっている。
「細工は流流、仕上げを御覧じろ、ってなもんで」
にやりと笑い、手に持っていたほうきにまたがる。高台から視線の先、見下ろすはふるさとのまちなみ。
びょう、と背中に風が吹く。まるで追い立てられているようだ。
いや、事実、追い立てられている。背中越しに灼熱の視線が刺さっているのを、さっきからずっと感じているのだ。
「もったいぶってないで、早くいきなよ!」
肩越しに盗み見ると、黒髪の少年が杖を振ってわめいている。あんまりもったいぶると、風は止められいよいよ殴られてしまいそうな勢いだ。
「はーい、はいはいはーい! 行きますよ、って。もう、少しくらい情緒ってもんを感じてほしいわ」
ぼそりとつぶやいた瞬間、背中に大きな衝撃が来てよろめいた。振り返ると、少年が眉をいからせ杖を頭の上でさきほどよりも勢いよく振っている。
「は・や・く・い・けっ! 魔力尽きちゃったら風、起こせないかんな!」
だったら無駄に風を起こさなきゃいいのにと思ったが、やめておいた。風が「起こせなく」なるのではなく、「止められそう」だったからだ。
重々承知、と最大の意志を表明して、改めて向き直る。草の緑と空の青の間に広がる土の茶色と、途中で切れてみおろすまち。
「いぃぃぃっくぞーーーーー!!!」
掛け声は盛大に、ほうきにまたがってかけ出した。背中に感じる風は、だんだんと強くなり追い風となって加速の手助けとなる。
このタイミングを計るのが難しかったんだよな。走る速度と、風が強められていく速さとを調整していく。そして、足元にうまく風を取り入れてぐん、と踏みあがれば揚力を得ていくのがわかる。同時に発生する重力などを、自分の魔力で調整して、そして走れるぎりぎりのところまで加速をしたら。
「えーーーーいっ!」
力いっぱいに踏み切って、ダイブ。もし自分と彼以外の人が見ていたら、きっと悲鳴が上がるだろう。
というか、悲鳴は響き渡った。自分のものと、もうひとつ。彼のもの。悲痛なものではなく、歓喜のものだったが。
「ねぇっ、飛んだ、飛べた! 飛んでる飛んでる! うまくできてる!」
「よしよしよし! 落下の衝撃対応しなくてよくなってる! 浮力維持のほうに魔力をまわして、こっからうまく……」
ほうきにまたがって手を振ると、崖のぎりぎりまで来た少年が杖を振っている。飛ぶための風を調整してくれると同時に、風に乗せて彼の言葉も伝わってくる。おそらくこちらの声も、風で拾って聞き取ってくれているだろう。
いまのところ、順調だ。向けられる風の魔法を、流れを調整することで飛ぶことを維持し続ける。意志とともに体を傾け、同時に風と体にかかる力を調整して、ゆっくりと右に旋回する。
おお、と彼の声が耳に届いた。どうだ、うまいだろうと得意な気分になる。
八の字を描くように何度か旋回を終えて、だいぶ飛行に慣れてきたなという感覚を掴めてきた。
「これくらいの風で維持すればいいわけだな。でも今日みたいに風が動かしやすい日ばっかりってわけじゃないし……っておい、何やってるんだよ!」
「ん-? どれくらい高く飛べるかなと思って」
「だめだやめとけ、高度で風の強さ変わるんだからそっちの調整が間に合わないんだって」
「大丈夫大丈夫、今日すっごく調子がいいからさ、どれくらい飛べるのか、やってみたくない?」
だってこんなに気持ちがいいんだから、と先ほどより高い場所でくるりとまわってみる。崖から飛んだときは風を担当してくれている彼に見下ろされる位置で飛んでいたが、今は彼の頭上くらいまで飛ぶことができている。
びっくりするくらい調子がいい。今まででいちばんうまくいっている。
慌てた調子で彼が制止の声を届けてくるが、手を振りながら「いい感じ、大丈夫だよー!」と、手を振った。気づいた彼も振り返してくれている。
こんなに調子がいいなら、とひとつ技でも見せてやるかと宙返りをした。
「ばっか! やめろって!」
くるりとひっくり返った視界で逆さの彼が見えたのと、焦った声が聞こえるのは同時で、そのままぐん、と体が回転した。
やばいかも、と思った時には、もう真っ逆さまに落ちていた。耳元で風の音だけがびゅうびゅうと響いて、彼の声も届かない。必死で魔力を調整して、風と重力を制御下におこうとしてみるけれど、落ちていることと焦りで集中できない。そしてその事実にまた混乱がひどくなる。
まずい、と思う。これはやっちゃったかも、と思いながら、これは叱られるだけじゃすまないかもなと覚悟する。
骨の一本や二本、さらにしばらくのベッド生活なんてことを思ったが、もしかしたらそんな程度では済まないかもしれない。
ちょーっと調子に乗りすぎたかなぁ、もう飛ぶ練習とかできないかもなぁ。命の覚悟って、こんな風にするもんなんだな、と考える間に今度はいろいろな記憶がよみがえってくる。
あ、これ走馬灯だ。ほんとに見るんだ、なんて考えていると、先ほど踏み切った崖が見えた。
『空を飛びたいんだ』
『……本気?』
『もちろん、僕の魔力制御と君の風の力で、ほうきで空を飛ぶっていうの。できると思うんだよね』
そうだ、こうやって彼を誘ったんだった。
『馬鹿なの?』
『これぞ魔法使い、っていうのやってみたいんだ。協力してくれるでしょ』
『これで君が大失敗して、馬鹿のお目付け役、やらなかったら叱られるのは僕なんだよね……』
しぶしぶと彼の了承を取り付けた結果がこれなのだから、笑えない。どっちにしたって、彼も叱られることになる。
それは、悪いなぁと心底思った。巻き込んだのは自分のせいなのに、できるなら彼は仕方ないなと許してやってほしい。こんな馬鹿のために、いろいろと付き合ってくれたんだから。
ごめんな、ありがとうと言い足りないなぁと思いながら、なかなか地面につかないなと気づいた。
「……あれ?」
「いい加減にしろよお前、落ちてんのに諦めてぼーっと考え事してんじゃねぇ!」
いつの間にか宙に浮いていた。飛んでいるのではない。背中がやけに突っ張っているから、服がひっぱられているのだ。そしてものすごい勢いで怒鳴られている気がする。なんでだ。天国なら怒られるんじゃなくてラッパとか聞こえてほしい。
「ぼーっとしてんなよ! 早く重力制御しろって! 重いんだよ! 魔力ギリギリまでしぼってんだから浮いてるので精一杯なんだぞこっちは!」
言われて慌てて魔法を使い、言われるがままにゆっくりと降りていく。
足がつくと、二人してへたりこんでぜぇはぁと息をついた。全力疾走と水中息止めを全力で終えたくらいに息があがっていて、二人ともしばらく一言も声を出さずに時折ひどくせき込みつつ、ゆっくりと落ち着かせた。
「……生きてる」
「当たり前だろ、ほんと馬鹿だな」
あきれ返った声に、へらりと笑いかけると殴られた。ぐーだったからかなり痛い。
頭を抱えて涙目になったが、生きている感触だなと再度笑ってしまう。へらへらしてんなよ、と彼に突っ込まれた。
「君、飛べたんだねぇ」
「風使いが自分のこと飛ばせるくらいできなくてどうするよ」
自分以外はまだ無理だけど、と付け加えられて、そうか、いつかは他の人も飛ばすことができるんだなとぼんやり思う。なんとなく、悔しい。
「いや、だったら僕の提案になんて付き合わなくても良かったのにと思って」
「馬鹿だなとは思ってた」
「ひどいなぁ」
言いながら悪い気はしなかった。馬鹿な提案と思っていたけれども、意地悪も否定もなく、彼は付き合ってくれていたのだ。全力で魔法を提供してくれて、いざとなったら自分の身まで危険にさらして命を助けてくれた。
「でもまぁ、面白いとは思ったんだよ」
「ん?」
「魔法使いといったらほうきで飛ぶこと、って言ったお前の発想。面白いなって」
「……君ってほんと、いいやつだね」
彼はしみじみと言ってのけた僕にむっとしたのか眉をしかめたが、へらへら笑い続ける僕の眉間を弾いてほら、と促した。
「ほうき持てよ、次こそは高空宙返り、成功させるんだろ」
照れ隠しか、耳まで赤くなって腕を突き出してくる彼からほうきを受け取り、うん、とうなずく。
「君のそういう優しくてかわいいとこ、本当にいいやつだし好きだなぁって思うよ」
今度は無言で小突かれた。
次は、成功させるよ、と笑いかけたら絶対な。と返されて、二人の小さな魔法使いは大きな野望を再度心に誓った。