片栗
空があんまり青いから。
だから、私は。
憂鬱だ、と顔に書いてある。
鏡をのぞきこんだ私は、向かいに映る自分を睨み付ける。
なんでそんなに不機嫌なの? 己に問うが答えは返らない。
私が口を開かないからだ。眉間によったしわ、への字にまがった唇。そしてどんよりと濁った目。
何がそんなに気に入らないの?
わからない。
ますます寄った、眉間のしわに右の人差し指をあてて。ぐりぐりと引き伸ばそうとしてみるものの、あまり意味はなかった。
指との摩擦に痛みを覚える辺りでしわを伸ばすのを諦めて、息をつく。
「嗚呼、憂鬱だ」
声に出してみれば、なんと陳腐な言い回しだろう。下手くそな役者のよう。演技かかっていて、そのくせ滑りで。
それでいて、ますます気分が落ち込むものだから、ある意味うまいのかもしれない。マイナスベクトルで。
このままでいいはずがないけれど、抜け出す術も見当たらず、櫛を手に取り、髪を梳かす。
まっすぐなことだけが自慢の、伸ばしっぱなしな黒髪はあまり艶も出ずにどしりと重い。まるでいまの気持ちのように。
なぜなのか、その理由はたったひとつ。
春だから。
この言葉を聞いた人々は、みなそろって首をかしげた。そうだろう、わかるまい。この憂鬱を。
寒く短い一日を、身を縮こまらせて過ごしきって迎える春は、芽吹きの季節だ。
明るく優しい、まぶしく新しいことが始まる季節。
だからこそ、憂鬱だ。
この、空気は軽いのに体に積もっていく澱のような重さはなんなのか。
鞄が重い、制服が重い、体が、心が、重い。
すべて投げ出してしまいたいくらいの憂鬱さに苛まれながらテーブルについて朝食を口にする。
重い、重いと感じながらも咀嚼することはやめず、トーストと目玉焼きと小鉢のヨーグルトを食べ終えると、お腹の中にたまったもので、さらに重くなったように感じるとともに、少しだけ温みを感じた。
ほんの少しだけ、重さに勝てるような気がして身支度を終えると扉を開いて「いってきます」の言葉と連れ立ち、外に出る。
風が、吹いた。
髪を揺らし視界をふさがれ、瞬間の闇を抜けた目の前には、青が。
真っ青な空があった。
雲ひとつない、というにふさわしい青空が、いまにも落ちてくるのではと心配になるほどに視界いっぱいに広がって。
「嗚呼」
私はうめいた。うめき声をあげることしかできなかった。
ひどいじゃないか。
片手で顔を覆い、恨み言を口にする。声にならない声が、唇の端から漏れていく。
こんな空が綺麗だなんて、聞いてない。
あんまりだ。
背中で、扉が開く音がした。
「どうしたの、立ち止まって。……あら」
顔を覆う私の意味に、気づいた声音。
指の隙間からこぼれ落ちた雫が足元に染みを作っていく。
空があんまりに綺麗な青色で。
私は私の、向き合わないでいようとしたものに気づかされてしまったのだ。
「今日で、最後だものね」
また風が吹いて、髪を揺らした。制服の裾も柔らかく揺らされて、冷たさの中に暖かい春の気配が忍んでいるのを理解する。
まだ、もう少しだけ、時間をください。
青空の下で笑顔で歩き出せるまで。気づいた本音を認める勇気がわくまで。
春の綺麗な青空は、嬉しさと、寂しさと、両方持っているから。
だから、私は。
もう少しだけ、進み出すことをためらっていたい。
片栗(カタクリ)
3月24日誕生花
花言葉は「初恋」「寂しさに耐える」