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文披31題:Day2  喫茶店

 久しぶりに会う約束をした幼馴染との待ち合わせは、いつからあるのかわからない、古い喫茶店だった。
 ドアを開くとカランカランと上部に取り付けられた鐘が鳴る。すかさず店の奥から「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」と声がかかる。
 古びた店にいるのには場違いな、若い声だなと思いながらほどほどにお客の入った店内を見渡し、窓際の空席を見つけてソファにかける。 ざらりとした感触の生地は、古さを感じるのみでむしろ心地よく体になじむように体重を受け止めてくれて、力が抜けたのが分かった。
 間をおかず、先ほどの店員と思しき女性がトレイに水のコップとおしぼりを持って現れ、手際よくテーブルにセッティングしていく。
「いらっしゃいませ、お水とおしぼりです。ご注文はお決まりですか?」
 にこやかかつ優しい声音で、そしてはきはきと活舌のいい口調はこちらを元気にしてくれるようで、微笑ましく好ましい。
「待ち合わせなので、相手が到着してから注文でもいいですか?」
「はい! それでは、お連れ様が到着しましたらまた伺いますね」
 にっこり笑っての返答もまた好印象で、こんなに居心地のいい店だったかと思わず周囲を見渡せば、年を経た常連らしい客と、カウンターの奥に一人、仏頂面の男がいるのを見つけた。
 そうだ、あの印象だ。思い出して吹き出すのをこらえてしまう。幼いころ、そう、悪ガキと呼ばれるほどの時代に、彼にずいぶんと叱られたものだ。
 叱るときも店先に立っているときもほとんど同じ表情で眉間に皺を寄せて、難しい顔をしていたものだ。ほとんど変わらない姿に、彼だけは時が止まっているかのように感じて面白い。
 彼の顔は怖いと評判で、仲間内でも『恐ろしい鬼』扱いだった。自分たちの行いが悪いのに、叱られるのはたいそう気分の悪いものだから八つ当たりと言ってもいい。単純に怒りんぼ坊でうっとうしい親爺と悪口を言っていただけだが、その記憶と彼と、彼が経営する喫茶店とが結びついて、店そのものも居心地の悪いものだと思い込んでいただけらしい。
 あまり来たことはなかったが、家に客が来ると「このお店のコーヒーは美味しいの。ケーキもよ」と母は客を連れ出していた。母はお茶を淹れるのがうまくはなかったので、ちょうどいい面もあったのだろう。
 そして、ついでとばかりに連れられて行くのは自分も同じくだったが、店のケーキとオレンジジュースが旨かったので、鬼親爺に会うのと食欲とがせめぎあっていて子供心にはストレスだった。
 考えると馬鹿らしいエピソードだが、こどもとしては最大限の悩みだ。店に行って、顔を見たらあの仏頂面の鬼に叱られるかもしれない。そう思うとジュースは飲みたいしケーキは食べたいのに、気が滅入った当時の気持ちがありありと思い出される。
 もし、当時の自分がそれを素直に口にしていたら、親には「あんた、何か悪い事でもしたの?」と聞かれただろう。特に何もしたわけではないのに、叱られた感情というものは先行してやましい心も生むもので、しどろもどろになって今度は親に叱られていたのかもしれない。いや、本当に叱られたような気がする。そのときは何もしていなかったのに、してしまった「悪い事」をきっと白状してしまっただろうから。
 思わず笑いが漏れると、その声を聞きつけたのか男が視線を動かした。こちらを見ている。鋭いまなざしは年齢を重ねて衰えるどころかますます鋭いものに変わったように感じてしまい、背筋が冷えるうえにしゃんと伸びる。
 今日は何も「悪い事」はしていないのにな、と思いながら同じく年を重ねた自分が、いつの間にか身に着けた愛想笑いと共に会釈をすると、フン、とでも言いたげに息をついて男が視線を逸らすのが見えた。
 注文が遅い、とでも言われるのではなかろうかと思ってしまうあたり、こどもの頃の感情にひきずられているなと思う。ほかの店であんな仕草をされたら「こっちは客だぞ」と開き直ることもできるのに、前科者(というには重すぎるが)の心地とはこういうことを言うのかもしれない。
 幼馴染はまだ来ない。顔を見せたら遅すぎるとでも怒ってやりたい気分だ。こっちは幼少期のささやかなトラウマを思い出して、少し感傷的な気分になってしまったのだから。
 ちらと視線を投げると、先ほどの女性店員が気づいてぱぁっと顔を輝かせた。そういえば、最近はスイッチで呼びつけることも多いのに、ここだと昔ながらに声をかけるか手を挙げて呼ぶタイプの店だなと気づく。
 そんな不便に感じるシステムでも、何事もなく店がまわっているのは彼女のおかげなのだろう。くるくると忙しなく動きながらも客の様子を伺っており、てきぱき良いタイミングで声をかけているのを何度か見かけた。待ち合わせの時間つぶしの間、楽しそうに働いている人間を見ているのはこちらとしても楽しいものだ。
「お呼びですか?」
「待ち人が遅いようなので、先に注文してもよいだろうか。先ほどは待ってと言ったのに、申し訳ない」
「いえ! お気になさらず」
 これまた気持ちのよい返事だなあと思いながらアイスティーを頼むと、カウンターから声が飛んだ。
「いい豆が入っているから、アイスコーヒーがおすすめ」
 仏頂面のマスターが、こちらに視線も向けずに言った言葉におやと思う。この喫茶店では、人に飲み物を勧めるようなところがあっただろうか。
「大人になった今なら、飲めるだろう」
「おじいちゃんたら、押し付けちゃだめよ」
 女性店員は彼の孫らしい。きまりが悪そうに肩をすくめながらカウンターの客に呼ばれていくのを見送り、女性がこちらに向き直る。
「すみません、いつもはあんなふうじゃないんです。注文も、お好きなものをおっしゃってくださいね」
「いいんですよ。マスターのおすすめもあったことだし、アイスコーヒーをお願いします」
「無理しなくて……」
「いや、いいんです」
 実はね、と昔コーヒーは美味しいのかとマスターに尋ねた結果、苦いコーヒーを飲まされたエピソードを孫である女性に話すと、大変朗らかな笑いを得ることができた。
 そうだ、あれは叱られたときに口答えしたら「コーヒーも飲めないガキのくせに」と言われてそんなやりとりになったのだと、あわせて思い出し、苦笑いが浮かんだ。
 早く幼馴染は来ないだろうか。今は美味しいと感じるようになったが、当時は苦い泥水を飲まされたものと罰ゲームのように悔しかったことも話したくてうずうずしてきた。幼馴染と一緒に、マスターに挨拶してもいいかもしれない。あの仏頂面が、少しはほころんだりしたら面白い。
 古いがしっかり手入れされた窓越しに見える風景は穏やかに過ぎている。マスターおすすめの豆で淹れられてくるだろうアイスコーヒーを待ちながら、ゆったりと夏の午後は過ぎていく。

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