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VOL.9 ヨソモノ・ワカモノ・バカモノ論 ~地域移住のコレいい、コレあかん~

新型コロナウイルスの感染者がでたら村八分にされると噂の地方は、新型コロナウイルスのない通常状態でも誰かを村八分にします。小中学生の頃を思い出しますなー。

さてさて。

前回にちょっと時事ネタを挟みましたが、本題に戻りましょう。今回の地域移住のコレいいコレあかんのテーマはこちらッ!!

「地方創生に必要不可欠なのか!!??~ヨソモノ・ワカモノ・バカモノ論~」

最近よく聞きませんか?地方創生を進めるのは「ヨソモノ・ワカモノ・バカモノ」ってワードを。でも実際のところどーなの?ヨソモノ・ワカモノ・バカモノがいれば地方が活性化するの?逆に地方が活性化するにはヨソモノ・ワカモノ・バカモノが必要なの?

そのあたりを記述していきたいと思います。

結論から申し上げると、「地方創生」と「ヨソモノ・ワカモノ・バカモノの存在」は必要条件でも十分条件でもありません
それぞれの定義づけは後ほど記述するが、この言葉が一種のパワーワードとなりすぎてしまい、「うちの地域にはヨソモノ・ワカモノ・バカモノがいるぞ!これで活性化できる!ガッハッハ―!!」や「うちの地域が活性化できないのはヨソモノ・ワカモノ・バカモノがいないからだーー!!」なんてぼやきだす地域も多い。

こうなると「なんだかなぁ」と阿藤快のような表情になるのは言うまでもない。

もちろん「ヨソモノ・ワカモノ・バカモノ」が組み合わさるといい影響になることもあるが、必要であるのは「優秀な人」であり、その「優秀な人」を受け入れる地域(地元にいる方)の「覚悟と情熱」、むしろこちらの方が根幹として必要な要素である。

それでは具体的に述べていこう。

① 地方にいるヨソモノとはー?

文字通りではあるが、よそから来た人である。
ヨソモノのポイントは、「客観的に地域を見つめる事ができ、価値を判断できる人」であること。この点から考えると、いわゆるIターンだけでなく、UターンであれJターンであれヨソモノであると言えると考えている。

繰り返しになるが、ここでの大事なポイントは「客観的に地域を見つめる事」ができること。長年その地域にいる人は、風光明媚な観光素材となりうる場所でさえ、「ただの景色」と感じることもある。それをヨソモノの視点からとらえることで、価値を見出すのである。

但しこんなこともある。都市部で育ったヨソモノが私の地方に来た時、棚田が広がっているのを見て「こんなきれいな棚田はみたことがない!これは人を呼べる観光素材になる!!」と躍起になり、都市部から人を呼ぶ観光イベントを立てたことがあった。
しかし、私の地方から少し行った先にはこの10倍ほどの規模の棚田があったり、都市部から同じ時間をかけて行ける場所にはそれこそ有名な夕日と海の見える棚田があったりと、単純に「棚田の価値だけでは負けてしまう」のである。しかし残念ながら、棚田を見たことがなかったこのヨソモノはその棚田を「絶対的な価値」と信じてしまい、差別化等も考えない中でイベントを企画してしまった。
規模や知名度で勝てないのならば異なる切り口で企画立案する必要がある。これではイベント集客に苦労するだけでなく、イベントに来られた方の満足感も上がらない。

ここでわかるように、必要であるのは単純な意味での「ヨソモノの視点」なのではなく、客観的に地域の価値が判断できる知識と思考力であり、それを持っているということは「ヨソモノ」と言うより、もはや「優秀な人」なのである。

② 地方にいるワカモノとはー?

文字通り若い人である。
おそらく「従来とは異なる価値観を持っており、行動力のある人」くらいのニュアンスだろうか。

正直「ワカモノ」が一番よくわからない。当然ではあるが、年齢が若かろうが老いていようが、行動力や知識、投資力が変わるわけではない。シンプルな意味での「体力」は差がでるのかもしれないが。

価値観においても同様である。年齢が若ければ従来の考え方と異なるかと言えばそうではない。むしろ地方では「外に出たことのない若い人間が一番保守的」に感じる事も多い。要は、とある宗教の家で育った人がそのままその宗教に入り込むのと同様に、外を見る機会がないと「これが当たり前」との考えに凝り固まってしまう。
そして年齢をある程度とっていたとしても、ヨソモノの視点を持ちながら経験や投資能力があり、行動力もある人も当然いる。「若い人=価値観が新しく行動力がある」「年配の人=価値観が古く行動力がない」となる傾向はほとんど見られないのである。

上記のように年齢云々ではなく、新しい価値観や行動力をもっているのが「ワカモノ」の定義ならば、それは一般的な意味での若者ではなく「優秀な人」なのである。

ちなみに地方では50歳くらいでも若者と言う。一般社会と地方において若者という言葉のギャップも存在するのである。

③ 地方にいるバカモノとはー?

文字通り馬鹿者…??
と、冷静に考えてください、これシンプルに悪口ですからね。

定義づけるとすれば、「常識にとらわれず突拍子のない考えや行動ができる人」くらいのニュアンスでしょうね。

但し当然になるのだが、「ただのバカ」は「ただのバカ」である。
とあるところの地域おこし協力隊が違法大麻栽培で逮捕されたりしたが、法律違反は論外(ダメゼッタイ!)にせよ、地域の枠組みから大きく反れてしまう存在であると当然地域(地元にいる方)の信頼は得れない。

アナログな言葉ではあるが、この「信頼」というのは地方創生において重要になってくる。企業経営のように短期間的に経営状況などで客観的に評価できるわけではない上、それぞれの仕事がある中で付加的な要素として地方創生はある。
そして「それぞれの仕事」と「地方創生」はコインの表裏のような関係であり、長期的な視点でみるとどちらが欠けてもいけないものである。但し、それぞれの仕事は事業者単位で事は済むが、地方創生はそうはいかない上、短期的に売上が増える等わかりやすい指標はない。
そうなると互いに信頼関係を得て、進めるしかないのである。

そしてその関係を得るためには、一見突拍子もない行動の裏にある高い戦略性とバランス感覚が必要である。そう、それはもはや「バカモノ」ではなく「超優秀な人」である

このようにパワーワードかつ抽象的な「ヨソモノ・ワカモノ・バカモノ」を語るのではなく、具体化した「優秀な人」をいかに地域(地元の方)が「覚悟と情熱」を持って受け入れていくか。それが地方創生における必要条件であり、十分条件である。地方の強みを生かすために「何をするか」も大事だが、「誰とするか」はもっと根本的であり大事なことであると考えている。


っと、こんな感じでヨソモノ・ワカモノ・バカモノ論を書いてきましたが、いかがでしたでしょうか?抽象的な言葉は便利で都合よく使えることもあります。但し、それでは前に進まないことが多いのも事実。意味を具体化させ、現実に落とし込むことで始めて言葉の意義がでてくることを考えないといけないですね。

ここらへんでそろそろ趣味ページが書いてみたくなってきたので、次回はいつもと違うテーマを書いてみよう。

ではまたー

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