第三章 第一四節 ANIMO CEREZO!
伝えることの重要性を感じはじめたぼくは頻繁にブログを書くようになった。他愛もなく究極的に面白みの欠ける文章が、日に日にインターネット上を汚していった。
壊滅的な語彙力の乏しさを元来の読書好きがフォローする。基礎の基礎 ― ハンス・オフト的なコンパクト、アイコンタクト、トライアングル、のような言葉によって、辛うじて投稿を続けることができて面目を保てていた。感情を文字に乗せることの難しさと重要性が身に沁みた(この頃のセレッソ大阪は出入りの激しい試合が多くなっていたから、ネタが尽きることすらそうそうなかったのがありがたかった)。
毎日書いていたら気づくことも実に多かった。例えば読んでくださっている方とポジティブにつながるだけでもありがたかった(読者と書いたりしたら恐れ多いのだけども)。
スタジアムで「いつも見てますよ」なんて言われたりすると、さらにキータッチの力が強くなっていく。人間なんて所詮、そんな単純な生き物だ。
貧弱だったボキャブラリーもわずかずつだけど徐々に増えていった。補完しあうかのように読書量が増えたのもこの時期だ。
昔から書くことが好きだったせいもあって、手帳の落書きなんてとんでもないくらいの状況になっている。ときにTシャツのデザインに使えそうなものなんて思いついたりして、好循環のサイクルがクルクルと回っているようにも感じた。
ただし応援というキーワードにだけはかなり神経質になっていたのも否めない。勝つと負けるとでは受け取り方も大違いなのだけれど、ゴール裏の応援(いや、ゴール裏の住人なのか)そのものについて指摘されると、どうしても反論する気持ちが生まれたりしていった。
そのたびに自分自身の脳内整理に収拾がつかなくなり、テキストの応酬から泥仕合になることもしばしばあった(かのマキャベリは「武器を持たない国にいい法律は生まれない」とも語ったけど、言葉という飛び道具を正しく使わなければいつか大地をも巻き込む大事件へ発展することをぼくは身をもって知っている)。
それでもスタジアムで出会う人たちとのリアルな対話が心の底から気持ちよかった。老若男女誰しもが、ただただセレッソ大阪を愛して集う。支えていくというサポーター本来の思いだけでつながる関係性が、ぼくはこのうえなく好きだった。
その思いが、ぼくの先天的な駄目さ加減の一面を取り去ってくれている気がした(さらには同い年のアミーゴが多いのもありがたかった。まあサポーターに年齢なんていう目盛りはまったく無意味なのだけど。それでも同級生という響きはいつもぼくを心強くさせてくれる)。
Jリーグが生まれてもう六年が経つ(これが早いのか遅いのかはわからないけど、少なくともぼくの人間としての成長には多大なる功績があっただろうと思う。
もしJリーグがこのように生を受けていなかったとしたら、ぼくはどれほど堕落した人生を歩んでいたのだろうか。そう考えるとゾッとするほかない)。
そんななかでセレッソオリジナルズも生まれてきた。生誕したときにはすでにセレッソ大阪というプロサッカークラブがそこにはある、という混じりっ気のない”純”セレッソ大阪サポーターの子供たちだ。
彼らが長居スタジアムのI―四ゲート付近 ― ここが、聖地の中でも特に聖なる場所としてコアなサポーターが集うスペース ― へと集ってくるようになって老若男女感が大いに増した。
国立競技場の一二番ゲートが日本代表サポーターにとっての聖地であるならば、セレッソ大阪サポーターにとってはこのI―四ゲートが紛れもない聖地なのだ。
そんなサンクチュアリともいうべき場所には、セレッソオリジナルズだけでなく小学生や中学生、高校生といったセレッソチルドレンの出現も次第に多くなっていた(C6(シーシックス)と呼ばれる六人組はそのなかでも突出したタレント集団だ。こりゃとんでもない大人になるんじゃないかと思う。ちなみに名づけ親は他でもない、ぼくだ)。
少しずつ、本当に少しずつではあるけど、三〇年後、五〇年後、一〇〇年後のゴール裏、あるべき未来のI―四ゲートをイメージできるようになっていった。
だからこそ、選手だけでなくサポーターも育成が必要だと感じた。セレッソ大阪愛を構成するDNA(四種類の塩基、Aアイシテル、Gゴールヲシンジテ、Cセレッソノセンシタチ、Tトマルコトナクからなる)が次の世代へと引き継がれていくはず。これこそサポーター・アイデンティティのとても大事な要素なのだろうとぼくは思った。
だって、自分たちの代で終わることは許されないわけだから。この先もずっと、未来へと続いていかなければならないのだから(サポーターライフは続くけど、ゴール裏の住人として生きていられる期間は、選手生命と同様に極めて短命だ。五〇代のコールリーダーなんて想像しただけで寒気がしてしまう)。
そう思うようにもなったのも、若い頃からぼくを叱ってくれた周りの大人の存在が大きかった。
ある昼下がり。ポケットの中の携帯電話がおもむろに鳴った。まるで壊れかけているラジオのように両サイドのフレームが完全に消失してしまっている骨董品のフリップをぼくは開いた。
番号を見ると、セレッソ大阪創設時から色々な場面でお世話になっているスタッフだ。何気に、いつもの叱られる記憶が蘇ってきて、またなにかしでかしてしまったかと内心ビクビクしながら通話ボタンを押した(とは言えサポーターの話を親身になって聞いてくれるいい方だ)。
「相談があるんやけど今少しだけ時間いいかな?」
もしかしてあの事件のことか、いやいやそれとも例のやつか…。ぼくは恐る恐る聞いた。
「全然大丈夫ですよ。なんかありましたか?うちの若いの、またなにかやらかしましたか?」
「今日はそれじゃなくて、」スタッフは一呼吸おいて言った。「出てほしいラジオ番組があるの」
ラジオ?正直なところ何をいっているのかぼくには理解ができなかった。それでも対話が進んでしまうのがセレッソ大阪流なのだろう(あの頃から脈々と受け継がれているなにかアクのようなものだ)。
返答する言葉を作ることができずにぼくが困っていると見るや、スタッフは畳み掛けるように話してきた。
内容はというとこうだ。
毎週金曜日に某ラジオ局で流れている番組 ― 超有名な ― の出演者を、一人前のセレッソ大阪サポーターへと育てていくという企画(らしい。ちなみにANIMO CEREZO!という名称は初回放送のときに初めて知った)。サポーター代表としてその番組の一コーナーに出演してほしいとのお願いだった。
いやいや、違う。いつものことではあるけれど、これはもう”お願い”ではなく”指令”だ。ためらっていると次の瞬間には”命令”にアップグレードされる(そうなるともう、ぼくという人格や人柄は選択条件から除外されてしまう)。
どの程度の大阪市民がこの有名ラジオ番組を聴いているのか定かではなかったし、ましてや当の出演者が誰なのかという情報武装すらぼくは身につけていなかった。
だけどこれは逆に好都合だとも率直に思った。伝えるアクションがなにより今のぼくには必要だった。セレッソ大阪サポーターを増やし次の世代を育成する責任ある身としては。
二つ返事でこのインポッシブルなミッションを引き受けることにした。いつからいつまでの期間で話すことになるのかを聞きそびれたけど、まあそんな些細なことはいいだろう。
番組が仕事を終えたあとの遅い時間であったのは、ぼくにとって非常にありがたい話だった(電話を切った瞬間《なおこの携帯電話は自動的に消滅する》という機械音が流れたらどうしよう、と悩んだけど、幸か不幸かなにも起こらなかった)。
それから毎週金曜日は、仕事が終わり一旦家に戻ってから車でラジオ局まで行く日々になった。
いよいよ初日。ドキドキしながらスタジオ入りすると、そこにはあのタレントの面々がいた。社交辞令という名の軽い挨拶と進め方を打ち合わせする(緊張はしていたものの、テレビで見る顔であろうと誰であろうと、遠慮することなく根掘り葉掘り聞いてしまうのがぼくの悪いところだ。人見知りなくせに目的意識があると饒舌になっていく。某女優が手書きしてくれたマンションの間取りについて話が盛りあがってしまったのは、絶対にここだけの秘密にしておいてくれ)。
一回目の放送を終えた。なんだかぼくは清々しい気持ちになっているのに気づいた。映像が出ないとはいえ生放送でもあるので、爆弾を投下するかのような発言だけはしないように。そう頭のなかで言葉探しに没頭しているうちに番組は終了した。いや、そんなことすら吹っ飛んでしまうくらいの心地良さと充実感が溢れ出た。
コールリーダーは、一体どんなことを考えてサポーターに声をかけていくのか。トラメガを持って周りを見渡し声を張り上げるときは、何を思い、そしてどんな本音を頭に浮かべているのか。そういう、普段人には話すことさえない事情みたいなものを伝えていける場所がそこにはあった。
このような環境を提供してくれた多くの理解者にぼくは感謝した。出演者に向けて(もちろんその声の先にいるリスナーにも)話したり伝えたりしていくうち、いつもアミーゴと話している言葉と、これからサポーターになろう、なりたいと思っている人に伝える言葉には、一片の違いもないことにぼくは気づいた。セレッソ大阪サポーターとしてのぼくの「あるべき姿」がぼんやりと見えたような気がした。
より多くの言葉、それも、相手に正しく伝わり気持ちを高揚させる言葉が必要なのだ。ぼくの役目としての言葉が左右上下を飛び回り、そして言葉がまたひとつひとつぼくの役目を生み出していく。よかったよかった。そんなよかった探しにはとてつもなく時間がかかったけれど、よかった。
数年前、ある人物がセレッソ大阪事業部に着任して以来、サポーターとクラブとの関係は相当修復してきているように感じる。クラブの成長のベクトルと同じレベルで、ぼく自身も未来に向けて歩みはじめていた。
三十歳にも満たないこの男にどれだけのことができるのかなんてもう、そんな難しいことを考えるのはもうよそうとぼくはそう思った。
それでも「個」は重要だ。なにかを成し遂げようと思うときには、たったひとりでも戦い続けるべきだ。ぼくのようなちっぽけな人間であっても世界を変えていくことだって十分可能なのだ。
昇格した頃には考える余裕すらなかったJリーグ優勝という馬鹿げた理想。言葉として発しても今はもう誰も文句を言わなくなっている。
ここ数年、シーズンごとに変わる監督を横目に苛立ちも感じていたけど、そのおかげと言っていいのかわからないくらい、選手たちは成長していた(横山貴之は最高の事例だと思う)。
クラブとの関係修復と相まって、少しずつだけどサポーターも団結力を増したように感じた。目に映らないものはまだまだたくさん存在する。それでも、意味不明なポジティブさだけは留まるところを知らなかった。