総合的なロジックとは ~2024年9月LoHの反省に対しての感想を添えて~



はじめに

こんにちは。野球の底力という名前でウマ娘をプレイしている者です。
前回の記事からなんと中1日での登板となりました。文字数を投球数だと考えると、4,170球を投げた翌々日にまたマウンドに立っていることになります。高野連も泡を噴いて倒れることでしょう。

さて、先月に京都1600条件で行われたLoHの結果を受け、多くの方がツイートやnoteで振り返りを発信してくださっていました。
個人的にはこういった読み物が大好きなので、増加傾向にある最近の風潮を大変嬉しく思っていますし、個人の好みを横に置いても、振り返りを執筆・公開することは界隈の発展に資するため、内容を問わずその行動は賞賛されるべきだと思っています。

それはそれとして。

内容に関する是非はそれとは全く別に存在しますし、その是非を論じることは発信者の名誉を毀損することにはならないと思っているため、気になった点を具体例として交えながら、私がしばしばツイートで口にしている「総合的なロジック」の一端を記事に残そうと思います。

なお、本noteは、Prof. MamDerbyからいただいた原案を元に執筆しております。いつもありがとうございます。


総合的にロジックするということ

多くの課題に共通して言えるのは、思考が直線的であるということです。

・終盤で差されて負けた→だから終盤力が足りない
・コンセは序盤を補強する→だから序盤に前に出したくないキャラには積まない

究極的には

・思うような結果が出なかった→取り組みが正しくなかった

これらの論理は素直ではありますが、適切ではありません。

多くの物事は単純ではなく、ある結果を導く原因が一つであることは殆どないと言っていいでしょう。
物事を単純化するほど、導かれる結論の精度が下がることになります。
単純化した際に切り落とした多くの事象の中にも原因が含まれるからです。

高々いちゲームのいちモードであるウマ娘のレースにおいてもこれは同じです。

例えば《コンセントレーション》を例に考えてみましょう。
日ごろ、チャンミ決勝や大会当日には出遅れのスクショがよく投稿されます。これは出遅れが不運だからこそ、よりによって大事な場面で出遅れてくれるなよ、という感情から行われるものになります。
であれば、「《コンセ》を採用しないことで隊列をコントロールしよう」という考えは即ち「不運を期待して隊列をコントロールしよう」ということになります。

150戦あるLoHで、1/3の確率で起こる事象に委ねた隊列管理は合理的でしょうか?
1/3の確率で起こる事象に隊列管理を委ねながら、1レースあたり10%の掛かりのために目標スタミナを設定する必要があると提唱することは矛盾していないでしょうか?
7.5%のスキル不発を懸念することはどう説明するのでしょうか?

重要なのは整合性です。
「《コンセ》は序盤に影響するスキルです。だから序盤に前に出てほしくないウマ娘には積みません」という論理に不備はありません。
しかし、こういった主張を貫く中で、他の主張との不整合が発生することは珍しくなく、無自覚に問題を見逃してしまうことも多いです。

※これらの発生確率と影響の重みはそれぞれ異なっているため、同列に重要視することを推奨する意図はないことを注記しておきます。

結果(実際に起きた事象)がそうであることは、仮説の正しさとは必ずしも関係がありません。思いもよらない原因により偶然求めた結果になっただけ、ということは常にあり得ます。

また、原因を明らかにすることは有益ですが、偽の原因を作り出してしまうことの危険性は認識するべきです。
場合によっては究明できない問題を「理由不明」とする決断も必要です。

このように、その場その場で個別に論理を組み立てず、より広い視野で適切に原因を究明することで、諸要素を包括的に管理することが「総合的にロジックする」ということであると言えるでしょう。

ここまでで一区切りとして、以降は振り返りでよく見られた(あるいは今回に限らずよく見る)個々の内容について気になった部分を述べるパートになります(投げ銭おまけコンテンツ)

なお、各論についての私の考えを述べている以上のことはなく、発信者本人への攻撃ではないことは重ねて申しあげておきます。

良い機会なのでここに付け加えますが、「意見に反論されると人格否定されたように感じ、傷ついてしまう人が多い」という話をビジネスシーンでよく聞きます。ウマ娘界隈でもまあ確かに多いかなぁと感じています。

この話の続きは総括パートですることとして、項目を移します。

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