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だから日本は「失われた30年」を取り戻せなかったんやで…

「今どきの若いモンは」で「ブラック部署を生き抜いてしまった新人の話」は結構話題になっていたようでして、その話の内容を見ると、圧倒的にブラック部署に順応した元・新人に賛同する人が多くて絶句しました。

吉谷光平氏の「ブラック部署を生抜いた新人の話」より転載

一昔前の私なら有無を言わずに賛同していたものですが、今の自分から見ると「彼の意見に賛同する人が9割いるのがアカンのかも知れん」と言うのが今の自分からの見た目です。

このキャラは久坊君というようですが、さて、この久坊君の考え方に染まると何がアカンのかって言うのを、綺麗事抜きで書きたいと思います。


⚠不正が起こりやすい企業になる

まず一番大事なことを先に書くと、久坊のような人間が在籍した部署というのは、非常に不正が起こりやすい職場となります。

吉谷光平氏の「ブラック部署を生抜いた新人の話」より転載

久坊が育った部署の環境が分かりやすい1枚絵になっていますが、こういう部署と言うのは「都合が悪いことは報告されない」んですよ。
恐らくこの漫画のモチーフになった会社は三菱商事ではないかと思っているのですが、三菱グループは非常に苛酷キツいことで有名であり、中でも三菱電機のブラックぶりは有名過ぎるほど有名です。

ネットで三菱電機の元社員と話したことがありますが、それは「三菱電機だけは絶対に許さへん!🤬」とカンカンでした。
転職先で希望の仕事に就けたようですが、そんな三菱で起きたのが品質不正です。
三菱グループの品質不正は実は電機だけではありません。
三菱自動車、三菱マテリアルでも起きています。
一応三菱自動車はあまりブラックな評判を見かけませんが、三菱マテリアルはパワハラがあるという口コミが数件寄せられていますので、ブラックな部署は存在していると見て良いでしょう。

ここのところ品質不正が相次いでいますが、品質不正の第一歩は(都合の悪いことが)報告されないことから始まります。
少なくとも三菱電機には品質管理検定2級合格者はいて、私より品質管理の知識を持つ人材はいるはずですが、少なくとも品質管理の基本的な手法(3級レベルの知識)ができていれば品質不正は起こらないのです。
まして三菱電機レベルになれば2級合格者は1人や2人では無いと思いますので、品質管理の応用レベルが人間がいてもそのザマということです。

久坊のいたような部署では高確率で不正が起こります

💻物事には基本となる型がある⇒型ができてナンボ

「社会人は学校とはちゃうねん!」
「正解なんか用意されてると思うな!」

よく聴かれる言葉ですが、私はこの意見に対しては反対の立場です。
会社の人間関係ってどちらかと言えば高校の延長に近いし、正解が用意されているかどうかというのは、場面場面で大きく異なります。

例えば「オペレーションにおいては正解があるのが基本」です。
コールセンターという職場で顕著なのですが、少なくとも問い合わせの9割は正解が存在しています
逆に技術的な質問は「仮説を立てながら正解に近付いていく」ことが多いのですが、仮説を立てると言っても無秩序に立てるのではなく、基本となる型が存在するのです。

プログラミングなんか顕著じゃないですか。
どんな言語にも基本となる型として変数、条件分岐、繰り返し。
これはほぼ全てのプログラミング言語に存在してますし、そこから言語によっては独特の概念が出てくるわけですね。

これねぇ、前の会社の会長から「社会は数学で出来てるんじゃないんや」と言われたんですが、私は品質管理の勉強を通して「数学的な視点が如何に社会で必要か」って言うのを学びました。

プログラミングには基礎基本の型があります。
品質管理(主に統計学)にも型が存在します。
久坊の就いた営業職にだって「基本となる型」があるはずなんですね。
謂わば久坊は「型ができていない内から応用を求められた」状態になるわけです。
ハッキリ言って再現性がありません
少なくともASDの私には無理です。

💾正解がない=見える化しなくて良い理由にはならない

最後に「見える化と標準化」の問題ですが、これは日本と世界の差が開いた(或いは埋められた)大きな部分かと思います。
特に日本人は業務の見える化や仕組み化を大変嫌がる傾向が見られます。

恐らく久坊のいた職場は業務が殆ど標準化されておりません。
仕事は大別して「正解が存在する仕事」と「正解が存在しない仕事」というものが存在し、オペレーティブな仕事の多くに正解(当たり前)が存在しています。
アメリカを始めとした先進諸国はITを活用しながら「正解が存在しているものは最初から見える化する」ように発達したと思うんですね。

逆にイノベーティブな仕事には正解が存在しないことが多くあります。
そんな時に「当たり前のこと」は見える化しておくことでオペレーティブな仕事を早く片付けることができ、イノベーティブな仕事にリソースを割けるわけです。

恐らくハイコンテクスト文化の弊害なんでしょう。
「気付け、気付け、気付け!!」と言われて「気付くことを強要される」のですが、それで気付いてくれることを待つのは新人君に対する甘えではないかと思うのです。

確かに私もブラックな仕事経験しましたけど、所謂「自分が味わった苦痛を若い子にも味わわせたい」というサディスティックな欲求に立てば「久坊の言うこと正しい!」と思いたくなるのですが、しかし品質管理を学んで品質管理的視点に立つと「それではアカン」ということが分かります。

ドラゴン桜の一コマ

結局のところ学問も仕事もココに帰結すると思うんですよ。
全ては「型」から入り、型ができた上で応用・オリジナルなのです。
逆に言うと「気付け気付け」としか言わないのはマネジメントとしては怠け者になるんじゃないかな?
知らんけど。

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センチュリー・大橋
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