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[クリスチャン非読推奨]原爆ドームは無価値:浦上天主堂を再建した失敗

率直に言ってクリスチャンはこの先を読まないことを推奨します。

つい先日カトリックの宣教師と思しき人から宗教勧誘を受けまして、キリスト教系の人が信者を集める時によく言うのが「主を信じれば救われる」というものです。

これは「キリスト教で言われる救いは天国に行くことで現世は重視しない」とは言われるのですが、一方で彼らが「救われる根拠」として引き合いに出すのはノアの箱舟やロトのお話です。
この辺は旧約聖書の話らしいのですが、とは言え旧約聖書も聖典としては用いているようで、ノアとロトの話は「現世」での話になります。

さて、宗教勧誘で「天国に行ける」を引き合いに出されてしまうと、科学好きな無神論者には「天国の存在を数学的に証明しろ」なんて言われても全くおかしくありません。
私は科学も好きだしオカルトも好きで無神論者ではないので、流石にそんな意地悪なことは言いませんが、とは言えノアやロトを引き合いに出された時に、こう言い返しました。

「長崎原爆って浦上天主堂の真上で炸裂したから神が御救いにならなかった事例ですよね?」

これ、ガチのクリスチャンには怒られるのは間違いありません。
この辺、素人にはようわからんのですが、キリスト教で重要なのは現世で良い行いをして神を信じて天国に行くことなんでしょう。
だから現世での救いは重視しないのだと。
ところがノアの箱舟やソドムのロトと言った話になると長崎原爆との間に矛盾が生じることになります。

長崎に原爆が落ちた理由

原爆はもともと3つ投下される予定で、実は3発目は東京に落とす予定そうです。
最終的には広島と小倉の2発に決まりましたが、京都も投下予定に入っていましたし、リストに入っていた神戸には模擬原爆が投下されました。

「長崎入ってへんやん」と思われそうですが、一応予定リストに長崎は入っていまして、広島を最優先に次点が小倉になっていたのです。

ところが小倉は当日の天候が悪かったのと、八幡製鉄所の煙幕によって阻まれ、当のB29の燃料残量の関係もあり、帰り道の長崎で落とした訳です。

原爆の真下に浦上天主堂

長崎原爆が投下された場所のほぼ真下には浦上天主堂と言う教会がありました。
当然、神父もシスターも信徒も即死です。
歴史的にも長崎はカトリック信徒が多く、見方によれば「これはカトリックに対する攻撃だ」と言う見解を示す人もいます。
アメリカは基本的にはプロテスタント信仰が多いようですが(大統領はWASPでしたからね)ともあれ「キリスト教国の人間がクリスチャンの多い都市に原爆を落とした」と言う事実は変わらないのです。

ところでこの浦上天主堂、当時メチャクチャ立派な建物だったそうで、東洋一とも言える教会だったそうです。

どうあれ、素人目線でみれば長崎原爆は「神が御救いにならなかった事例」として確たる証拠になったわけです。
悪意がある言い方をすると長崎原爆は神が存在しないことの証明になります。

原爆ドームに価値はない

そして今日の世界情勢を見ると、もう一つ認めたくないこととして「原爆ドームは平和を訴えるのには無価値だった」と言うことです。
ぶっちゃけ原爆ドームにはもう観光名所と言う以外に何の価値も無いんですね。

多分、アメリカ人が原爆ドームに行っても何も感じないし、せいぜい「俺たちの国の技術スゲー」にしかなりません。
現にアメリカはイラク戦争で核兵器(劣化ウラン弾も核のゴミを使っている点では立派な核兵器)を使ってますし、アメリカ人の歴史観からすれば日本に原爆を落としたのは正しかったのです。

京都が原爆投下から外れたのは「歴史的な文化遺産が多いから」と言うのも全くの嘘でして、異教徒の文化遺産など彼らからすれば1㎜の価値も無いのですよ。

だからこそ「キリスト教のお前らが(宗派は違えど)キリスト教徒を大量にぶっ殺したんだぞ」と言う事実を突きつける意味でも、浦上天主堂こそ「焼けたまま」遺さなければならなかったのです。
当時の長崎市議会としては遺したかったそうですが、残念ながら解体されてしまいました。
少なくとも現在の長崎市から当時の面影を残す様子は完全に消えた上、長崎市は三菱城下町として現在も軍事上で重要な都市となっています。

少なくとも現在の日本では原爆ドームが唯一の戦争の面影でありますが、日本人以外に原爆ドームを見せても全く響かないので、平和を訴える遺物としては無価値になってしまったというのが、現在の国際情勢で示されている現実です。


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センチュリー・大橋
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