中心帰納2025年一月の見解
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
中心帰納はやることはシンプルなんですが、今まで若干難しく書きすぎていたところもあるので、まず最初にやることをシンプルに書きます。
細々としたことは、その時々で解釈が変わってくので、現時点の理解を書き留めておこうと思います。
1.中心帰納
やることはシンプルです。背筋を伸ばし、目はどこにも集中せず、情景をただ写すだけにする⇒写し目
そして、腰も腹筋も緩めて、背筋と腹筋の間にある空間に意識の中心を合わす。これが中心帰納と言われるものです。
緊張集中ではなく弛緩集中であり、意識を集めるのとはまた違うことに注意してください。ぼーっとした感じ、あたり一面何もないところで情景を何も考えずに楽しむ感じに似ています。
2.精度が大事
どうでしょう?拍子抜けするほど単純ですよね?これはとてもシンプルなテクニックですが、シンプル故どこでも使えますが、シンプルすぎるが故に精度が要求されます。そこで、実はかなり四苦八苦する羽目になり、ある時点で出来たと思ったものが実は全然できていなかったと気が付くことは何度もあります。ということで、以下は細々としたことについて現時点での見解を書いていきます。
3.いつやるのか?
成田伝合気道には「気」「機」「形」という概念があります。
それぞれ
気:何か行動を起こす前に孕む意図
機:意図が形になる瞬間
形:実際に顕れる動き
となっています。この「中心帰納」は気~機の段階でやります。
ただし、意図が「形」になったあとも次の意図が生じるので、成田先生曰く中心帰納のタイミングは毎瞬なのだと言います。
4.自己の動きは意図の付随現象
意図が「形」になったあとに修正と言うのはできません。
現在の形と言うのは、既に顕れてしまった形なのでもうこれは修正不可です。
しかし、人間はどうしても既に顕れてしまった形を修正しようと思って後から遅れて取り戻そうとしてしまいます。これを執着と呼びます。
この執着にとらわれた状態で、人間は何かをしようとするとき、あるいは何かを考えようとしたとき、あるいは外的要因によって反応した時に、自意識が意図と一体化します。
それで、自意識は既に顕れてしまったことを変えられると言う幻想を持ってしまうのです。
そこで、この意図と意識が一体化したことに気がついて、即座に意識の方を中心に戻すと(中心帰納)、何かしらかの意図や反射で自動的に動いている自分を俯瞰できます。
ここで重要なのは意図を持った段階で、その後の自分の動きは自動的に決まっていると言うことに気が付くことです。
これと関連して受動意識仮説に対する現在の見解を書こうと思いましたが、長すぎるし脱線するので、またの機会に書こうと思います。
5.合気も付随現象
あくまで成田伝合気道の定義するところの合気になりますが、相手にとってみるとそこに有るはずのものが無い(あるいは無いはずのものが有る)と感じることによって生じる反射現象です。
しかし、これは結果として生じるものでないといけません。何故ならこういう意識誘導は、相手がどこそこを意識してそうだなというところを捉えた時(TIME1)から誘導しようとしても、誘導しようと言うこちらの意思や動きに反応して(TIME2)、
TIME1のときとは意識の状態が異なっているからです。
つまりイタチごっこ状態ですね
つまり、合気は相手の形を見てから意図的に生じさせるものではないと言うことになります。
では、どうするかと言うと、こちらの意図に反応した相手をさらに刺激せずにイタチごっこ状態に陥らず動き続けられるか?と言うところが肝になります。
これが成田先生の言うところの「気発で決まる合気」なのかな~と現在は思っています。
相互の意図によって生じる自動的な動きで最終的に自分はいい姿勢、相手は悪い姿勢に持っていくのを武術的な意味での合気と呼ぶのではないか?と考えています。
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