われらの日用の糧を 今日も与えたまえ
主の祈りを祈ることで、気づかされ、感謝することがあります。
教会学校では、主の祈りを聖書の御言葉から聞いています。
今日の御言葉は、マタイによる福音書6章25~34節です。
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31 だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。
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「今日必要なもの」「明日必要なもの」「毎日必要なもの」。何がありますか?水、ご飯、家、学校の教材、スマホ・・・、私たちが「必要なもの」は、たくさんあります。
私たちは必要なもの、普段必要なものは、簡単に手に入ることが普通すぎて、手に入らないことが想像できないかもしれない。
主の祈りをしていると、思い出します。「われらの日用の糧を今日も与えたまえ」。「わたしたちの毎日の糧を、今日もお与えください」。
そうお祈りする時に、毎日の糧、ごはんやお水、日々の生活に必要なもの、そのすべては、神さまがお与えくださっている、そのことを思い出します。
私たちが当たり前に思ってしまっているもの、それは神さまがお与えくださっているもの。それなのに、物があること、便利なことが当たり前すぎて、私たちは大事なことを忘れてしまいます。そして、いつもあるものが無いだけで、心配になったり、誰かに文句を言ったり、悩むことがあるかもしれません。
イエス様は教えてくださいました。「天の父なる神さまは、あなたたちが願う前から、あなたたちに必要なものを知っていてくださる。そして、必要なものをお与えくださるお方だ。だから、食べ物や服のことで、悩む必要はない。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、みな加えて与えられる。」「空の鳥を見てごらん。野の花を見てごらん。あなたたちのように働いているわけではない。それでも、神さまが食べるものをお与えになるから、元気に、自由に空を飛んでいる。花も、明日は燃やされるただの草かもしれないけど、神さまが美しく装ってくださる。愛するあなたたちには、鳥や花以上に養い、美しく装い、恵みを注いでくださるはずではないか。」
私たちは、必要なものがあることが当たり前な、便利で、安全なところで暮らしていて、神さまに感謝することを忘れてしまいます。いろんなものを「自分の力で手に入れた」と思ってしまいます。なんでも自分の力で手に入る、と思って、自分の思い通りにいかないこと、ほしいモノが手に入らないことが、我慢できなくなることもあります。だけど、本当は違う。私たちの日々は、神さまによって支えられ、私たちは神さまによって生かされています。
主の祈りを祈るたびに、そのことを思い出します。「神さまに生かされている」「神さまに命をいただいている」と思い出して、神さまに感謝します。神さまが、何も持っていない私たちに、必要なもの、必要なことを用意し、お与えくださっている。もし自分の希望と違っていたとしても、神さまが一番よいものを知っておられる。だから神さまにお任せしよう。ご自分の命を捧げてくださるほどに私たちを愛してくださる神さまに、すべて、お任せしよう。神さまの国が来ますように、神さまの正しさが実現しますように。そしてそのために、私をお使いください。
イエス様を信じる人の生涯を支えるお祈りです。
主の祈り
天にましますわれらの父よ
願わくは御名をあがめさせたまえ
御国を来らせたまえ
御心の天になるごとく 地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を 今日も与えたまえ
我らに罪を犯すものを 我らが赦すごとく
我らの罪をも赦したまえ
我らを試みにあわせず 悪より救いいだしたまえ
国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり アーメン