祈りの家 a house of prayer
1月も終わりに近づいてきました。
皆さんも、家族の皆さんも、お元気でいらっしゃいますか?
皆さんの祈りの家は教会です。ぜひ、いらしてください。
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マタイによる福音書21章13節
『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている。
‘My Temple will be called a house of prayer.’ But you are making it a hideout for thieves!
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「ダビデの子にホサナ!」と人々に迎えられ、イエスさまはエルサレムに入ってこられました。
最初にイエスさまが向かわれたのは、神さまを礼拝する神殿です。
ところが、驚くことが起きました。
イエスさまは、神殿の入り口近くの、両替人の台や、鳩を売る人の椅子を倒されて、こうおっしゃったのです。
「聖書には、「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである」と書いてある。ところが、あなたたちは、それを強盗のすみかにしている!」
どういうことなのでしょうか?
当時のエルサレムの神殿のようすを説明します。
神殿は真ん中に礼拝の儀式が行われる聖所があって、廊下に囲まれた広い庭がありました。広い庭は、聖所に一番近いところに祭司の庭。そしてイスラエル人の男子の庭、女子の庭。一番外はだれでも入ることのできる異邦人の庭がありました。
その異邦人の庭では、大祭司の許可を得た人たちが、神さまに捧げるお金用に両替をして、高い手数料を取っていました。
また、罪を赦してもらうために捧げる鳩を、高い値段で売っていました。
高い値段で取引されることで、商人たちも、大祭司や祭司長たちも、大変もうかっていたのです。
イエスさまは、神さまに、捧げものをすることが悪いとされたのではありません。捧げものをすることを利用して、お金儲けをする。神さまを信頼することが忘れられていることに対して、怒られているのです。
イエスさまは、「神さまに礼拝ささげる」「神さまに向かって悔い改めて祈る」という、本当の目的で神殿が使われてほしいと思いました。
両替商や、商人たちを追い出したあと、イエスさまのところに、目の見えない人や、足の不自由な人たちがやってきました。それまで、目の見えない人や、足の不自由な人たちは、神殿での礼拝ができなかったそうです。イエスさまはそれらの人々をいやされました。
それを見ていた子どもたちが、「ダビデの子ホサナ!」と、イエスさまをさんびしました。子どもたちには、ろばの子にのってエルサレムに入ってこられた優しいイエスさまが、神殿で怒って商人たちを追い出したの見て驚いたかもしれません。イエスさまは本当に神さまを礼拝する人を求めておられるんだ、本当に優しい方なんだというのがわかったのでしょうね。
わたしたちにとっての祈りの家は、教会での毎週の礼拝です。イエスさまが求めておられたように、教会で神さまに向かって心からの祈りをささげることができて感謝です。
祭司長や律法学者たちは、自分たちがもうけていたことを、悔い改めるどころか、腹を立てました。
わたしは、イエスさまが商人たちに怒った姿を見て、心がキュッとなります。わたしたちは教会で、心から神さまを礼拝できていただろうか?わたしたちは、心からイエスさまに、より頼んでいるだろうか?
心が神さまに向かわずに、自分勝手な方にいってしまう、このわたしのために、イエスさまは十字架につかれたのです。
イエスさまは、十字架への道を進まれるときに、神さまへの祈りの家である神殿を、本当に祈りの家とされたことを、感謝します。
天の父なる神さま
祈りの家、教会に、わたしたちを招いてくださり、ありがとうございます。
教会は、イエスさまの祈りの家です。
中心にいらっしゃるのは、イエスさまです。
イエスさまがいらっしゃる教会で、神さまを礼拝できることを感謝します。
これからはじまる一週間も、いつもイエスさまが共にいてくださることを感謝します。
イエスキリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン