見出し画像

気学ってなあに

「ごかんちゃん気学研究」へようこそ 
気CENSE(キッセンス)後閑理衣です。
気学という言葉を初めて聞く人もいるのではないでしょうか?

気学とは、この世にあるすべてのものを分類して
それぞれ当てはめて、循環をみるものです。

太陽や、月、星の天体の動きと川の乱流から
「循環」を捉えてそれが
宇宙のリズム、
地球のリズム、
天と地と人のリズムがある
ということに気づき、
それを「気」「生命力」と捉えて
研究を深めていきました。

この世の循環を知ることで、
今すべき行動がわかる。
そのため、自分の軸がブレずに惑わされず、
自分で決断して歩むことができます。

人は誰もが、生きていれば
困難や悩みはつきものです。
自分が悩んだとき、いつもどうしていますか?
友達に相談しますか?
仕事の上司に相談しますか?
家族に聞いてもらいますか?
人の意見を聞くことは、
気付けなかったことに気づける。
非常にありがたいことだと思います。

占いに行く、タロットや、霊視、ライン占いや、
心理学の本を読む、自己啓発本をよむなど。
さまざまな人がいると思いますが、
それって他力ですよね。
気学は学べば学ぶほど、循環が理解できるので、
今やるべき行動が書かれています。
そこに乗せていくことでスムーズに進むことができる。

うまく進んでいたことが止まる時期や、
変化が起こる時期もわかるので対策ができる。
天の動き、地の動きはいつも
一定の循環の法則があるので、
誰もがツールとして
自分の人生に生かすことができるのです。

鑑定では、そのツールを使用して、
こういう行動をするとこうだよ。
今はこれをするときだよ。
行動に関してのアドバイスをお伝えしたり、
「気学」は占いではなく行動哲学なので、
当たり外れというものがなく、
100%そうなります。
そのため、自分の生まれた星で
宿命を鑑定することができますが、
その宿命も変えることができる知恵なのです。

私は村山幸徳先生が広めている
「気学」を伝えています

本来の宿命論、占いとは自分を軸にして、
自分に合った世界を構築するという
世界がほとんどなのです。

村山先生の気学の特徴は
「気学」は宿命論には留まらず、
自分のご縁を主軸に考え、
自分とご縁のコラボレーションによって
自分の潜在的可能性を
縁によって引き出し、
さらに拡大させていくという
人生の歩み方を伝えてくれています。

誰もが人生に取り入れていただきたいと思い、
群馬県前橋市から広めています。

「すごく難しそう」という声をよく聞きます。
気学を学ぶ上で、きちんと段階があり、
テキストも読み返せば思い出せるように
工夫していますので安心してください。
自分の人生の歩みと共に学びを深めていくことで
「楽しい」という声を多くいただいております。

気学ネタ続けてもいいですか?

気学は天文学・天体学です。
天文とは天の模様。
そもそも気学とは「九星気学風水」で
群馬県・桐生市の園田真次郎という人が
「気学」としてまとめました。

気学の元は中国から仏教の伝来と共にやってきました。
仏教の伝来の説は2つありますが
聖徳太子の時代と欽明天皇の時代ということです。

気学の元となった知恵は、
吉備真備が深く関係していると考えています。
717年に出発した遣唐使には吉備真備(きびのまきび)と
阿倍仲麻呂、その他、玄昉、大倭長岡らで
随行していたようです。
その中でも阿倍仲麻呂は
神通力が扱えて科挙(中国で行われた官吏の採用試験)に
推挙で登用され、唐の玄宗に仕え、
日本に帰国ができないまま長安で死去しました。
阿倍仲麻呂は日本を思いこのような句を残しています。

「天の原 ふりさけみれば 春日なる
 三笠の山に出でし月かも(阿倍仲麻呂)」

奈良の春日大社の景色。
日本に帰りたかったのだろうな。
吉備真備は何度も唐と日本の行き来をしていました。
この時代は、船でどこにたどりつくやも分からない。
生きて戻ってこれるのかさえ分からない。
そんな時代に、吉備真備は何度も、何度も唐へ。
吉備真備は阿倍仲麻呂に
(霊になった阿倍仲麻呂にまで)助けられるんです。

日本に戻り、阿倍仲麻呂のおかげで
日本に持ち帰ってきた知識を自分の子孫と、
阿部家の子孫にも同じように伝えます。
安倍晴明の誕生はずっと後のお話しで、
さまざまな見解がありますが、
子孫繁栄、受け継ぐことに
ロマンを感じてなりません。
吉備真備が唐から日本に持ち帰ってきたものは、
陰陽道の経典や暦、武器や楽器、太衍暦経などの書物。
それ以外にもたくさんあったようです。

陰陽道の経典や暦が、日本人の手によって
「気学」というひとつのツールになりました。
園田真次郎(1876年 - 1961年)の登場です。
日本の気学の祖といわれいる人物です。

わたしの師 村山幸徳先生は鰻屋を
営んでいるお妾さんの子供として生まれたようです。
その後、その主人が亡くなり幼い村山先生は
新潟県の柏崎にあるお寺で住職をしていた
祖父に預けられたそうです。

そこに、園田真次郎が汽車に乗ってやってきて、
祖父と「気学」という名前がまだない
「気学」の話を聞いていたのだそうです。

気学を学んでいると、「伏羲」という伝説なのか?
実在したのか?登場します。
いまから5000年前に太陽、月、星、川の乱流から
宇宙のリズム 地球のリズムを発見し、
気や生命力と捉えたのですが、今から500年くらい前に
ヨーロッパ ケプラーやダヴィンチも
太陽・月・星 川の渦をスケッチして
太陽系のリズムや、生命のリズムを発見し
近代科学が誕生します。
伏羲の考えに至ったのです。
近代科学は元々は伏羲という人物の内容なんです。

天と地の気を合わせてみて、
重ねてみてどういう意味か 
易や気学では最初から決まっています。

因果関係という言葉がありますね 
原因と結果の関係性。
顕現化している、目に見えるものは
結果として現れていきます。
その原因の裏側を探る原因分析が
「気学」と捉えていただくといいと思います。

例えば、表面上あまり良くないことだったとしても、
原因分析をしてみると吉の兆しなんてことがるんです。
だけど、それが分からないから諦めてしまう。
「あともう一歩だよ」
という兆しだと知っていたら?
「諦める気持ち」から逆に
「やる気」が湧いてくる。

さらにこの原因と結果には
「人の縁」が関わることで結果が変わる 
縁を起こすことは「縁起」
良い縁なら結果は吉 
悪い縁なら結果は凶 
となって顕現していく。

ここで、園田真次郎は誰に学んだんだろう?
という疑問が湧いた。
園田真次郎は易者名だと荻野地角です。
気学の源流は方鑑学。
(いくつもの流派あり)

家相 松浦東鶏
易者 松浦琴鶴(松浦東鶏の子)
その他気学の重要人物をあげると                      神谷古暦 飯田天涯 田中胎東 浦辺顕 だろうか。

私が、村山幸徳先生の前に学んでいた気学は
田中胎東
(1898年11月生まれ 戊戌3年 癸亥5月生まれ)
流気学だった。
氣学密義という本が今も手元にありますが、
山本光養に1年学んで、園田真次郎には半年気学を
学んだようです。
祐気取りではお水取り、
お砂取り、
石を持って帰ってくると学んでいましたね。

調べてみると田中胎東から作り上げたもののようです。
今までの気学にはないものを作ったんですよね。

月命の星も18歳以降は方位は
みなくてもいいというお話しでした。
田中胎東は、ものすごく整った家相に
住んでいたのですが
刺されて亡くなってしまいました。
本命三碧木星で
ものすごく口がうまくて
大人気だった、と聞きました。

田中胎東流気学は3年学んだのですが、
月命は18歳過ぎれば、
月命の方位は問題はでない。
とのことで
私は、引っ越しをしたのですが
身体がボロボロになりました。
仕事もできなくなる一歩手前で、
母が村山先生を
YouTubeで見つけて
東京のマインドズームに行きました。
現在 社会運勢学という学会が設立されています。
村山幸徳先生が残した宝物 
素晴らしい先生たちがいらっしゃいます。

話を戻しまして、
のちに村山幸徳先生の気学で
「月命」は「身体」「健康運」を
司っていると習いました。

徐々に本命に吸収されるとのことでした。
私は田中胎東流の気学で、
18歳以上だったので、
月命の星の方位を取りました。

村山先生の流派の気学では
生まれた月の星の方位は凶方(月命殺)で
「やっぱり・・・」という思いでした。

それでも、田中胎東流気学で救われている人も
たくさんみてきましたし、
今となっては、恩師 村山幸徳先生に
出会えたので感謝でいっぱいです。

そして、なにより
わたし自身「月命殺」をとる理由があったのです。
流派のせいではない。
鑑定士のせいではないのです。

私自信が「月命殺」をとる理由。
それは自分を否定してきた結果ですし、
自分を大切にできていない人がとる方位が
月命殺なのですよ。
原因はすべて自分にある。

この原因に気づけたのは、
キポログの杉山 晏里先生の言葉です。
「気づき」とは、
心からあふれるように感謝が起こる。
気を学ぶと、こんなにも
目に見えない世界に気づけるものなんだな。と
感動する世界なのですね。

村山幸徳先生は、講座の中で、
左側の心臓が弱いと話していました。
遺伝で50歳くらいしか生きられず、
男の血筋にだけ引き継がれる病気だったと
講座の中でお話ししてくれました。
「いつまでも いつまでも 元気で 
一生笑っていてほしい。」存在です。

村山幸徳先生は
2018年5月27日に旅立たれました 71歳 
もっと、もっと元気で長生きして欲しかったです。
もっと学びたかったです。
だけど、本来なら50歳までの寿命が
20年以上生きることができたのですよね。

先生はブログを残してくれています。

そしてDVDも販売されていますので
村山幸徳先生の気学に興味がある方は
ご覧下さいね。 TEEWAI MOVIE.COM様 
先生の姿と声です。

村山幸徳先生は、社会の末端である主婦、
お母さんが元気になれば家が明るくなる
母が元気で家が明るくなると子供は学校が楽しい、
父は社会で活躍できる。とお話ししていました。

この先生の思いが広まっていくといいな。
これからも、楽しく研究していきますね。
そして群馬県から広めていきます。
最後までご覧いただきありがとうございました。

「気学」を伝えてくれたすべての人に愛をこめて。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?