【何故、カフェを作ったの??】エピソード2
こんばんわ!!
現在、歴史の中でも稀に見る緊張感と目に見えない敵に襲われています。
どうか、確かな情報をつかみ、的確な判断の上、皆様が健康で過ごして頂ける事をお祈りいたします。
さて、前回のエピソード1を見てくださった方々より沢山の反響を頂きました!
本当にありがとうございます。
こんな”ちょっとだけ底辺の生活談”でも。
見てくださった方々に何かしら。
今後の人生や生き方、働き方など。
”このテキストを見て下さっている皆様のあらゆる事柄”について。
本当は常に考えていかないといけないのだけれども、日々の生活に追われたり、何かの障壁が有り先に進めずにいたり。
もしくは順調に進んでいるがゆえに考えていなかった自分自身の人生の進む先について。
”少しでも考えたり振返ったりする”きっかけになる機会をご提供させて頂く事ができましたら。
言葉のごとく”泥水に顔をつっこんで飢えをしのいだ甲斐”があります。笑
それではエピソード2の開幕でございます!!!
前回はバンド活動を辞めた後、1ヶ月の廃人生活を過ごしてお金を稼がないといけない状況になり、ゴソゴソ仕事探しを始めた。
ここまでお話させて頂いておりました。
さぁ。ここから地獄の。
いや、煉獄の幕開けでございます。
当時、私が住んでいた場所は(地元)、ほぼ田んぼと工場と道路で構成されている町。総人口約13万人。(2015年度)
都会に比べたら格段に少ない仕事の業種と量。
農業、工場物流、食品関連、福祉関連、建設関連、コンビニと公的機関。
それに拍車をかけるように”これ、、どうやって生活していけばいいの?”っていうレベルの低賃金。(等価交換ではなく、田舎という市場を利用した給与設定)
こんな町でどうやって暮らして行ったらいいのだろうか。。。
そういう思いはあったのですが、とりあえず1円でも稼がないと行けないという現状に後押しされ、友人の紹介で某工場へ派遣社員として就業する事になりました。
【派遣】というシステムに、このころから違和感を感じます。
工場勤務に従事して行くにつれて、頭のどこか奥底で感じていた事。見ない様にしていた事。言語化出来なかった事が。自分事として感じざるを得なくなってきました。
例えると、カール・マルクスの書籍「資本論」に出てくる状況です。
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【連載_完結済】カフェ創業までの道のり
何故カフェを出店しようと考えたのか。 ちょっぴり恥ずかしいけど本当の事を書いています。 やっぱり、少し自分の都合の良いように書いちゃって…
いつもありがとうございます。皆様の支え合っての活動でございます。いただきましたエールはちゃんと仕事や文学活動の肥やしとしてしっかり使わせていただきます。ほんとうにありがとうございます。たくさんエールをいただけるともっと良いものを作ることができます。