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そのトゲを優しさで包みこめたなら。
人間誰しも、「攻撃された!」と思うと攻撃で返したくなるもの。
そういう意味で子どもとは、こちらの罪悪感や攻撃性のスイッチをなんの遠慮も無しにこれでもかというくらいポチポチと押してくる生き物だ。
感受性が豊かな傾向にある息子は、最近ちょっとしたことですぐにキレる。
きのうも幼稚園から帰った後に望んでいた市販のおやつが用意されておらず、そのことに対してものすごい勢いで怒りだした。私が用意していた手作りのおやつを出すと、「こんなのいらない!アレがいい!!」と言って大粒の涙を流しながら怒りを撒き散らす息子。
何度も何度も大声で、「こんなもの!」「バカやろう!!」と繰り返す息子。それでも感情が収まらないらしく、ひたすら泣き続けていた。
私の方はと言えば、そんな息子を見ながらつられてこちらまで感情が高ぶらないようにするので必死だった。とにかく今は無視すること。目を合わせず、なにも反応せず、なにも言わないこと。それがそのときできる精一杯の、息子と自分に対する防衛だった。
ここで私がなにか言ってしまったら、歯止めがきかなくなる。自分で自分を止められなくなって、次々と言葉の暴力を浴びせたくなってしまう。自分の中の、獰猛で残酷な部分との戦い。
子どもというのは、本当に『今』に全力を投じて生きる生き物だなぁと思う。この怒りもものの5分もすれば気が済んでケロリと止まり、何事もなかったかのようにまたキャッキャと遊びだして、調子よく「さっきはゴメンネ」なんて甘えた声で言ってくるのだけど。
そこまでわかっていても、私のほうは怒りを止められず、一緒に爆発してしまうことが多々ある。
そういうときはついつい表向きの言い分や行動を見てしまいがちだけど。その根っこはたいてい、ただお腹がすいてるとか、疲れてるとか、眠いとか、もっとあそびたいとか、もっとゆっくりしたいとか、わかってほしいとか、甘えたいとか、抱っこしてほしいとかの、単純な気持ちだけだったりするのだ。
「責められた」、「否定された」、「攻撃された」。
そう受け取ってしまうことで、ついこちらも反撃に出てしまうけれど。そう思っているのは実のところ、私だけなのだろう。
本当は誰も責めてないし、誰も否定してない。
本当は大好きで、そばにいたくて、抱きしめてほしいだけ。
そのトゲを優しさで包みこめたなら、自分のことも優しく受け止めてあげられるのかもしれない。
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