どの瞬間の私も“本当の私”
仕事。それこそが正義だと、信じて疑わなかった。「仕事だから」という免罪符は、私を育児という“なにもない自分”から無理矢理にでも引き剥がすのに、これ以上ない切り札だった。
やりたいことを主業として仕事をしている時の私こそが、“本当の私”。それ以外の私は、何でもないただの空気のような存在。だから少しでも早く、少しでも効率よく、“本当の私”の形を取り戻さなくてはと、ずっと思っていた。娘にあんなことを言われるまでは。
「だってコドモがいると おしごとのじゃまになるでしょ?だからいっちゃん、オトナになったらコドモはつくらないで ずっとひとりでくらすの。」
もうすぐ6才になる娘が、フとした会話のなかで不意にそう言ったときに、グッと胸をえぐられるような思いがした。
子どもを持つか持たないか、という話ではなく、こんな小さな子どもにそんな風に思わせてしまっていたことに、私はなんてことをしてきてしまったのだろう…と、思ったのだ。
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妊娠・出産によって、一度すべてがバラバラになった“自分という原型”をかき集めてペタペタと貼り付けるように、産後の私は焦っていた。
「少しでも早く、少しでも効率よく」
まるで暗闇を見つめながら盲目的にタワーをつくるように、無我夢中だった。そうすることでしか、“本当の自分”を保つことはできないと思っていたから。
だからこそ、子どもたちの長期休暇や体調不良による不意な休みに、無性に腹が立った。
「私は“こんなこと”のために家に縛り付けられる存在じゃないのに」。そう呪いながら、それでも病児保育や学童に預けるほどに腹をくくれない自分を、さらに責めた。
仕事をしている私。それこそが本当の私で、それ以外の自分には1ミクロンの価値もないと思っていたから。
その気持ちが徐々に癒やされてきたのは、それでもこの3年間私なりに納得のいくかたちで、仕事を通して“自分の原型”に触れてきたからだと思う。
私にとって仕事は、他でもない自分自身を瘉す行為だった。そしてそれは今でもそうだ。
この10年近くの年月のなかで決定的に押し隠し失ってきた、女としての自分。そして性別を超えた、私としての純粋な私。そんな私自身に会いに行き、もう一度仲直りして、手を取り合って生きていくための3年間だったのだと思う。
そこが癒やされ、満たされてきたからこそ、また少しずつ何かが変わっていこうとしていることを感じるこの頃。
「あの時間があったからこそ」なんて美談にできるほど大きなことをしてきたわけではないけれど、それでもやはりこの3年間は私にとって大きな気づきをもたらしてくれた。それは、どの瞬間の私も“本当の私”で、どの瞬間の私も、この世界に、そしてなにより自分自身に、多大なる恩恵をもたらしているということ。
すべての経験には、失敗も成功もない。魂はただ、“経験”というアソビを求めているだけ。そのアソビが私自身に近ければ近いほど、魂は喜ぶ。
母の私も、ダンサーの私も、“本当の私”。その私を、ただ楽しめばいいだけなんだよね。
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*𝔽𝕖𝕞𝕚ℝ𝕚𝕤𝕞*古川明美『社会に求められるわたし』ではなく、『わたしがありたいわたし』として生きながらも【わたしらしい美しさに目覚める】ためのコンテンツを配信。✦ダンスインストラクター
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